滋賀小道場、少年部の女の子の体験談から。
彼女は学校の身体測定で、身につけていた御み霊のことをクラスの子たちに噂されたため、翌日クラスメイトにこのように説明しました。
「私が胸につけているものは、御み霊といって生命よりも大事なものです。きたない手でははずせません。なぜかというと生命を救って下さるものだから、毎日つけています」(真光412号「私の体験」より)
しかしその「生命を救って下さるもの」を組み手(信者)は「命よりも大切に」しなければならないのです。矛盾していませんか?
私も入信した頃、「命よりも大切に扱うように」と言われました。
教団側もさすがにまずいと思ったのか、研修用テキストに書かれた「命より大切にお取り扱いいただきたい」という記述は、その後「命より大切にという想念で」に変わり、さらにその後「命同様大切にという想念で」に変更されました。
→御み霊について
当たり前ですが命の方が大切です。御み霊は信者の数だけありますし、汚したりなくしたりしてもお詫びして再び拝受することが出来ます。でも自分の命は一つしかありません。御み霊を大事に扱うにしてもほどほどに。
彼女は学校の身体測定で、身につけていた御み霊のことをクラスの子たちに噂されたため、翌日クラスメイトにこのように説明しました。
「私が胸につけているものは、御み霊といって生命よりも大事なものです。きたない手でははずせません。なぜかというと生命を救って下さるものだから、毎日つけています」(真光412号「私の体験」より)
しかしその「生命を救って下さるもの」を組み手(信者)は「命よりも大切に」しなければならないのです。矛盾していませんか?
私も入信した頃、「命よりも大切に扱うように」と言われました。
教団側もさすがにまずいと思ったのか、研修用テキストに書かれた「命より大切にお取り扱いいただきたい」という記述は、その後「命より大切にという想念で」に変わり、さらにその後「命同様大切にという想念で」に変更されました。
→御み霊について
当たり前ですが命の方が大切です。御み霊は信者の数だけありますし、汚したりなくしたりしてもお詫びして再び拝受することが出来ます。でも自分の命は一つしかありません。御み霊を大事に扱うにしてもほどほどに。