今期のテレビドラマはどの局も視聴率が伸び悩んでいます。出演者のせいというより、脚本と演出がダメダメだからだよなぁ…と文句を言いつつ見ていたのですが…
しかし、そんな私のしょーもない愚痴も、J.ケッチャムの「隣の家の少女」(扶桑社ミステリー)を読んだ途端、
もうどうでもよくなりました。
ストーリーがぐだぐだでなかなか先に進まなかろうが、冬なのに半ズボンだろうが、主人公のキャラがありえなさすぎだろうが、
怒る気になりません。
この小説の悲惨な結末に比べれば、別にいいじゃん…と。
※ここから先は小説のネタバレがあります。
1958年、夏。11歳のデイヴィッドは、ザリガニ獲りに行った小川で美しい年上の少女、メグと出会う。両親を事故で失ったメグは、妹のスーザンと一緒にデイヴィッドの家の隣りにある、チャンドラー家に引き取られたのだった。チャンドラー家は3人の男の子とその母親のルースの4人家族。美しいメグの登場に心躍らせたデイヴィッドだったが、ある日ルースが姉妹を折檻しているところを目にしてしまう。最初はショックを受けたデイヴィッドだったが、その感覚はやがて麻痺し、次第にエスカレートしていくルースの折檻を、ただ見ているだけだった。そしてルースの折檻はメグを地下のシェルターに監禁するまでに至り…
この本に関する評判は前から聞いていたし、文庫のオビに
「最悪なことがおこります」
と書かれてあったので(不幸の手紙か!)、ある程度の覚悟はしていたのですが、ページをめくるたびに目を覆うほどのひどいことが起こり続けるので、どこからが「最悪なこと」なのかわからなくなりました。とにかく読んでて
気が滅入りました。
もうカンベンしてー!!と叫びたくなるくらい。
もちろん、普通に考えたら究極の最悪はメグの死なのでしょうけど、死に至る直前にメグがルースたちにされたことを思うと、死によってやっとメグは解放されたのだ、と安堵してしまいそうになります。もちろん、死んでしまうよりは生き残れるほうが、メグにとってもスーザンにとってもよかったに違いないと思いますが。
メグを死に至らしめた支配者、監禁された地下室に充満する狂気の源はルースでした。作中では、何が彼女をそこまで駆り立てたのかは具体的に出てきませんが、終盤の彼女のセリフからなんとなく想像できるものはあります。ルースがやったことは絶対に許されるものではありませんが、彼女も気の毒な人間なのかもしれません。
ルースも恐ろしいですが、狂人はある意味ホラー小説のお約束でもあります。それ以上に恐ろしいのはルースと一緒になってメグに虐待を加え、犯し、体だけでなく精神まで破壊してしまった、ルースの息子と近所の子供たちです。彼らにとってメグは気晴らしの道具にしか過ぎないのですから。自分と同じ人間だと思ってないのです。彼らはルースのように狂ってしまったわけでもないのに。メグを殴り、辱めた後、子供たちは家に帰って両親たちと温かい夕食を囲み、テレビを見て笑うのです。事件の後、自分の子供が何をしたか知った両親はどう思ったことでしょう。デイヴィッドの父親がデイヴィッドから逃げるように去っていったのもわかります。彼の息子はただ見ていただけだったけれど、それまでずっと父親は息子に「男(子供たち)が女(メグ)を殴ること」を肯定していたのですから。
小説の主人公がデイヴィッドなので、自然デイヴィッドの視点にそって読むことになります。メグを傷つける(そんな生易しいものではないけど)他の子供たちと違って、デイヴィッドは唯一罪の意識を感じる善良な子供なのですが、それゆえに彼がメグたちをなかなか助けようとしないのには読んでてとてもイライラさせられました。クライマックスでデイヴィッドはやっと重い腰を上げますが、その結果…。自分の犯した罪を理解し、罰を受け入れられるのは素晴らしいことだと思うのですが、彼の場合は背負わされた十字架があまりに重すぎます。
実は読み始めたとき、私は事件のショックで精神が歪んでしまったデイヴィッドが、大人になってから事件の関係者に復讐するとか、似たような事件を起こしてしまうのではないかと想像していたのですが、この小説はそんなふざけたものではありませんでした。それどころか、エピローグでデイヴィッドは自分の十字架を更に重くするものを発見してしまいます。デイヴィッドは私が思っていた以上に善良でした。反省。
巻末にスティーブン・キングの長い解説(4章もある!)が掲載されているのですが、ケッチャムを絶賛する一方で他の作家をこきおろすキングの辛口な文章はなかなか面白かったです。文中に出てきた何冊かの本はぜひ読んでみたいと思ったのですが、果たして入手できるかどうか…。あと、キングも書いてましたが、アメリカのペーパーバッグ版の表紙(顔がガイコツのチアリーダー)は本の内容とまったくマッチしてなくて、自分の本をこんな表紙で売られてしまったケッチャムが気の毒になりました。
訳者あとがきに
“最近、ローティーンによる凶悪な犯罪が増えている(中略)『隣の家の少女』は、そんな世紀末の日本で読まれるべき、重要な小説なのである”
とありました。確かに、小説を読んでる最中、実際に日本で起きたおぞましい事件が何度も頭をよぎりました。でも、その事件を起こしたのはルースではありません。ルースによって狂気を支配された子供たちでもありません。小説の中で起きた出来事はおぞましく、気の滅入ることの連続でした。しかし、現実はもっと恐ろしくて救いようのないことが起きているのです。この小説を読んで一番気が滅入ることは、この事実なのかもしれません。
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