江分利満氏の優雅な生活

山口瞳に関する覚え書き
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『巷説天保水滸伝』始末記

2005-09-29 | 山口瞳
 文章を書くには時間がかかる。書くための物理的な時間よりは、考えをまとめるまでの時間がながい。資料が思うように集まらなかったり、資料を入手してみると、予想していた結論に反するようなことが書いてあったりする。

 30枚程度の文章は、着想から一年で書き上げるのがよいと思っている。調べたことを要領よくまとめ、自分の考えを資料的に裏付けながら述べていくと、だいたい30枚で収まる。30枚というと400字詰め原稿用紙で12000字、600行である。一日2行分書き継いでゆけば、一年で30枚の文章一篇書くことができる。

 一気に書ける人は天才である。一夜漬けの苦手な私は、ちょっとずつ書いてゆくことにする。

 山口瞳について書くときも同じである。山口瞳の『巷説天保水滸伝』や「繁蔵御用」を例に述べてみよう。正直言って、最初は何も知らなかった。もともと歴史小説が苦手であり、また侠客になんの興味もないため、飯岡助五郎や笹川繁蔵さえ知らなかった。講談『天保水滸伝』も、タイトルさえ知らなかった。

 まず、飯岡助五郎・笹川繁蔵・天保水滸伝で検索した。飯岡町(平成17年7月に合併、旭市)や笹川町のHP、講談研究者のHPなどがヒットする。それで大まかな話の筋を把握することが出来る。ただ、役場のHPは墓とか跡地の写真ばかりで詳しいこと分からないし、講談研究者のHPは、さまざまな講談を取り上げているので、必然的に一つ一つに対する調べが薄い。やはり、専著を読むべきだ。

 そこで、地元で一番大きな図書館にある『天保水滸伝』関連の本をすべて読むことにした。全部で10冊も無かった。一冊一冊本を読んでゆき、ノートにまとめたりしていった。図書館にない本は買って読んだ。新井愚太郎などがあるが、一番良いのは伊藤実『飯岡助五郎正伝』(ろん書房1995)。

 研究書だけでなく、講談の速記本なども読もうと思った。
 『天保水滸伝』は、宝井馬琴が嘉永3年(1850)に作ったものがもとになっているという。この嘉永3年本がどこにあるのか未だに分からないが、宝井馬琴の『長編講談 天保水滸伝』(神田出版 1949)は見ることが出来た。

 嘉永版成立にあたっては、伊東凌潮という講談師の協力に寄るところが大きかったそうだ。勢力佐吉についての情報提供を受けたのだ。

 伊東凌潮の弟子に当たるのが松廼家太琉。彼の講談を速記した 松廼家太琉『改良天保水滸伝 飯岡助五郎』(ろん書房 2004)がある。
 
 山口瞳が参考文献を挙げているのだが、神奈川県立図書館や国会図書館にないので途方に暮れた。出版社名を書いていないことにも困惑した。知っている限りの図書検索サイトで、いろいろなキーワードで検索したら、やっとみつかった感じだ。著者名や書名では出てこなかった。あまりにマイナーな本だったのだが、山口瞳が『天保水滸伝』について書いたときは、研究書がそれしかなかったのだ。今は、それを下地にした研究書が何冊かあるので、それを読めばよいのだが、山口瞳が何を見たのか?と考えるためには、そのマイナーな本を見なければならない。

 半年ほどすると、講談の『天保水滸伝』がどういう話なのかはもちろん、どういう研究書があって、どういう内容なのかはすべて把握できた。半年前まで講談『天保水滸伝』の名前さえ知らなかったのだから、調べれば調べるだけ分かってくるというのが励みになる。まるで、すこしずつ霧が晴れてゆくかのように、『巷説天保水滸伝』の制作背景や構想が分かってくるのである。もちろん、他の人に比べたら常識的な事なのだろうけども、私にとっては進歩である。こんな私でも、頑張ればそれなりに進歩するのだと自信を持つことができる。

単行本未収録作品の入手方法

2005-09-17 | 山口瞳
1、新聞

 五大新聞(朝日・毎日・読売・日経・産経)は、都道府県立図書館なら縮刷が揃っていると思う。神奈川県立図書館にはある。
 地方紙、スポーツ紙は、都道府県立図書館にあることもある。あまりないと考えた方がいい。神奈川県立図書館なら神奈川新聞と夕刊フジが揃っている。地方紙ならその土地で最も大きい図書館に尋ねれば入手できるのかもしれない。横浜にある新聞ライブラリーもかなりある。利用者が少ないのでやりやすい。ここになかったら、国会図書館。所蔵についてはHPに検索システムがある。
 
 国会図書館所蔵のものは、地元図書館を通じて複写郵送を依頼できる。料金はA3で約25円、マイクロフィルムの場合一枚150円。ほかに梱包代と郵送代がかかる。また、依頼してから入手まで2週間ほどかかるので、時間のある人だけにおすすめする。国会図書館にしかない資料が複数ある場合、複写郵送サービスの方がいいと思う。報知新聞は、水道橋の野球体育博物館にある。

2、雑誌

 総合雑誌(例・『中央公論』、『文藝春秋』)は都道府県立図書館にいけばバックナンバーが揃っているはず。ただし欠号も多い。なかったら、日本近代文学館大宅壮一文庫へ。前者は、文学系の雑誌に強い。所蔵雑誌が検索できる。後者はさまざなま雑誌が揃っている。どちらにもなかったら国会図書館に依頼。国会図書館も欠号が多く、国会図書館にもない場合は「日本の古本屋」やネットオークションでこまめに探すしかない。

3、単行本

 地元図書館、都道府県立図書館、在住都道府県内の大学図書館、国会図書館の順に調査する。「日本の古本屋」などで入手するのもよい。実際に掲載されている文章が単行本の数頁だけ、という場合は、雑誌と同じ手続きをとる。神奈川県の場合、神奈川県立図書館の他、横浜市中央図書館も所蔵図書が多い。

4,社内報など

 PR誌、社内報、パンフレットなどは、入手が難しい。発行元や関係者にお願いしてご厚意にすがるしかない。合併したり倒産した企業・銀行については、私もどうしたらいいのか分かっていない。ご教示を乞う。

私小説の規範

2005-09-17 | 山口瞳
 山口瞳の『還暦老人ボケ日記』『還暦老人憂愁日記』『年金老人奮戦日記』日記シリーズは、「老いて死んでゆく様」を書いたという。日記シリーズを初めて読んだ時は中学生か高校生だったので、山口瞳の意図を理解するまでに到らなかった。あれから十年以上経って、少しだけ、その考えを理解できるようになってきている。歳をとるにつれて、共感が強くなってゆくのだと思う。


 山口瞳は、心の中をさらけ出すような書き方をする。それが魅力の一つである。読者は、山口瞳に秘密を明かしてもらったように感じて、親近感を覚える。

 すべてをさらけ出すような書き方は、太宰治の影響ではなかろうか。父との葛藤を描いた諸作品は、太宰の凄惨な私小説を思わせる。

 山口瞳は、中学生の頃太宰にいかれていた。中学の同級生奥野健男に、「日本には三人の天才がいる。中野重治と保田与重郎と太宰治だ」と囁いたことがあった。奥野はその言葉で太宰を手に取り、太宰に魅入られて評論家となっていった。

 山口瞳がこの三人を挙げたのは、自身の価値観というより、家庭教師の一高生樫原雅春の影響の方が大きかった。樫原は後に講談社の重役になる人物である。単行本『世相講談』の奥付けを見ると、発行者が樫原になっている。

 山口瞳や奥野健男が中学生だった終戦直前の当時に、新作を発表していた若手は太宰だけだった、ということもある。『晩年』を愛読した。

 紀行文の規範を井伏鱒二・内田百に求めたように、私小説の規範を太宰治と木山捷平に求めたように思える。

文芸評論家

2005-09-01 | 山口瞳
 外国の現代文学を研究する人は、フランス文学者、英米文学者、もしくは翻訳家などと呼ばれる。日本の現代文学だけは、文芸評論家と呼ばれる。日本文学者とは言わない。なぜだろう。

 文芸評論家には様々なタイプがある。奥野健男は、作品の内奥を教えてくれるような、そういう作品論を主体とする評論家である。文芸評論家の中には、作家の声を伝えることに軸をおく人もいる。編集者出身の人が多い。山本容朗氏がその典型である。木村久邇典という人は、山本周五郎についた編集者で、山本の作品目録や評伝を完成させている。山本周五郎自身から聴いた話を書いている。木村氏だから聞き出せた非常に貴重な話も多い。
 聞き書きのできるのは編集者の特権である。

 作品を読み解くことは、作者が死んでも、時代や国を隔てていても可能である。言語の壁があったとしても、翻訳があるし、なかったとしても、辞書を引いていけば数年あれば読み通すことは出来るだろう。風習や時代背景なども、参考文献をひもとけばそれなりに理解し得るはずだ。

 作品を読み、親族や友人の文章を併せ読んで作者像を作り上げ、作品制作の背景を探る。それが古典文学についてを何か書こうとする際の一般的な方法だ。作者の旧宅や作品の舞台となった場所を訪れることもあるが、それが作品読解に影響を与えることは、一般的には少ない。

 現代文学では、そうはいかない。作品読解だけでは不足である。作者の妻や子供、友人が生きていることがある。作者に会うことさえできることがある。現代文学の研究をしたいのならば、作者と同じ時代に生まれた幸運を生かし、できるかぎり関係者に逢っておく必要がある。それが、後世の研究者のために行うべき義務でもある。

 大谷晃一『評伝 梶井基次郎』(沖積舎)には、執筆のために関係者、友人130人に会ったと書いてあった。この本は梶井の没後50年時に取材したものである。梶井が若年で没したとはいえ、130人を探し当て、取材をしたその情熱に心打たれる。この手法は、ノンフィクションに近いのではないか。

 作品読解だけに集中していると、作者に会う労を厭うものぐさに思われるかもしれない。作品から読み取れる作者像と、実像との違いを感じることもあるだろう。それは考察を深める契機だと考えることにする。私も、これからは少しずつ山口瞳のご家族や友人達にお会いしていきたいと思う。お許しいただければの話だが。

 なお、大谷氏は『大阪学』で知られる大学教員。元帝塚山大学学長。新聞記者出身なのに文章が生硬で、『評伝 梶井基次郎』は読みづらい。要注意。