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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

過去TOP記事 2012年 1月ー3月 いろいろと、取り組みを。

2012-04-01 15:09:48 | ABOUT this blog
( 2012/01/21~2012/03/31 まで、TOP記事 “ いろいろと、取り組みを。 ” としてUP。 )


“ 古の興廃を改めて、今の例は昔の新儀なり。 朕が新儀は、未来の先例たるべし とて、新なる勅裁 漸く聞えけり。 ”
『 梅松論 』 十八 建武新政より ( 作者不詳 )


作者が はっきりしないため、典拠とするのもどうかと思われる 『 梅松論 』 からの引用ですが、後醍醐天皇の意図した親政を端的にあらわすものとして、現代でも よく耳にします。
「 後醍醐天皇って、誰よ? 」 という方もおいでかと思いますが―― せめて、日本史を 大雑把でもよいので、撫でる程度には知っておいていただきたいもの。 教養、として。

先日、部長に同行した際に、ビジネスの話題になりまして、
「 後醍醐天皇って知ってるか。 ( 「 知ってるよ!! 私を何だと思ってるのか 」 とは、心の中だけのツッコミ )
 『 自分のやることは、突飛に見えるかもしれないが、今の常識は昔の非常識だった 』
 と言った。 君も、ガンガンやっていけよ 」

―― そう、応援 というか、発破をかけられました。
引用文句の意図するものは、
「 現在、通用している 先例は、それが初めて行なわれた時は、不安に思われたものだ。 いま 自分がやろうとしていることも、将来は 当たり前のことになるのだ 」 と、解釈されているようですが…。
正直、困惑しました。

後醍醐天皇は、天皇としては異色の人物で、鎌倉幕府―― というか北条家との、執拗な争い。 ねっとりとした行動の果てに、一応 全面的な天皇親政体制を作りあげるも、実力者の大幹部とうまくいかず、結局 二年足らずで政権崩壊。
のち半世紀に渡る、日本中央の政治、軍事的な混乱を招いた。
端的に言えば、やらかした挙句、死んだ後も迷惑をかけまくった失政者。 『 朕が新儀は、未来の先例 』 と言われても、当時の実情にまったく合わなかったことを押し通したアフォ。 そう解釈している私にとっては、部長の発言は―― ちょっと、ねぇ。

多分、自己啓発の一環にて、自身 覚えられたのであろうと思いますが。 後醍醐天皇の末路を思えば、「 失敗を前提でやれ! 」 と言いたいとしか思えず。
非常識だと分かっていて実行し続けて、大失敗をやらかした、アレを見習えなどと、ナンセンス。
それに、“ 古の興廃を改めて、今の例は昔の新儀なり。 朕が新儀は、未来の先例たるべし とて、新なる勅裁 漸く聞えけり。 ” の解釈は、たぶん、
「 “ 昔に始められたものは、時を経るうちに、その時々の事情にあわせて廃止されたり変更されたりして 残ったものが、『 先例 』 となっている。 自分のやろうとしていることも、いつかは 先例となる―― ( くらいにスゴイんだぜ! ) ” として、これまでにない ご親政が始まったことが、次第に噂となって耳に入ってきた 」
とすべきだと思います。
「 べし 」 を、推量ととるか、当然ととるかで、読み手としては興味をそそられますが……。
良いとも悪いとも、その時点では言っていないし、未来のいまからジャッジするなら、後醍醐天皇は、結局 失敗したのです。

マキアヴェッリの 『 戦略論 』の、

『 何かを為したいと思う者は、何よりも先に準備に専念せよ。
  機会が訪れることを待ってから、準備をしても遅いのだ。 幸運に恵まれる前に、準備は整えておくべきだ。
  それさえ怠りなければ、好機が訪れれば、すぐにそれを捕らえる事が出来るだろう。
  好機というものは、すぐに 捕まえなければ、逃げ去るものだ 』


口にこそ出しませんでしたが、こちらをこそ、心に刻むべきでは と思いました。
準備をしておくということは、アイデアを考えて、いろいろとネタを仕込むということ。 腕を磨くということ。
もちろん、勝敗は兵家の常ですけれど、独善的なまでに新奇なものに飛びつけといわんばかりの 『 朕が新儀~ 』 云々よりは、よほど……。

もちろん、経験を重ねた上で、新しいことに貪欲にチャレンジすることは、たいへん素晴らしいことです。
冒頭画像は、いつだったか、花展にて目にした “ いけばな作品 ”。
コミック原稿を描く際に使うトレース台のように、下からライトアップするタイプの花器。
着色した液体を、型に流してゼリー状に固めたものを、大小サイズを用意。 花びらと合わせて、トレース台花器の上に、いけたもの。
「 これも、いけばな!? 」 そう、当時は、戸惑いましたけれど、自由花型ならば、実力を備えた人間が挑んだ創意としても面白かったなと、この頃 思うようになりました。
年を重ねるとともに、いけばなへの壁が低くなってきたのかと、しみじみと 感じるように――。

閑話休題。
奇抜な ( 草月流は、フラワーアレンジメント傾向が強すぎますが )、斬新過ぎる行為も、常からの練習、鍛錬があればこそ、感動を呼び起こして 高い評価を得られる。
仕事上の取り組みも、同じでしょう。 常からの準備あってこそ、失敗が少なくて済む。 新奇なだけのモノを次々手を付けるよりは、準備万端整って取り組むモノのほうが、私の性分に合っているようです。
そのうえで、いろいろと やってみたいものです。

―― って、長い文章…
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