崇教真光ゆるツッコミ

カルト的宗教団体・真光の教義や御守護談にチクッとつっこみます。気まぐれ不定期更新。

大奇跡の正体

2015-03-09 13:48:10 | 病気・不幸・霊障
 町田小道場の組み手Mさん(女性)の体験談から。
 夫婦で組み手(信者)だそうですが、娘さんは入信を嫌がっていたそうです。しかしその後、“娘には真光に入信してから嫁いでいってもらいたい”と希っていたMさんの熱意に負けたのか、娘さんは結婚二か月前にしぶしぶ初級研修を受けて入信しました。そして結婚後、娘さんは妊娠したのですが……

 娘が北里大学病院で定期検診を受けたところ、お腹の赤ん坊が“ダウン症候群”であるという診断をされたのです。
 娘が病院から電話をしてきました。
「お腹の赤ちゃんがおかしいので、羊水を採って検査をしないといけないみたい」
 主人と私はすぐに支度をし、病院へかけつけて娘の所へ行くと、娘は祈言集をお腹に当ててハンカチで目を覆っています。その姿を見て私も自然に涙がこぼれてきました。~略~羊水を採るまでの間、待合室の椅子に座り、娘のお腹に向かって真剣な手かざしをさせて頂きました。その後、娘は検査に臨んだのです。
 ~略~後日、道場長にご相談させて頂くと、道場長は娘に対して厳しくも暖かいご指導をして下さったのです。「貴女の赤ちゃんに異常があるということは、貴女が親に対して何か間違った想いを持っていることをサトることが大切ですよ」「想念の波動が赤ちゃんに影響してくるのだから、まず親に対する想い、ご先祖に対する想い、親神様に対する想いを転換しなければいけません」「貴女が想念転換をすれば、神様はどんなことでも可能にして下さいます」──と、今までの親に対する想いを神様にお詫びし、想念転換するように厳しくお話し下さいました。
 ~略~判決を受けるのを待つような娘のもとに、検査結果が知らされました。
「異常なし。正常です」
 奇跡です!! 大奇跡が起こったのです。神様の起こされた奇跡に唯々感謝し、涙を流す私達親子でした。
 私と娘は早速道場へ行き、神様へご守護の感謝と御礼を申し上げたのです。
 道場長へご守護の報告をすると、大変喜んで下さり、「それは大変な奇跡だ!!」とおっしゃられました。そして「これだけの奇跡を頂いた裏には、貴女の想念に何か変化があったはずだ。神様のお仕組みを多くの方に知って頂かなくてはならないので話して下さい」とおっしゃられたのです。
 娘がそのことに答えた内容は、次のような内容でした。「今までは当たり前だと思っていた両親が私にしてきてくれたことに、心から感謝できるようになりました」「お腹にいる赤ちゃんに対する自分の愛情というものが、実は親が私に注いでくれていた愛情と同じように深いものだったということを心からサトりました」とのことです。
 道場長は「それだよ、それ! 貴女の親に対するその想いが転換したので、神様は貴女に奇跡をお見せ下さったのですよ」とお話し下さいました。(真光400号「燃える神向き」より)


 この体験談を読んで、「定期検診でダウン症と診断されたが羊水検査はこれから」というところに少々腑に落ちないものを感じたので、近所の産婦人科のお医者さんに直接聞いてみました。
「定期検診でダウン症を診断できるのか」「羊水検査をしなくても判るのか」という私の問いに、お医者さんは「エコーでダウン症の症状が見られることはありますが断定は出来ません。羊水検査をしてみないと判りません」というお答えでした。
 ということは体験談の「定期検診でお腹の赤ちゃんがダウン症と診断された」というのは間違いではないか、「ダウン症の疑いがあると告げられた」というのが本当のところではないかと私は思います。
 意図してなのかどうか、体験談では最初に「ダウン症と診断された」と書いているので、羊水検査で異常なしと言われた時はまるで神様が奇跡を起こしてダウン症の胎児を正常に戻してくれたかのような印象を受けますが、お医者さんの話が正しいなら、これは単にダウン症の疑いのあった胎児がダウン症ではなかったというだけの話です。もともと正常だったのでしょうから奇跡とは言えません。
 奇跡とは言えないような物事を奇跡ということにしてしまい、真光ではそれを上手く利用して信者をよくコントロールしています。
 道場長さんはやり手ですね。真光嫌いで入信したくないと親に反発していた娘さんもすっかり神様のとりこになってしまったようです。これで教団には御守護御礼がたんまり入ったことでしょう。……信者でなくとも人の親になれば、自分の親の苦労と愛情は普通に解るようになるものだと思いますけどね。
 それはさておき、赤ちゃんに異常が無かったことは本当に良かったと思います。元気に成長していることを願います。

子供は親のミソギの道具か

2015-02-21 17:22:35 | 病気・不幸・霊障
群馬中道場の組み手さんの体験談から。

 結婚して四年目、ようやく妊娠を致しました。ところが喜びも束の間アッという間に流産してしまったのです。申し訳なくて、神様と赤ちゃんに心よりお詫び致しました。しばらくして二度目の妊娠をお許し頂きました。しかし又流産してしまいました。苦しみの中でひたすら神様にお詫び申し上げ、乗り越えさせて頂きました。流産したのは奇しくも主人が中級研修を受講する前日の事でした。主人は、「神様が少しでもきれいにしてから中級研修に臨めるようにして下さった」と感謝をして、無事御み霊昇格をお許し頂いたのです。

 ……ということだそうですが、スの神様は妊娠を許しておきながら、父親に身を浄めてから研修を受けさせるためだけに赤ちゃんの命を奪うのでしょうか。だとしたらとんでもない神仕組みです。
→ブラジル人女性組み手さんの場合

続き↓
~略~そして数か月後、三度目の妊娠を致しました。これも神様がお決め下さることと、道場のご奉仕に励ませて頂きました。出血の清浄化を頂きながらも、心から感謝が出来、清浄化を無事に乗り越えさせて頂くことが出来ました。お腹の中ですくすくと育つ子供に感謝の思いと下座の思いが湧いてきます。真光に出会えず、又すんなりと子供を授かっていたらこのような想いなど湧かなかったことでしょう。(真光400号「大炎開陽霊祭、感謝御礼言上」より)

 湧かなかった? そうでしょうか。
 この方は元々医師から「将来子供を持つことは先ず無理」と言われていたので、真光と出会ったり流産を経験したりしなくても、一度目の妊娠で感謝や謙虚な気持ちを感じられたと思います。辛い思いをされたことには同情しますが、何でもかんでも真光(ス神)のお陰にしてしまう組み手さんは一般人の目から見るとただ不気味です。

 組み手は「事々一切徹底感謝」を叩き込まれているので、不幸な目に遭っても「神様がミソギの御仕組みを下さった」と感謝のご奉納をします(あるいは自分の罪穢を詫びるための奉納をする)。事故っても感謝、盗まれても感謝、流産しても感謝、死んでも感謝と教えられます。
 この教えがあれば、良いことがあった時のみならず悪いことがあった時にも教団にはお金が入ります。金儲け主義を表しているような教えですが、教団では「金儲け主義だ」などと言って教団を批判するのは「邪神の魔語」で、そう言う人は邪霊・憑依霊に操られている証拠だとされます。私のような不良信者にはそんなことを言う方がよほど「邪神の魔語」に聞こえます。
 感謝の気持ちを持つのは悪いことではありませんが、真光の「全てのことに感謝しろ」というのは極端過ぎます。子供を亡くしたことを感謝するなど、普通の人間の感覚からすると馬鹿げたことです。もう少し、自分のミソギよりも子供の気持ちに寄り添えないものでしょうか。
 教えを鵜呑みにばかりしていると人の不幸を喜ぶ人間になってしまうかもしれません。お気をつけください。
→人の不幸を喜ぶ組み手

治療しない人々・5

2015-01-21 14:04:02 | 病気・不幸・霊障
 組み手さんの体験談から(体験者本人の談ではありません)。

 Tさんが大声で叫んだのを近くにいたNさんが聞きつけて駆けよった。しゃがみこんでいるTさんの足もとを見ると、かなり大きく噛まれた傷口から、血がダラダラ流れ出している。とっさのことに、Nさんは覚えたばかりの真光の手かざしをやってみた。もう無我夢中だった。「こうすると、すぐ血が止まりますからね」。傷口に向って手をかざしながら、Nさんは手短かに手かざしの説明をした。蒼い顔をしたTさんは、痛みをこらえながら多少不安な顔付きだった。~中略~Nさんは自宅までつき添い、現場ではできなかった体のほかの部分の手かざしを続けた。合間に、Nさんは手かざしがケガやいろいろな病気を治している実例を、いくつか語って聞かせた。また、病院に行かなくても、自分がときどき通って手かざしをすれば、心配いらないからと付け加えた。(大陸書房「奇跡の世界~霊魂の実在を証明する」より)

 土佐犬に咬まれた近所の人に手かざしをしたというお話。
 こういう時は手かざしをする前に先ず、傷口を洗って止血してください。手かざしも真吼えもその後です。
 この体験談は救い主・岡田光玉が監修しています。
 彼は手かざしで何でも治ると公言していました。教団では「手かざしで治る」と言ってしまうと医師法に触れるため、現在では「手かざしは病気治療の業ではない」と言っていますが、実質的には今でも病気治しの業として残っています。病気になったり怪我をしたりすると組み手はすかさず手をかざします(効果はあまりありません)。
 表向きでも後から「手かざしは病気治療ではない」と言うなら、かつて「病気が治る」と公言していた頃の嘘による被害者に謝罪していただきたいところですが、教団からは未だに一言の謝罪もありません。


(父親のTさんは)十月になってもまだ吐血する娘の様子に、次第に不安なものを覚えた。そして最初の(真光への)意気込みはどこへやら、奥さんに向ってしきりに病院に連れてゆけと、指示するようになった。ところが、奥さんのSさんは八月に娘と一緒に研修も受け、その後の娘の様子や自分自身のかずかずの体験から、ゆるがない確信をすでに持っていた。したがって、ご主人がどんなに病院行きをすすめても、頑として応じなかったのである。(大陸書房「奇跡の世界~霊魂の実在を証明する」より)

 別の方の体験談です(体験者本人の談ではありません)。
 現在真光では、表向き「本人の望む治療や薬を否定してはいけない」「医師の診断を否定してはいけない」としていますが、組み手(信者)になると現代医学の多くは教義で否定されており、薬毒の教えも学ぶため、自ら病気へ行かなくなります。だから「病気治しの業ではない」と言っておきながら病気になると真光の業に頼るのです。

 この方もそうです。

 感謝のご奉仕を終えて釧路に帰り着いた日、私は四十度の高熱の清浄化を賜わりました。五日間熱は続きましたが、薬も飲まずに済み感謝で乗り切らせて頂きました。(真光376号「ご奉仕と私」より)

 自然に治って幸いでしたが、悪化しそうな時はちゃんと医者にかかって薬も適切に飲んでください。“薬を飲まずに治す人は偉い”とは思わないでください。危険です。
 真光の教えから薬を避けるようになり、病状が悪化して取り返しのつかないことになった人もいます。ご注意ください。

癌になった妻へ夫から一言

2015-01-08 11:07:09 | 病気・不幸・霊障
 組み手さんの体験談から。

(前略)すぐに病院へ行って検査を受けました。病名ははっきり教えて頂けませんでしたが「左乳部とリンパ腺、肩胛骨の一部の切除が必要です」と言われたのです。
 私はショックを受け、何かにすがりたいという思いで、主人に検査結果を伝えました。すると主人は「神様がついていらっしゃるよ」の一言だけです。
〈私がこんなに辛い想いでいるのに、たったそれだけ!冷たい人!!〉と思いました。そのことで私は〈もう主人には頼らない〉という想いで道場でのご奉仕に没頭し、清浄化のことを忘れる努力をしたのです。(真光376号「十年の神向きの中で」より)


 人の不幸を喜ぶ組み手(信者)もいれば、自分が病気になって初めてその辛さに気付く人もいるようです。
→人の不幸を喜ぶ組み手
→人の不幸を喜ぶ組み手・2
 しかし「神様がついていらっしゃるよ」という一言は信仰心深い組み手にとっては最高の激励のはずですが……“心の下座”や“愛和の家庭”といった組み手が心掛けなければならない想念も放棄してしまっているところをみると、奥様はあまり熱心な信者ではないのかもしれません。
 重い病気になったらそれはショックだと思いますが、夫婦喧嘩は止めましょう。たった一言とはいえご主人は声をかけてくれたのだから、その一言に感謝すればよいと思います。夫婦共に組み手なら「みのる程、心の下座してニッコリと、威張りたがらず愛和の家庭おつきあい」を心掛けてくださいませ。神組み手の想念を実践できていない組み手ばかりいるから、未組み手は「真光なんてそんなもん」と思うのです。