( 2011/09/10~10/05 まで、TOP記事 “ 3・11と9・11 ” としてUP。 )
あれは、私が大学生であった時のこと。
ちょうど、夏休み明けの ゼミ発表のための原稿推敲中に、あのニュースが流れました。
当時としては、大きな衝撃を受けた―― 記憶があります。
ブッシュ大統領に、直接ケンカを売るほど、アフォなテロリストがいた ということにも、衝撃を受けました。
結局、ゼミ発表の合間や その後の懇親会でも、合衆国 VS ウサマーズ のネタで盛り上がった。
あれから、もう10年。
9・11のあと、合衆国―― ニューヨーク、グラウンド・ゼロのある ロウアー・マンハッタン は、
「 住民のプライド、政府の優遇策、それに 独創的な投資 」
―― によって、見事復興を果たした。
リーマン・ショック、アフガニスタン・イラク戦費による、莫大な金融ダメージはあるが、―― それでも 復興を果たしたのです。
良くも悪くも、合衆国を変えた 9・11。
自殺願望のテロリストによって、始められてしまった戦争は、泥沼となってしまいましたが、あの当時は、「 始めること 」 を合衆国が選択した。
ホワイトハウスも、激しい議論の結果、戦争遂行を決めた。
決まった以上、チーム・ブッシュは、主張の違いこそあれ、一丸となって 取り組んだはずだった。
8月末、チェイニー 前合衆国副大統領が、回想録 『 In My Time : A Personal and Political Memoir 』 を発売( 2011/8/30 )。
当時、ブッシュ政権の国務長官であった コリン・パウエル氏や 彼のあとを受けた コンドリーザ・ライス教授が、ブッシュ大統領へ 「外交や戦争において 適切な助言を行なうことを怠っていた 」 と指摘する記述があり、チェイニー氏の自己弁護だと―― 事実と異なる 卑劣な中傷だと 物議を醸している。
健康に問題がありながらも、必要以上に 職務に励む そのスタイルは、「史上最強の副大統領」 とも、「ダース・ヴェイダー」 とも揶揄された。
9・11の10周年を前に、このタイミングで回想録を発表。
背中から撃たれた感のある、ライス教授も、奇しくも 11月1日には、回想録 『 No Higher Honor : A Memoir of My Years in Washington 』 を発表予定。
ひるがえって、3・11を経験した日本はどうか。
アフォな菅首相が、やっと退陣して、野田内閣が 新たに発足。
誰が受け持とうが、困難なことは明白な 被災地復興問題。
批判や中傷は 出るでしょう。 困難すぎるのですから。
けれど、明確な信念、ビジョンをもって、矛盾なく 取り組むこと。
それさえ ブレなければ、批評こそされても、やがて 理を解する人たちが、内閣を支えるはずです。
どうか、チェイニー氏のように、仲間を撃つような真似をする 卑劣な人間が 今回の内閣には、いないことを願います。
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“ Nobody is perfect. ―― 完璧な人間なんて、いないさ。”
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“ 災難は、勇気を試す機会である。 ”
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“ 真実は 聖なるものであり、人は これを裏切ってはならぬ。 ”
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“ 他者の文化を、自分のものにはしなくても 尊重することこそ、知性である ”
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