江分利満氏の優雅な生活

山口瞳に関する覚え書き
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戦中派

2006-02-26 | 山口瞳
 正介さんは動物好きで、少年時代に鳥や鯉を飼っていた。飼ってきた鯉を間引きしようとしたとき、山口夫妻は息子をきつく叱ったという。「間引きはアウシュビッツと同じだ」。生まれてくる命を、人間の都合で殺してはいけないということだろう。そういえば、山口家の庭の木々も、枝を剪定することもなく伸び放題であった。

 この考えのもととなっているのは、次の二つの体験だと私は思う。一つは「戦争」であり、いま一つは治子さんの「或る病気」に書かれた体験だ。後者については、今ここに書く気になれない。

 何を書いても戦争のことになってしまう、と山口瞳は言っている。山口瞳は、出生日が事実通り1月19日であれば、特攻隊などで死亡していた確率が高かったと考えていた。だから、何を書いても戦争のことになってしまう、という。山口瞳より数歳年上の人たちは、山口瞳以上に生涯「戦争」こだわっていた。例えば、古山高麗雄、梅崎春生は、何を書いても「戦争」のことになってしまった作家である。何を書いても私小説になってしまった作家である。山口瞳以上に、書くものすべて「戦争」のことになり、私小説になってしまうのである。山口瞳が、「戦争」の思いを抱きつつ高度経済成長期の中を仕事に邁進する一方で、古山や梅崎はその間もずっと「戦争」とそれに対する思いに囚われていたように思える。それが書くものに如実に現れている。

 むろん、それが〈山口瞳の「戦争」に対する思いが薄い〉というわけではなく、「戦争」に費やした時間の多寡であり経験量の差に起因し、それはとりもなおさず生まれた年の違いによる。山口瞳も古山や梅崎らと同じく人格形成期と「戦争」とが重なった世代であり、「戦争」が山口瞳の人格に重大な影響を与えたことは間違いないが、山口瞳以上に人格形成期における従軍期間が長かった古山や梅崎は、その長さと体験に比例するように人格形成において甚大な影響を受けている。

 例えば古山の『断作戦』(1981)『龍陵会戦』(1983)『フーコン戦記』(1997)という戦記三部作と『二十三の戦争短編小説』をみると、古山はデビュー以来作家生活のほとんど全時期にわたってコンスタントに戦争小説を書いていることが分かる。梅崎はその作品のほとんどが徴兵前後のことを書いている。この二人は、生涯戦争のことを考え続けた作家といいだろう。

 対して、山口瞳は従軍体験を小説にしておらず、「男性自身」の「卑怯者の弁」に書いている程度だ。このほか、軽井沢に疎開した時のエピソードを「三人姉妹」(『華麗な生活』)、「混血の空」(『続世相講談』)、「お菓子を」(『小説新潮』1975.2)に、学生時代の援農体験を『酒呑みの自己弁護』と単行本未収の「少年」(小説新潮1973.5)に書いているが、古山高麗雄と比べてみると、戦争体験を小説化した作品は少ない。山口瞳は晩年になると、戦争に触れた文章がほとんど見あたらない。

 山口瞳が「戦争」から受けた影響は、従軍体験や疎開経験といった具体的体験によっているわけでなく、徴兵されるため20歳まで生きられない、という前提のもとに生きざるをえなかった時代風潮によっている。

『衣食足りて』と「がんばれ悪太郎」「暗い日曜日」

2006-02-21 | 山口瞳
 河出書房から、山口瞳の単行本未収録エッセイ集『衣食足りて』が発売されました。食べ物や酒に関する文章6篇、『洋酒天国』編集長時代の思い出、『芸術生活』に連載したコラム「流行」と朝日新聞の匿名コラム「季節風」、「礼儀作法」の単行本未収録作品、「男性自身」未収作品集に漏れた作品6篇が収められています。
 
 「礼儀作法」の単行本未収録作品が未読でしたので、楽しく読みました。表紙のトリスバーの写真もいいです。ただ、各章のタイトルがセンスありません。コラム「流行」と「季節風」を収めた第二章は「流行の季節風」、「男性自身」と「礼儀作法」を収めた第三章は「男性自身の礼儀作法」です。あまりにも安直です。

 なお、今回「男性自身」未収作品集『これで最後の巻』『最後から二冊目の巻』に漏れた「男性自身」の文章をこの本で補っていますが、「男性自身」シリーズにも未収作品集二冊にも今回の補遺にも漏れた文章がまだ2篇あります。それは、

751回「がんばれ悪太郎」(『週刊新潮』1978年6月22日号)
976回「暗い日曜日」(『週刊新潮』1982年10月28日号)

です。新たな単行本未収作品集を刊行する際、可能であれば補っていただきたいと思います。

荷風『断腸亭日乗』

2006-02-20 | 山口瞳
 荷風の『断腸亭日乗』を見ると、その読書量と幅の広さに驚く。これによると、日本古典・中国古典をかなり読んでいることがわかる。荷風は学生時代中国語を学んでいたので、そのとき併せて中国古典も学んでいたのだろう。

 山口瞳の「男性自身」日記シリーズは、荷風の『断腸亭日乗』を模倣していると思われるが、荷風と比べると、その読書量や範囲には格段の差がある。日記シリーズのころは、山口瞳はほとんど日本現代文学しか読んでいない。ときには、1986年11月19日のように、鴎外全集7巻を半分ほど読んだという記述もあるが、ごく少ない。第7巻は翻訳と小説が半々になっている巻だ。また、総合誌・中間雑誌・週刊誌はほとんど目を通していたようだ。

山口瞳他『新入社員諸君、これが礼儀作法だ!』

2006-02-16 | 山口瞳
 3月28日、山口瞳他『新入社員諸君、これが礼儀作法だ!』(新潮文庫540円)が発売されます。2004年に刊行された同名のムックを文庫化したものです。はっきりいって、いい加減な本です。特に後半は不要です。新潮社も落ちたものだな、と感じました。斉藤十一がこの本を見たら、激怒するのではないでしょうか。文庫化にあたって、後半部分をどのように処理しているかが見ものです。

時系列に作品配列する

2006-02-15 | 山口瞳
 大学の文学部の卒業論文では、現存の作家は扱ってはいけないという不文律があったそうだ。当時現存の永井荷風で卒論を書いて、教員に却下されたので大急ぎで別の作家で書いた、という話を聞いたことがある。今はさすがにそういうことはないだろうが、評論を書く場合はやはり物故した作家のほうが書きやすいとは思う。作品が出そろっているし、生涯を通覧した上で作品を見ることが出来るからだ。

 ある作品を分析するときに、その作品だけでなく他の作品との関係性や作家の生涯と考えあわせた上で分析すると、いろいろなことが分かってくる。たとえば山口瞳の作品をジャンル別に時系列で配列し、それに作家の年譜とを重ね合わせてみると、小説が全く無くなりエッセイが増えている時期があることに気付く。理由を考えてみると長篇の準備をしていたためだろうか、あるいはエッセイ自体が掌編小説のような体裁を取っているから短篇小説がないのかもしれないと思ったりする。

 政治や経済との関わりも大切である。それらをエッセイや作品の中でどのように言及しているのか、あるいは全く触れないでいるのかという所から、作家のタイプを考えることもできるのだ。山口瞳は「男性自身」ではほとんど社会問題に言及することが無く、小説では『世相講談』全三冊と学生運動の頃に『けっぱり先生』を書いたことが目に付く程度だ。もちろん山口瞳が、世に背を向けた生活を送っていたわけではなく、自分自身の問題意識に重ならない社会問題をエッセイや小説にするのは主義に反すると考えていたのだと思われる。だから自分自身の問題意識と社会問題とが重なった場合は執拗に論じている。それはたとえば残存日本兵の問題であり、清水幾太郎の再軍備の発言に対してである。