あれからキンドルに移植した昔の講談を懐かしみながら読んでいてふと2週間前リニア・鉄道館で浅野内匠頭の手形(古文書)を見つけたことを思い出し、あらためてWIKIPEDIAを調べてギョッ!!
あの手形の発行主である浅野内匠頭は殿中で吉良上野介に切りかかったアノ浅野長矩ではなくどうも先代(浅野長友)だった見たいですワ!
手形の日付寛文9年(1669年)は例の赤穂浪士討ち入りの元禄14年(1701年)より30年あまり昔だから、当時浅野長矩はまだ2歳!父長友もその後若死にしたそうだがそれでも長矩が家督を次いだのは9歳のときだったそうな・・・
まぁ鉄道と無関係な蛇足を書いたのがワルイのだが、和式年号を良く調べないとこの様にこんがらがってしまいますね~
でも手形に出てくる潮田作右衛門というのはアノ義士の一人 潮田又之丞の父親に違いないと思います。
それにしても叉之丞も浅野長矩(刃傷した内匠頭)と同世代だったと言うから、あの時母親を下女と共に赤穂から江戸へ旅立たせた作右衛門もまさか幼い息子が30年後に主君の仇討ちで切腹する羽目になろうとは夢想だにしなかったでしょうね~
まぁソレもコレも
(1)アノ手形がホンモノで
(2)赤穂藩主はソレまで代々内匠頭(たくみのかみ)を名乗り
(3)家臣の中に潮田姓の同名者がいない ってことが前提ですけど・・・
↑急にシンチョウになったりして・・
(2011年6月記)
******************************
蛇足の蛇足・・・
この本の古文書は初心者でも楽しめます
あの手形の発行主である浅野内匠頭は殿中で吉良上野介に切りかかったアノ浅野長矩ではなくどうも先代(浅野長友)だった見たいですワ!
手形の日付寛文9年(1669年)は例の赤穂浪士討ち入りの元禄14年(1701年)より30年あまり昔だから、当時浅野長矩はまだ2歳!父長友もその後若死にしたそうだがそれでも長矩が家督を次いだのは9歳のときだったそうな・・・
まぁ鉄道と無関係な蛇足を書いたのがワルイのだが、和式年号を良く調べないとこの様にこんがらがってしまいますね~
でも手形に出てくる潮田作右衛門というのはアノ義士の一人 潮田又之丞の父親に違いないと思います。
それにしても叉之丞も浅野長矩(刃傷した内匠頭)と同世代だったと言うから、あの時母親を下女と共に赤穂から江戸へ旅立たせた作右衛門もまさか幼い息子が30年後に主君の仇討ちで切腹する羽目になろうとは夢想だにしなかったでしょうね~
まぁソレもコレも
(1)アノ手形がホンモノで
(2)赤穂藩主はソレまで代々内匠頭(たくみのかみ)を名乗り
(3)家臣の中に潮田姓の同名者がいない ってことが前提ですけど・・・
↑急にシンチョウになったりして・・
(2011年6月記)
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蛇足の蛇足・・・
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