Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

奥田英朗「沈黙の町で」

2014-11-02 00:48:17 | 読書感想文(小説)



夏休みを間近に控えたある日の午後、中学二年生の名倉祐一が部室の屋上から転落し、側溝で頭を打って死亡した。
警察の捜査の結果、祐一がいじめを受けていたことが明らかになり、テニス部の同級生4人のうち2人が逮捕、2人が補導された。祐一の死はいじめの末の自殺なのか、単なる事故なのか。一人の中学生の死は、閑静な地方都市に住む人々の間に波紋を広げ…。


※若干のネタバレがあります。ご注意ください。








「沈黙の町で」は、映画化で話題の宮部みゆき作品「ソロモンの偽証」と“中学生の謎の転落死を巡って周囲の人々の思惑が錯綜する”という点で共通するものがあります。でも、「中学生が裁判をする」という突飛な設定を前面に出した「ソロモンの偽証」に比べると、この「沈黙の町で」はタイトル通り静かで、派手さのない作品です。結末も明確ではありません。でも、この小説に描かれている中学生たちの姿は、スーパー中学生でもなんでもない、確実に私たち読者の記憶にある中学生増と重なる普遍性があります。小説の冒頭で亡くなった祐一はともかく、祐一の同級生の瑛介や健太、朋美の“中学生らしい”振る舞いは、中学生だったことがある人なら、共感できるのではないでしょうか。たとえ、その共感が苦く、重いものであったとしても。

小説は、祐一の同級生の瑛介と健太とその母親、同じく同級生の朋美、祐一の死体を発見した教師、事件を担当する刑事と検事、そして祐一の母親と視点がころころ変わり、さらに過去と現在が前後して出てくるので、読んでいて少しわかりづらいところもありました。1回読んでからまた読むと、彼らの思惑の擦れ違いとか感情の変化とかがわかりやすくなって、また面白く読めるんでしょうね。

興味深いのは、小説の中で祐一の視点が語られないこと。冒頭で既に死んでるんだから当たり前といえば当たり前ですが、死ぬ前の場面でも、他の登場人物の視点で彼の行動が描かれるだけで、祐一が何を考えて行動していたのかは最後まで明らかになりません。同級生目線で語られる祐一の姿は、ただ単にいじめの被害者として片付けられるものではなく、まだ幼い同級生から「こいつはいじめられても仕方ない」と見捨てられるのもわかるタイプです。もちろん、大人から見れば、「いじめられても仕方ない」で済まされる子供はいないのですが。

では、いじめる側に立つ生徒たちに正義があるのかというと、大人の目で見ればそれもありません。彼らの住む、狭い社会の中でだけ通用するルールは、そのルールを許さない不寛容な大人たちにとってはくだらなくて、互いに反発しあい、軋轢を生みます。キャンプでばか騒ぎしたのを教師に見つかったからという理由で、逆上して集団で暴力をふるう中学生男子。羽目を外した生徒たちをぎりぎりと締め上げて罰する教師。一歩離れたところから見れば、どちらも常軌を逸しています。でも、学校という狭い狭い社会にいる彼らには、それがわかりません。自分よりも弱いものを叩く。叩かれたものはさらに弱いものを見つけ、叩く。雄一をいじめた生徒の1人は、かつていじめられっ子だった。彼にいじめられた雄一は、下級生に暴力をふるった。連鎖はいつまでも続いていて、止まることはない。いつまでも、いつまでも。

中学生たちの母親もそう。自分たちの息子が加害者であるということをはなから受け入れず、無実を信じ、他を敵視する。母親たちがどんなに逃げても、どこかで顔を合わせざるを得ない、狭い狭い狭い地方都市で。シングルマザーの瑛介の母親、仕事を理由に息子から逃げる夫と諍いを起こす健太の母親。彼女たちの言い分は時に自己中心的で腹立たしくもありますが、子供を守ろうと必死に戦う姿は、哀れを誘うと同時に母親の強い愛情を感じました。彼女たちは、たとえこの後自分の息子に不利な証拠が出てきて言い逃れができない事態になっても、子供を信じ続けるんでしょう。それは理屈じゃないから。

良かったのは、警察と検事が中学生たちに振り回されて終わることなく、事件の真相の一歩手前までたどり着けたこと。フィクションの世界では、無能扱いされやすい警察&検事ですが、出番は少なくてもしっかり仕事をしていました。公務員嫌いの奥田さんの割には、警察と検事、それから教師(一人除く)が割と好意的に描かれています。ほかの奥田作品に出てくる公務員って大抵…なのに。

最後の章は、どんな結末を迎えるのかとハラハラしながら読みましたが、ラストは「え、ここで終わり?」とびっくりするような終わり方をしていました。祐一の死の真相は、果たして明らかになるのか。この後、同級生たちはどんな思いで、どんな時間を過ごして大人になるのか。すべては私たち読者の想像にゆだねられてしまいました。もっとも、この後のことをどんな風に想像しても、まっさらで明るい未来は見えてこないのですが。

瑛介、健太、朋美、そして祐一。自分が中学生だった頃、どのポジションにいたのかを思い出そうとすると、胸にドライアイスを押し付けられたような気分になります。誰かを傷つけることを正当化してなかっただろうか。傷つけられている人を見ても「あの人なら仕方ない」と目をそらしてなかっただろうか。自分も傷つけられたんだから、他人を傷つけても構わないだろう、と思ってなかっただろうか。そして、大人になった今の自分は、そこから成長できているだろうか、と。



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