Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

松尾スズキ「クワイエットルームにようこそ」

2008-02-16 01:23:00 | 読書感想文(小説)


※ここから先、ネタバレあります。要注意!!


恋人との大ゲンカの果てに薬物を過剰摂取(オーバードーズ)してしまったフリーライターの佐倉明日香(28歳)。明日香が悪夢から目覚めたとき、彼女は無機質な部屋の無機質なベッドの上で手足を5点拘束されていた。部屋のドアの隙間からもれてくるのは、女の絶叫する声。明日香が運びこまれたのは、精神病院の閉鎖病棟にある、さらに閉鎖された部屋「クワイエットルーム」だった。
“自分はこんなところにいる人間じゃない”
最初はそう思った明日香だったが、入院患者たちと触れ合ううちに自分がなぜ「クワイエットルーム」に運ばれたのかを思い出し…

映画を先に見てしまった自分の責任ではありますが、読んでる最中ずっと明日香が内田有紀で明日香の恋人の鉄ちゃんがクドカン、コモノが妻夫木でナース江口がりょうと、映画のキャストが頭に浮かんで困ってしまいました。コモノなんて小説と映画ではビジュアルが全然違うのに。

サイレース、レンドルミン、デパスなど、明日香が過剰摂取した薬物の名前を読んで、自分がこれらにお世話になってた頃を思い出し、少々懐かしい気持ちになりましたが(あとソラナックスとハルシオンとリタリンを飲んでました)、明日香の場合はこれらをアルコールと一緒に一気飲みしたわけですから、そんな感慨を感じている場合ではありません。ドン引きです。死ぬって。やばいって。クワイエットルームで明日香が目覚めた後、泣き崩れた鉄ちゃんの気持ちが痛いほどわかります。ほんとに怖かったんだろうなって。明日香が死ぬと思って。鉄ちゃん尻出してたけど。警察からハッパ隠す余裕もあったけど。ほんとに怖かったんだろうな。

富士山の見えるK病院の閉鎖病棟の面々は、とても個性的。つっても比較する対象を持ってないのですが。ただ、似た境遇の拒食症の女の子が2人出てくるので、どっちがどっちなのかわからなくなりました。映画はこの2人を1人にまとめた役を高橋真唯が演じてました。このほうがすっきりしてよかったです。

クライマックスもオチも、小説と映画は一緒でした。なのでストーリーについては特に目新しい発見はなかったのですが、明日香が抱える心の闇が映画ではクライマックスまでもったいぶって取っておいたのに対して、小説では早い段階で明らかになっていました。確かに明日香がなぜウツになったのかは重要ですが、映画のように序盤からバレバレなのにクライマックスまでひっぱるよりは、さっさとはっきりさせてくれるほうが親切だと思います。

小説は明日香の視点で書かれているので、明日香の内面が詳しく描写されていてわかりやすかったです。映画だとどうしても第三者(カメラ)の目線になってしまうので、登場人物が何を感じているのかわかりにくいときがありますから。まあ、そこを観客が自分で想像して補う、というのが映画の醍醐味でもあるのですが。

逆に、小説は文字だけで世界を構築するので視覚的インパクトが弱い、とも言えます。書かれている言葉だけで閉鎖病棟の患者やナースを想像しようとしても、やはり限度があります。映像だと一発バーン!と出せば済む話ですからね。文字だけの閉鎖病棟はやっぱり軽い印象を受けました。軽いゆえにスピード感があるんですけどね。

閉鎖病棟で2週間、正常と異常、正気と狂気の間をさまよっていた明日香ですが、最後は自分と正面から向き合って、病院を後にすることができました。さて。果たして明日香は同室の栗田さんが言ってたように、「絶対二度と戻らない」でいられるのでしょうか。明日香が他の患者と違うのは、「支えてくれる身内の人間」がいないこと。明日香は自分の存在が重くて苦しんでた鉄ちゃんを、解放してあげる事ができたから…もちろん、病気の身内を支える人たちの存在を否定するつもりはありませんが、鉄ちゃんに「お疲れ様でした」と言えた明日香は、何かを越えることができたのでは、と思います。

この小説を鉄ちゃんの立場(お笑い番組の構成作家なのに、全然笑えない状況に立たされてる)になって読むとかなりツライし、映画を見たときは
「えー、別れちゃうの?」
と驚きましたが、小説を読んだらこれでよかったんだと思えるようになりました。目の前に生身の人間がいないから、そんな風に感じられたのかもしれません。


結局、映画と小説とどっちがよかったのかという話ですが、どっちも一長一短な感じでした。映画は2時間で終わるし、小説も短いからすぐ読めるし。ただ、両方読む(見る)なら、小説を先に読むことをオススメします。映画が先だと、ビジュアルイメージが固定化されちゃうのは、かなりつらかったので。




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