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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

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2012-07-14 23:50:13 | ABOUT this blog
( 2012/05/20~2012/07/13 まで、TOP記事 “ 忙殺 ” としてUP。 )
 
人のいないこと、かくも情けないものなのでしょうか。

先月4月から、とかく 仕事が忙しい。 GWの休暇中でさえ、お客さんからのヘルプコールが、朝の5時前に 私の所に入り、結果 6時に直接現地へと 私が飛ぶ羽目になる始末。
何故だ!!?? ( エヴァの碇パパ風に )

まぁ、お客が私をご指名ならば、どこへだって 何時だって 参上します。 先方も、私が朝の4時には起床しているのは織り込み済み。 すべては、お客のために……。

ただ、私以外に 人がいないというのも考えもの。 経験が、一年に満たない私以外に、人がいない―― というのでは、ね。
4月から、新卒の皆さんが入社していますけれど、彼らの成長が待ち望まれます。

***

『 人材がいない 』 、ということで想い出すのが、中国三国時代の蜀漢です。
( 冒頭画像は、NHK人形劇『三国志』で使用された諸葛亮。川本喜八郎人形美術館展示のもの )

“ 蜀は、領有する地域の狭さから、その人材層が薄かった。” ―― とは、アマチュア歴史小説家の定説。
史実としては、人材育成の機関を充実させ得ることが出来なかったために、当然の帰結として人材が少なかった―― というところ。

丞相として、国を執政した諸葛亮。 彼が亡くなる直前、皇帝は、諸葛の担っていた職責の後継者を誰にするかを 使者を遣わして訊ねた。
諸葛は、先ずは蔣琬という男の名前を挙げた。
「 彼の次は 」 と問われ、費禕という男の名前を挙げた。
使者は、その費禕の、次の後継者をも 問うたが、これについては 諸葛は答えなかった。
( 資治通鑑 巻第七十二 魏紀四 青龍二年八月条 より )


―― これを以て、蜀漢の人材は、重責を担えるのは、彼ら二人しかいなかった。 人材が二、三人しかいなかったため、諸葛が沈黙したと解釈する向きがあります。
―― が、それは、どうかと思うのです。

諸葛自身の政権が10年間は続いたことから、彼の後を順番に 蔣琬、費禕が執政していけば、同じ期間くらいはこなせるでしょう。
10年もの時間が経てば、20歳の人間も30歳になる。 子どもも、大人になるのです。
人は、成長するのです。
“ 費禕の後を継げるような、人材は育っている ” と考えるのが普通。
それを、なぜ、現在の今、もはや今日明日にも死ぬ自分が、いまの人材から すべてを決めておかねばならないのか。
前向きなモノの考え方をせず、“ 諸葛の死後のすべてを、諸葛自身に考えてもらおう、教えてもらおう、決めてもらおう ” といわんばかりの蜀人に、諸葛は 少なからず絶望を感じたのではないかと思います。
国家破綻から、自分がやって来た10年間の執政は、結局 ボンクラたちしか育成できなかったのか―― と。

昨今、ヒューマン・リソースの考え方によるなら、人材の育成には、3年が必要のこと。
私自身、いまだに十全に仕事が出来ているわけではない。 職場の皆と、切磋琢磨していきたいものです。

***

“ 攻めない攻めは、攻めじゃない。 ”
SMELL   2012/05/20-07/13 TOP

 
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