Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

カズオ・イシグロ「夜想曲集」

2017-10-15 18:09:52 | 読書感想文(小説)


カズオ・イシグロの初短編集、「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」を読みました。
ノーベル文学賞受賞で話題の中、既刊本が買いやすくなっただろうと大型書店に行ったら、目当てだった「日の名残り」がなかったのでこれにしました。いずれは読むつもりだったので、別に問題はないんですが。「わたしを離さないで」はハードカバーしか持ってないから、この機会に文庫も買おうかなぁ。

本の内容は、タイトルにあるように、音楽家あるいは音楽を愛する人を主人公にした、夕暮れ時が舞台の五つの物語、です。「夕暮れ時」というのは、一日のある時間帯だけではなく、人生の最盛期を過ぎ、翳りを帯び始めた時期も指している話もあります。

五つの話の中には、同じ人物が登場するものや、同じではないけれど似たような場所が舞台のものがあります。一人の人物を別の視点で見た二つの物語、共通する場所で人と時間を異にして起きる二つの物語は、そうと知らずに読むのと知って読むのとでは読後の感想が変わってきそうです。まだ一度しか読んでないので、次に読む時が楽しみです。それまでに話を忘れてないといいけど…。

では、それぞれの感想を。

「老歌手」
ベネチアのサンマルコ広場で演奏するギタリストのヤネクは、客の中にアメリカの大物シンガー、トニー・ガードナーを見かける。ギタリストの母親は、かつてそのシンガーの熱烈なファンだった。彼はギタリストに彼とその妻のために、あることを依頼するのだが…

ガードナーのレコードをめぐる、母親との遠い思い出には、哀しくも温かいものがあるのに対し、現在のガードナーの様子が、荒んでいるというほどではないもののどこか空虚に感じるのが、対照的でした。貧しいわけではなく、金は充分ある。長年連れ添った妻とは、親密な関係を築いている。けれども、ガードナーが求めてやまないものは、別のところにある。カムバックのために彼が犠牲にするものとは。囚われてるのは、音楽なのか、地位と名声なのか。アメリカ人のガードナーと、旧共産圏からの移民のヤネク。かつて成功した者とそうでない者。音楽は、ベネチアではどちらも異邦人の2人を強く結び付けてくれるけれど、それだけでは埋まらない隔たりもある。自分の力ではどうすることもできない、もどかしさとじれったさに切なくなりました。

ガードナーの妻リンディは、落ち着きがなくつかみどころのない女性で、彼女の心境は詳しく描かれないので、愚かだけど罪のない女性として、ただ同情するだけでした。この話を最後まで読んだ時点では。

移民のヤネクがベネチアで受けている差別のくだりは、数年前なら対岸の火事として「大変ねぇ」で終わっていたところですが、最近ではもう他人事ではなくなっているので、我が事に置き換えていろいろ考えながら読みました。この短編集では他の話でも同様の事が書かれていますが、自分にもう少し政治的・社会的背景の知識があればよかったのになと残念に思いました。

「降っても晴れても」
語学学校の教師として、ヨーロッパを転々としているレイモンド。大学時代の親友夫妻、チャーリーとエミリは、レイモンドがロンドンに帰郷するたび温かく迎えてくれた。しかし、ある日、彼がロンドンのチャーリー夫妻の家を訪れると、そこには今まで感じたことのない険悪な空気が漂っていた…

成功して裕福に暮らすチャーリー夫妻と、ヨーロッパのあちこちで不安定な生活を続けているレイモンド。立場は違うけれど、学生時代に築いた友情は変わらない…と思いきや、まさかの真実が発覚してしまう。親友だと信じていた人たちに見下されていたことを知ったレイモンド。彼は悲嘆にくれていたはずなのに、素直な性格が災いして、物語は予想もつかない方向に転がっていく…「わたしを離さないで」のイメージが強烈だったので、まさかカズオ・イシグロがこんなコメディを書くとは思いもよりませんでした。チャーリーのとんでもない指示に、素直に従うレイモンドの姿はツッコミどころ満載で、レイモンドの心境を考えると笑っていいのか迷うところですが、想像するとその様子があまりにシュールなので、これはぜひ映像化して欲しいと思いました。レイモンドの一人芝居で、舞台化するのもよさそうです。舞台化なら日本でもできるから、誰かやってくれないかなぁ。

「モールバンヒルズ」
カバーではなく自作の曲を演奏するミュージシャンになろうと、作曲に励んでいた青年。ロンドンを離れ、故郷モールバンヒルズで姉夫婦の経営するカフェに居候することになる。故郷独特の居心地の良さと息苦しさを感じていた彼の前に、ティーロとゾーニャという、夫婦連れの旅行客がやってくる。陽気な夫と神経質な妻。彼らもまた、ミュージシャンだった。青年は彼らに自作の曲を披露するが…

ティーロとゾーニャのように、カフェや宿のサービスが行き届かなかったとき、一方が寛容で他方が神経質というのは、旅行中の夫婦あるあるみたいで微笑ましく思いましたが、一緒にいるのが苦痛になって、別々の場所にたたずむ彼らの姿から、やはりいい加減に扱ってはいけない問題なのだなと考え直しました。いや、独身の私が考え直してもあんまり意味ないけど。

姉夫婦のところに居候する青年が、給料をもらわない代わりにカフェの手伝いをぞんざいにするというのが、妙にリアリティがありました。なんかこう…うん、朝ドラとかにいそう。朝ドラなら最後に作った曲が有名プロデューサーの耳に入ってくれたりするけど、さあどうでしょう。朝ドラじゃないからわかりませんね。

「夜想曲」
才能はあるのに容姿に恵まれず、うだつの上がらないサックス奏者。去っていった妻を取り戻すために、一念発起して整形手術に挑み、高級ホテルの特別階に滞在することになる。ある日、彼は自分の隣室にいる、彼と同様整形手術を施したばかりのセレブ女性のもとを訪ねることになり…

売れないサックス奏者・スティーブが、整形手術をきっかけに知り合ったのは、セレブリティのリンディ・ガードナーだった…はい、ひとつめの話「老歌手」に出てくるトニー・ガードナーの奥さんです。「夜想曲」のリンディは、ガードナーと離婚したばかりのようなので、時期的には「老歌手」より少し後の話です。「老歌手」のリンディは、どういう女性なのかよくわかりませんでしたが、この「夜想曲」では、彼女はエキセントリックで、目を離すと何をするかわからない危なっかしさもありますが、とてもチャーミングです。人を見る目もありそうです。「老歌手」を読んだ時は、リンディのその後が心配でしたが、「夜想曲」の後には、きっと大丈夫だろうと安心できました。リンディに太鼓判を押されたスティーブも。じゃあ、リンディを手放したガードナーは…?

スティーブとリンディの真夜中の冒険は、そんなことありうるんだろうかと突っ込みたくもなりましたが、ジェットコースターみたいなスリルがあって面白かったです。ホテルにとってはいい迷惑でしょうけど。

「チェリスト」
アドリア海に面したある町の広場。「ゴッドファーザー」を演奏していた“私”は、客の中にある懐かしい顔を見つける。7年前、チェリストとしてともに演奏していた、ハンガリー人のティボールだ。彼はその広場であるアメリカ人女性・エロイーズと出会い、彼女から奇妙な個人レッスンを受けるが…

才能あるチェリストだと自称するエロイーズの部屋には、チェロが置いてない。ティボールは訝しむけれど、彼女を信じてレッスンを続ける。これはミステリーなのか?と疑問に思い、謎を解き明かすヒントはないか探りながら読み進めました。彼らがいるのは、ベネチアと同じように、アドリア海に面したイタリアの観光地で、観光客向けにメジャーな曲を演奏するのは「老歌手」のヤネクと同じです。最初と最後の話で、舞台が同じイタリアの観光地というのは、意図したものなのでしょうか。また、「老歌手」は移民のヤネクの視点で描かれているけれど、「チェリスト」の語り手はおそらく移民ではなく、ハンガリーから来たティボールとアメリカから来たエロイーズについて語っています。舞台は同じで視点は正反対。ヤネクとトニー・ガードナーの間に起きた出来事を、その場にいたイタリア人のゴンドラの船頭から見たら、どうだったんだろうとふと考えました。船頭は音楽家じゃないから、「チェリスト」の語り手と一緒にはできませんが。

小説や映画に出てくる音楽家は、世界的に有名だったり有名じゃなくても才能があったりしがちなので、そのどちらでもない音楽家たちの話というのはちょっと新鮮でした。「チェリスト」を最後まで読んだら、設定は全然違うのに、ドラマ「カルテット」をふと思い出しました。あのドラマのキャストで「チェリスト」を映像化したら面白そうだなー、なんて。エロイーズは松たか子で、ティボールは松田龍平かな?語り部は満島ひかり、語り部の演奏仲間のフェビアンは高橋一生、とか。エロイーズを吉岡里帆にして、ティボールを高橋一生にするのも面白そうです(←ドラマ見てない人にはわからない話)。

「夜想曲集」の次は今度こそ「日の名残り」を読もう、と思っていたのですが、先日行った大型書店でも品切れだったので、次は「わたしたちが孤児だったころ」にしました。「充たされざる者」もあったけど、ページ数が京極夏彦並みだったので先送りに…読む読む詐欺にならないよう、がんばるぞー。


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