Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

東野圭吾「人魚の眠る家」

2018-09-29 17:22:09 | 読書感想文(小説)


東野圭吾の「人魚の眠る家」を読みました。映画を見に行く予定はないのですが、これを機会に久しぶりに読んでみようかなと思って。書店で文庫本が平積みされてるのは知ってましたが、図書館で借りて読むことにしました。なんでかって言うと、東野作品を読み返すことがあんまりないんですよね、私…結末がわかってても読み返す小説は結構あるんですが、東野圭吾については、ちょっと。

それはさておき、小説の感想です。今回もさらっと読めました。多分、トータルで10時間もかかってません。え、結構かかってるじゃないかって?それは寄る年波というものが…ごにょごにょ。


娘の瑞穂の小学校受験が終わったら離婚する-その前提で、播磨和昌と妻の薫子は仮面夫婦を続けていた。しかしある日、面接試験の予行演習のために2人が久しぶりに顔を合わせた時、悲痛な知らせが届いた。医師によれば、瑞穂がプールで溺れて意識がなく、脳死の可能性が高いということだった。このまま二度と目覚めることがないだろうと言われ、脳死判定を受けて臓器提供すると決めた和昌と薫子だったが-


幼い子供の臓器提供の話は、この前「グッド・ドクター」で見たばかりなので、個人的にはタイムリーな話題で、小説の世界にすっと入っていくことができました。ただ、ドラマに出てきた女の子と、この小説の瑞穂は状況がまったく違うので。比較したり重ねたりすることはできなかったのですが。この小説では脳死判定から臓器提供までのディティールが書かれていて、いろいろなケースがあるんだなぁと改めて知りました。臓器提供でも何でも、一つのパターンを知るとすべてをそれに当てはめて考えがちな人はよくいるけど、自分もそうならないようにしないとと気を引き締めるきっかけになりました。ドラマの描写にいちいち突っ込む人みたいにね。

播磨和昌はハリマテクスというIT機器メーカーの社長で、BMI、ブレーン・マシーン・インターフェースという、脳と機械を信号で繋ぐことで、人の体の機能を改善したり回復させたりするシステムを開発しています。正直、文章で読んでもなにをしてるのかイメージしにくかったですが、これをすることで目が見えるようになったり、麻痺していた手を動かせるようになったりするそうです。これが小説だけの話なのか、実現化に進んでいる話なのか気になるところです。

しかし、脳が機能していないと意味がないBMIの技術が、ほぼ脳死状態の瑞穂にどう役立てるのかというと…あまり詳しく書くとネタバレになってこれから小説を読む人には悪いと思いますが、個人的には「倫理的にそれってどうよ」と突っ込みたくなるようなことでした。二度と目覚めることのない娘を、その命が尽きるまでそばにいて見守り続ける、というのならわかるし、自分が親の立場でもそうするだろうと思います。私に子供はいないけど。でも、瑞穂の場合「その命」が尽きてるかどうかの判断が必要で。心臓は動いている。でも脳は機能してなくて、二度と目覚めることはない。彼女の命は尽きているのか、それともまだ生きているのか。その判断をいつ、誰が、何を基準に下すのかの問題提起が、この小説のテーマのひとつなのでしょう。開発中のBMIの力を借りることで、体を動かし、成長する瑞穂。生きている子供と同じように。その目を開くことはないのに。東野圭吾が、瑞穂に奇跡が起きて目覚めるような超科学的な安っぽい結末にするはずないことはわかっていたので、瑞穂を見守り、かいがいしく世話をする母の薫子の姿は、亜哀れに思って同情するもするし、他の登場人物同様に恐ろしくも感じました。映画では薫子の役は篠原涼子が演じるそうですが、悲しみと狂気が混ざり合った母親を、どんな風に演じるんでしょうねぇ。

はい、そういうわけで薫子は深い悲しみを背負った母親として、瑞穂を守るために必死に戦ってるわけなんですが、瑞穂の父親の和昌はというと…一言で言うと、影が薄い。そもそも和昌と薫子が離婚するはこびとなったのは、和昌の浮気が原因でした。しかも、和昌の浮気は、薫子にばれた一回ではなく、それ以前にもばれずに浮気していたそうで。なんということでしょう。いくら映画の和昌役が西島秀俊でも許せません。薫子が綾瀬はるかだったら、ぎったんぎったんにのされるところです。瑞穂の体を生きながらえさせるための費用を和昌が負担しているにしても、和昌は和昌なりに悩んでいるとしても、仕事が忙しいと言って瑞穂のところにはあまり寄らず、BMI研究員の星野に任せっぱなしって、それは薫子への精神的負担が大きすぎます。離婚する予定だったから、夫婦としての愛情が枯れてたからといって、娘のために両親が寄り添わなくていいという理屈にはなりません。こういうところが東野圭吾だよなーと、久しぶりに読んで再確認しました。感情的な母親と、理性的な父親という典型的な図式がなんとも。もちろん、薫子はステレオタイプな母親ではなく、薫子に和昌を上回る理性があったからこそ、瑞穂を守り続けることができたというのは、読んでて伝わってはきたのですが。

でも、途中に出てきた、心臓移植のために募金活動をするボランティア団体の話は、東野圭吾らしいひねりのきいたエピソードでした。それまで見えなかった、薫子の違う一面を覗くこともできたし。どういう一面なのか説明するとネタバレになってしまうので、ここには書けませんが。

研究員の星野が、BMIの研究のために瑞穂と薫子のもとに通ううち、次第に薫子に惹かれていく…という展開はおいおいおいベタかよと突っ込みたくなりましたが、渡辺淳一じゃないのでそれ以上ベタにはなりませんでした。でも一応この小説は医療モノだし、渡辺淳一の作品にも植物状態の家族の世話をする女性の話があったっけなぁ…などと遠い記憶を掘り返してみたりもしました。いや、内容は全然違うけど。ちなみに映画で星野を演じるのは坂口健太郎です。坂口健太郎が星野と呼ばれるのは、「とと姉ちゃん」以来でしょうか(どうでもいい情報)。星野は星野で、研究のためとか薫子のためとか言いつつ、マッドサイエンティスト一歩手前くらいのところにいたと思うのですが、さて本人に自覚があったのかどうか。

この小説は「倫理的にこれはアウトか否か」を徹底的に問う話で、個人的には「内々で秘めて行うならギリセーフ、社会に公表して認めてもらおうとするのはアウト」でした。でも、今の社会でセーフとされていることでも昔はアウトだったこともあるし、その線引きはこれから変わっていくのかもしれませんね。変わるのなら、悲しむ人が少なくなるほうに変わっていってほしいです。

プロローグとエピローグの少年の話は、中居君と鶴瓶の世界仰天ニュースで紹介されそうな話だなとちょっぴり思いましたが、ちょっとだけ余韻が残ってよかったなと素直に思います。でも読んでて中居君と鶴瓶の顔が頭に浮かんだのも事実…。

余談ですが、小説では出番の少なかった和昌の父親役を、映画で田中泯さんが演じるそうです。映画では出番が増えるんでしょうか。でも、泯さんが西島秀俊と共演するなら、ハードなアクションものに出て欲しかったぜ…(涙)

映画の公式サイトはこちら。見に行くかどうかは、ちょっとビミョー(^^;)

コメントを投稿