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たけちゃんのきまぐれ事務局日誌

2005年春から2013年末までの9年間の日誌です

365日の1日目に・・・

2006年01月02日 17時43分55秒 | じぶん

初詣いかれましたか?
大垣に来て6年、今まで行った初詣は南宮さん、谷汲さん、今年は郭町の八幡神社に行きました。
子ども達の七五三にお参りした八幡さんです。
昨日の夕方に行ったので、水門川沿いのイルミネーションがとてもきれいでした

はじめの1歩・・・そんな感じでしょうか。
ここから、365日の1日目が始まるんだなぁ~と、思いました。

心にずっとおもりをつけたまま2年間ひっしに歩いてきた自分がいます。
プライベートで、母を病で亡くしたことも大きいし、人生とか家族のことを考えさせられた2年間でした。
言葉にすると2年・・でも、なんて長い道のりだったんだろうと思う2年でした。
きっと私にとって、転換期だったのでしょうね。
人から笑われそうなくらいに、長い間凹んで苦しんで立ち上がれずにいました。
歯をくいしばって生きる・・・って、こういうことなのかと思いました。
時間がとまって、感情がとまる・・・って、出口がない迷路だと思いました。
大垣で、どうにか人の前では普通に過ごせるようになってはいたけれど、気持ちはまだ塞がったままでした。

でも・・・ようやく・・・
小学校1年生の時からの幼馴染・・・私の母のこともよく知っている友人2人に、
この年末に手紙を書くことができました。
母が亡くなったことは既に知っていますが、そのことに関してきちんと話をしたくてもできなかったのです。
母の死に関して、自分を責め続けていたこと、夫とのこと、様々な思い・・・
電話で話すことはできない。
手紙を書こうと思うと字がかけない。その当時のことが思いだされて、1字1字に胸が痛くなるのです。
自分でも情けないけれど、何度も何度も倒れそうになるほど痛くなり、しゃがみこんでしまいました。
そんなことを繰り返しながら、1年半がすぎました。
そこから、スタートできる気がするのに、どうしても出来ずにいました。
年末になり、新しい年を迎える前にどうしてもやらなければ・・・そんな思いから何度もやり直しながら便箋6枚書きました。
ずうっと私を待ち続けていてくれた彼女たちです。
すぐに返事がきました。
「待ってたよ」そんな彼女たちの言葉に、なくしていた時間からようやく1歩がふみ出せたような気がします。

今年は、どんな年になるかな。
でもきっと、どんな年になるかは、自分自身の気持ちによりますね。
今、なにかで悩んだり苦しんでる人がいたら、わたしは後ろで見守ることしかできないけど、でもね、どれだけ時間がかかっても、きっといつか自分で自分の心にケリをつけるべき時がくるから。焦らなくていいから。
ひとりぼっちではないと信じてください。きづいてください。
きっと、あなたの周りにあなたを心から心配してる人がいるはずです。

今、心が充電いっぱいで元気な人も、あなたを必要としている人がすぐそばにいるかもしれないこと。忘れないでください。人が心に持っているトゲがどれくらい深いのか・・・それはきっと、本人じゃないとわからないかもしれない・・・

特別な日じゃなくても、今日という日に家族で一緒にいれたら・・・
また会えた友達がいたら・・・
遠く離れた愛する人と連絡がとれたら・・・
それは・・・最高に幸せなことですね。

今年、あなたにとってどうか穏やかな優しい風がふきますように・・・





















災難2

2005年11月13日 10時51分46秒 | じぶん

長女のマユが自転車に乗っていて車とぶつかった日の2日後・・・
なんと今度は私が車と車でぶつかってしまいました

福岡にいる姉に「すげ~だろ~親子でこの確立」なんて自慢にもならない
空しい会話をしました。

夕方、事務局から我が家に帰る途中での出来事
前方を走っていた車が見通しのよい交差点で右折側に寄ったので右折すると思い、私はそのまま直進しようとしたら・・・というか、ほとんど通り過ぎる頃にいきなり左折してきて・・・ドカ~ン
私が通り過ぎるときに、相手の車が左折のウインカーを出して曲がってきたので、驚いて「なんなんだ~~」と叫んだけど・・・

取りあえず他車の邪魔になって交通渋滞になったらいけないと思い、そばの喫茶店が休業だったので、その駐車場に車を入れました。
文句言ったろう!と思ってバンッと車を開けて見ると・・・・
交差点の真ん中で右往左往する若者がいて、いきなり携帯をかけている・・・
あら、すぐに警察呼んでくれてるのかな。と思ったけど
体は大丈夫なのかな?あれだけ歩いてたら大丈夫みたいだけど・・・
近寄っていくと「すみません。すみません」と謝ってくれます。
体が大丈夫なことを確認して、取りあえず邪魔になるだろうから、こっちに来いと誘導しました。
相手の車・・・前方の左側がボッコリ凹んでます。
うちのデ〇カちゃん・・・探さないと分からなかった位の傷
それでも、右側後ろのタイヤ前後の車両にキズがありました。
これを見ただけでも、どういう風にぶつかったかが分かります。

警察かけてくれたのかと思ったら・・・親に電話したんだって
あ・・・そう、まぁいいけど
で、取りあえず警察に電話しようと言うと、「ちょっと待って下さい。親に電話します」と言ってきかない。
ぬわに~~~~こっちは、子どもを家で待たせてるんだぁと怒りそうになったんだけど・・・
見れば20代の男の子、電話をかける手も震えてるんです。
そうだよなぁ~怖いよなぁ~マユもパニックになったって言ってたもんなぁ~
ということで、優しいお姉さんは落ち着くまで待ってあげることにしました。
彼も別にわたしが怖かったわけじゃないと思うし

その間、わたしは家に電話して簡単に事情を説明しました。
家から近い場所だったので、2人でやってきました。
マユは自分じゃないので余裕の表情で「おっちょこちょい親子だね」と言い
メイはパトカーが来ると「かっこいい」と大はしゃぎ
マユの時と同じ警官だったら、どうしよう~~~と思ったら、違いました
だって、恥ずかしいじゃん
で、警察の人に現場検証してもらいました。
大きく左折するにしても限度があるだろう~、2台分の道路を思いっきり使用しての進路変更に警察の人も相手の人に「随分大きく回ったなぁ~」と半ば呆れ顔でした。
でもね、警察って車同士のことだから、一方的に相手を叱ったりはしないんですね。
双方での話し合い(まぁ、保険屋同士の話)で穏便に解決してくださいとしか言わないの。
人身になった場合はまた違うんですが。

で、そうこうしているうちに相手のパパ登場。
そばにいるマユとメイを見て、驚いた表情。
「まさか、子どもじゃないよね。子どもは関係ないよね。」とひきつっているんで、
「違います。この子たちは関係ないです。」というと安心したようでした。
それにしても、私に対しては何もなく、とにかくいきなり保険屋に電話して、
居合わせた車会社の人(相手の子が乗っている車を買った先の人)と、
車の心配ばかりしてるんです。
言うの忘れたけど、新車だったみたい。ピカピカだったもん。
買ってもらってすぐだったみたいです。
それで、親、親、と言ってたのかなぁ~
でもさぁ~~
こういう場合、「すみません」とか謝るとよくないんでしょうけど、
息子の話しをしっかり聞いたら、どっちが悪いかわかると思うんだけど・・
でも、息子も何だかふにゃふにゃしてるし・・・・
まぁ、いいやお互いにケガなかったし。
名前と連絡先も交換したし(2度目なので、ちょっと慣れてる自分が怖い

車の心配はそっちで勝手にやってくれ・・・
私は家に帰ってからでないと保険屋に連絡できなかったので、引き上げることにしました。
相手のパパ、保険屋が今から来るから私にも残って欲しいというんだけど、
お断りしました。
子どもの予定もあったし、事故現場を見て、車の損害を見たら、どういう状況だったか分かると思ったので。
でも、私も一応、相手の車のぶつかった場所などを携帯で撮影しておきました。

私の方の保険屋さんがいうには、今のところ相手が8割、わたしが2割で、相手が指示機を出すタイミングなどが遅かったことを認めたら、もっと割合は変わるそうです。

動いているので、絶対に10対0にはならないらしい
ちきしょ~~~


本当にもう交通事故はこりごりです









肩の力の抜き方は…

2005年10月17日 23時23分01秒 | じぶん

う~ん・・・
特別な意味はない写真です
でも、コレかわいいでしょライターなんですよ
めちゃめちゃかわいくて、去年のバレンタインに夫にプレゼントしたものです。
確かね~700円くらいじゃなかったかな
だんだん安いプレゼントになってくる夫婦愛・・・・


コホン


ちょっと、お疲れモードだった私。
みなさんの暖かいお気遣い、本当にありがとうございます。
いつもは、私を苛めて楽しむクリーン隊長がね、先日アップルパイを作ってくれました
わざわざ、あたしのために~・・・
って、メールしたら・・・多く作りすぎたからだ・・・って

いや違う。きっと私のためだと思う。
んもう、素直じゃないんだから!


事務局に5月に入ってから早5ヶ月が過ぎました。
次から次へと、まるで息つぎできない水泳をずっとしているような感覚があります。

でも・・・今日は代休をいただいて、お家でのんびり・・・仕事してて
ふっと思ったんですが、私は肩の力を抜いてないのかな・・・って。
へんに、力いれてるから、どんどんつらくなって、息が出来なくなってくるのかも。
で、力のぬき具合や、タイミングなんかを、自分で意識してみようと思います。
これって、大事ですよね。






休日

2005年10月10日 23時50分28秒 | じぶん

今日はおうちでゆっくり過ごしました
体調が今ひとつなので、あえて何もしてません
本当はパンでも焼こうかなぁ~とか
子ども達と一緒に粘土つくり(おやこ市で売る小物)しようかなぁ~とか
読書・・・ビデオ・・・
いろいろ考えたんだけど、結局なにもしませんでした。
朝ごはん作って、片付けて、掃除して、洗濯して、ペットたちの小屋の掃除やら物置を片付けて、お昼ごはん作って、片付けて、アイロン掛けして・・・いただけ・・・

あ、そうそう 夕方やっと半年以上伸ばし放題にしていた髪の毛を切ってもらいに美容院に行ってきました。
でも月曜日の休日なので、開いているところを探して、新規で行ってきたんですが・・・
なんか変
いや~私って昔からこうなんですよね~
こんな髪型にしてほしい!!っていう明確なコンセプトなしで、美容師の方に「似合うようにして下さい」っていうタイプ。
でも、一応長さは変えないでほしいことは告げるんだけどね。
だから、気にいらなくても文句いえない
帰ってきた私をみて、娘達が「ママかわいいよ」と慰めてくれるのが有難かったです。

さて、ふつ~に過ごした一日の終わり
子どもたちも主人も寝てしまってから、一人至福の時間を過ごしました。
アロマオイルたらして、ボ~ッと炎を見てるのが好きなんです
本当は、お風呂に入ってするのが好きなんだけどね。
好きなCD流して、本まで持って入ったりします。
でも今日は、ちょっと長湯はやめておきます。
また、次回。
よかったら、みなさんも試してみてね。
心が癒されますよ






父 ・・・   番外編

2005年09月20日 20時19分00秒 | じぶん

孫の運動会を観にきていた私の父が、今日 博多に帰りました。
父は70才、去年 母を癌で亡くして以来、マンションで一人暮らしをしています。
近く・・・といっても、車で30分ほどの距離には、私の姉がいます。
何かとよく父の様子を見に姉は実家へ顔を出してくれていますが、父も元気で地元で行きつけの店をちゃっかり確保していて、曜日ごとに食事に出ている様子です。
先日は、姉と一緒にその一軒に入ったら、従業員さんから姉のことを父の2号さんだと思われたらしく、とてもよくしてもらったそうな・・・・姉は大笑いしたそうです。
一人旅と称して、北海道やら高山やらにもよく出かけています。
孫が大好きでとても元気な父です。

でも、私は父がきらいでした。

父は高校を卒業すると、たくさんの兄弟の長男として、大学よりも働くこと選び、ある有名デパートに就職します。同じデパートで母と出会い、恋をし、結婚し、ふたりの子どもに恵まれ、どんどん出世していき、美術部署の部長に抜擢される順風満帆の人生を送っていました。
ところが、そのデパートを辞めて、自分で画廊を開くようになります。
母とふたりっきりの小さな画廊でした。
はじめは、なんとか売り上げもあったようですが、画廊なんて何のパックももたない素人の父と母では、うまくいくはずもなく、たくさんの負債を抱えるようになります。
家にいる父を借金取りが追いかけにきます。でも、気丈に強気で追い払う母の姿がありました。
テレビドラマのような世界が実際に自分の周りで起きるのを、私はただ呆然とどこか他人事のように見てるしかありませんでした。
なんで、デパート辞めたりしたんだろう・・・その時は、そんな事もも考えましたが、ある部下の不始末を上司である父が全責任を負い退職させられたと知ったのは、随分あとになってからです。

仕事がうまくいかず、借金取りも来るので、昼間から家にいる父。
飲んだくれたり、暴力ふるったり・・・そんなことはなかったけれど、学校から帰って父が家にいることが、とてもとても嫌だった。
母が、家から仕事場までのたった280円のバス代を節約して、疲れた足をひきずるように歩いて帰ってくる姿があるのに・・・
そして、父が母と大ゲンカして、成り行き上、母が足をくじいてしまうことがおきました。私はその日以来、父と口をきかなくなりました。
家賃3万のアパートを滞納して、夜逃げ同然のように別の場所へ引越したときも、
心にふたをしていた自分がいます。

お金は人を変えます。
親しくしていた人が、お金がからむと手のひらを返したように、変わってしまうことを子ども心に見てきました。
担保に入っていた祖父の土地をめぐって争いがおこり、親戚の人でさえ、子どもの私と姉に「まともな結婚ができるなんて思わないことだ」と面と向かって言う人もいました。
「お前の親は、ろくでもない」と言われても、子どもの私にはそれを覆す力も術もなく、ただ黙って下を向いているしかなかったのです。
それでも、なお、私がこの人達から罵声を言われることで、父母が嫌な思いをしなくてすむのなら、私が言われるのは当然の義務だと感じていたし、耳を塞ぎたくなるような祖父母の愚痴(父と母への恨みなど)も聞かなくてはいけないと、学校が長期休みになると着替えを持って泊まりに行っていました。私が小学校の高学年から中学時代の話しです。

そんな中、画廊を閉めて、祖父母から土地をいただき借金の一部にあてることができ、一応の落ち着きを取り戻します。
母の妹が開いていた居酒屋を譲り受け、母は画廊のときよりもあっていたらしく、居酒屋はそこそこに繁盛します。それでも家族4人が生活していくのに、余裕なんてありません。
しかし、父は・・・相変わらずでした。借金とりもこないのに・・・
マスターと呼ばれるだけで、何もせず、母が一手に店を切り盛りしていました。

高校生になったある日、学校から帰ると姉が泣きながら父に怒鳴っていました。
「なんで、私のご飯なんか作ると
「なんで、店に行かんで、家におると
「なんでよ
そう叫ぶ姉の先には、食卓に夕食の準備がしてありました。父が作ったのです。
父は一言も返事をせずに、黙ってテレビを見ていました。
でも・・・泣いているな表情でした。

順風だった人生に、突然、不本意なことで辞めなければいけなくなった仕事。
どれだけ生きがいを感じていたのか・・・
当時の仲間達との写真や、父の手記からも計り知れます。
そこに、私にはわからない陰謀や人間不信になるような何かがあったのかも、しれません。詳しい話は父は一切しません。母もよくは分からないと言っていました。

でも・・・それでも・・・
立ち上がるのをずっと待っていたのは、姉と私・・・そして母でした。

10年間、父は動かずにいました。
居酒屋が立ち退きでなくなることになるのと同時に私の結婚が決まり、その年に、父はなぜか急に警備員の仕事を見つけてきて、黙々と働くようになります。
母は、父からおこづかいをもらったといって、嬉しそうに笑っていました。
苦しい思いをしてきて、やっと父が働き出し、私が孫を生んで、これから楽しくなるね・・・そんな時に、母は癌に倒れ、以来、入退院を繰り返します。
そして、去年とうとう亡くなりました。
その人生がはたして幸せであったのか・・・ふと考えることもあります。
母が癌になったのは、父のせいだと・・・当時は激しい憎悪にかられたこともあります。

でも、病院に毎日毎日、顔を見せていた父のことを、同じ病室の患者さん達からからかわれたと話していた母を思い出すと、まんざらでもなかったのかな・・・とも思います。
父もまた、ぶっきらぼうで、優しい言葉ひとつかけることができない性格のくせに、毎日 ふらっと顔を見に行っては安心していたのでしょう。

母のお葬式での喪主の挨拶で、父が必死に涙をこらえながら、それでも溜まらずに嗚咽する姿を、生まれてはじめて見たときに、私は父を受け入れたのかもしれません。

人生を語るには、まだまだ私は修行不足ですが、決して平たんな道ばかりじゃないことだけは、身をもって体験できました。
両親から何よりの背中を見せてくれている気がします。
だからこそ、私も山ばっかり見えてる時期にも、諦めないのかもしれません。
だって、いつか・・・いつか必ず 諦めなければ、その山の頂上に立てるときがくるもんね
登っては降りて・・・休憩して・・・その繰り返しなのかもしれないけど、それでも前を向いて歩いていきたいなと思います。

これからも、きばってね。
一緒にずっとお酒を飲もうね。お父さん。ありがとう







お休み

2005年07月02日 00時42分21秒 | じぶん

木曜日、お休みをいただきました。
このところ、事務局が閉局の日にも仕事やら会議やらで、
お休みらしいお休みが取れずにいたんですが、
疲れきった顔した私を見て、りじ蝶と事務局長のSさんが
「代休を、ちゃんと取りなさい」とお休みにしてくれたんです。
みなさん、ごめんなさい
お仕事なんだから、あまえてはいけないんだけど
でも、一息つく日がやっぱり欲しくてあまえちゃいました。
事務局長のSさんなんか、夜に中高生や無限大の集まりにも出てるし
閉局のはずの日も事務所でデスクワークしてたりするし
週末も他団体やら、たくさんの仕事をこなしてるんです。
ペーペーの私がSさんをさし置いて代休とってしまいました

それでね、午前中は小学校の役員会で学校へ行きました。
(6年生の娘の学級委員をしているので)
少し早く終わったので事務所に顔を出して、家に帰ってきました。
この日は、短縮の4時間だったので、子どもたちは1時半に帰ってきました。
私が家にいるので、すっごく嬉しそうに2人とも帰ってきたんだけど・・・
それぞれが、「お友達のお家に行ってきま~す!」と
元気に行ってしまいました。
な~んだか、ちょっとさみしい母。
ま、でも元気ならいいか

世の中の働くお母さん、頑張りましょうね













番外編   帰るよ~

2005年06月13日 13時02分52秒 | じぶん

九州と本州を繋ぐ関門橋を渡っています。
行きは山口県の檀ノ浦のパーキングから九州を眺め、帰りは北九州のめかりパーキングから本州を眺めることができます。
ひとつの橋で繋がっている様子を目の当たりにするのは、圧巻です。

車での帰省で、片道やく8時間ですが、県から県へと移動しながら、
その土地や人々の生活を想像し、小学生の娘たちとおしゃべりしながら
楽しい時間をすごしました。

外国旅行もいいけど、国内もいいもんですよね。
私は旅行じゃなくて、帰省ですが・・・

さぁ!明日は事務局に出勤しま~す
きれいになった事務局を載せますね
お楽しみに~


番外編  福岡より

2005年06月12日 22時25分10秒 | じぶん

個人的ですみません 福岡県福岡市の実家に帰省しております。
みなさんは福岡というと何を思い浮かべます?
明太子、ラーメン、福岡ドーム、ダイエー・・・じゃなかったソフトバンクホークス などなど
あ、そういや受験生ご用立ちの大宰府天満宮もありますね。

ところで、福岡と博多の違いって知ってます?
新幹線から降り立った所は、博多駅。
空港から降り立った所は、福岡空港。
西鉄には福岡(天神)駅がある。
福岡県博多市・・・なんてものは、存在していない。
福岡県福岡市博多区は存在する。
九州に住んだ経験のない人は混乱するらしいですね

福岡と博多は江戸時代までは別の町だったのが、明治維新後の廃藩置県などを経て福岡市になったそうです。
もとは別の町からなるツインシティというのは、全国でも珍しいようですね。
昔は博多派の人たちが博多市にしようという運動まであったようです。

さて、写真は福岡市の繁華街、天神に位置する「親不孝通り」(現在は親富孝通り)

この辺りには、気軽に入れておしゃれな飲み屋さんがたくさんあります。
子連れにも親切で安心できるリーズナブルな居酒屋もあります。
そうそう、博多といえば屋台!天神と中州が有名です。
お魚もお酒も最高!
もし博多まで行ったら、是非ぶらっと天神まで遊びに行ってみてください。









いえ~い!

2005年06月09日 21時44分20秒 | じぶん

携帯が新しくなりましたぁ~!…と言っても同じ機種で交換してもらっただけですが。しかも無料~さすが○コモ!太っぱら!というわけで、やっと更新しま~す。でも明日から法要で実家の福岡に帰るので来週の火曜日まで更新できません。ごめんなさい。あ!そ~だ番外編で博多の様子を載せちゃおうかな。エヘッ


携帯が・・・

2005年06月06日 23時23分00秒 | じぶん

やばい!大事な大事な携帯のカメラ機能がおかしいっ
うわ~ん、先日からど~も調子がおかしいなぁ~とは思っていたけど
この掲示板は携帯からいつも送っていたの。
だから、夕飯つくりながらとか、娘っ子たちの宿題見ながらとかにマメに更新できてたの。
携帯は必需品なのだ~どうしよ~O型のたけには携帯じゃないと更新できない~
電話の機能も、どうもおかしい様子
なんで?どうして?落としたから?
んなの、しょっちゅうだったじゃない・・・
それに、車でふんでも無事だったし
今まで数々の困難を乗り越えてきたのに~
・・・というわけで、ショップに行ってくるので、みんな待っててね