文章を書くには時間がかかる。書くための物理的な時間よりは、考えをまとめるまでの時間がながい。資料が思うように集まらなかったり、資料を入手してみると、予想していた結論に反するようなことが書いてあったりする。
30枚程度の文章は、着想から一年で書き上げるのがよいと思っている。調べたことを要領よくまとめ、自分の考えを資料的に裏付けながら述べていくと、だいたい30枚で収まる。30枚というと400字詰め原稿用紙で12000字、600行である。一日2行分書き継いでゆけば、一年で30枚の文章一篇書くことができる。
一気に書ける人は天才である。一夜漬けの苦手な私は、ちょっとずつ書いてゆくことにする。
山口瞳について書くときも同じである。山口瞳の『巷説天保水滸伝』や「繁蔵御用」を例に述べてみよう。正直言って、最初は何も知らなかった。もともと歴史小説が苦手であり、また侠客になんの興味もないため、飯岡助五郎や笹川繁蔵さえ知らなかった。講談『天保水滸伝』も、タイトルさえ知らなかった。
まず、飯岡助五郎・笹川繁蔵・天保水滸伝で検索した。飯岡町(平成17年7月に合併、旭市)や笹川町のHP、講談研究者のHPなどがヒットする。それで大まかな話の筋を把握することが出来る。ただ、役場のHPは墓とか跡地の写真ばかりで詳しいこと分からないし、講談研究者のHPは、さまざまな講談を取り上げているので、必然的に一つ一つに対する調べが薄い。やはり、専著を読むべきだ。
そこで、地元で一番大きな図書館にある『天保水滸伝』関連の本をすべて読むことにした。全部で10冊も無かった。一冊一冊本を読んでゆき、ノートにまとめたりしていった。図書館にない本は買って読んだ。新井愚太郎などがあるが、一番良いのは伊藤実『飯岡助五郎正伝』(ろん書房1995)。
研究書だけでなく、講談の速記本なども読もうと思った。
『天保水滸伝』は、宝井馬琴が嘉永3年(1850)に作ったものがもとになっているという。この嘉永3年本がどこにあるのか未だに分からないが、宝井馬琴の『長編講談 天保水滸伝』(神田出版 1949)は見ることが出来た。
嘉永版成立にあたっては、伊東凌潮という講談師の協力に寄るところが大きかったそうだ。勢力佐吉についての情報提供を受けたのだ。
伊東凌潮の弟子に当たるのが松廼家太琉。彼の講談を速記した 松廼家太琉『改良天保水滸伝 飯岡助五郎』(ろん書房 2004)がある。
山口瞳が参考文献を挙げているのだが、神奈川県立図書館や国会図書館にないので途方に暮れた。出版社名を書いていないことにも困惑した。知っている限りの図書検索サイトで、いろいろなキーワードで検索したら、やっとみつかった感じだ。著者名や書名では出てこなかった。あまりにマイナーな本だったのだが、山口瞳が『天保水滸伝』について書いたときは、研究書がそれしかなかったのだ。今は、それを下地にした研究書が何冊かあるので、それを読めばよいのだが、山口瞳が何を見たのか?と考えるためには、そのマイナーな本を見なければならない。
半年ほどすると、講談の『天保水滸伝』がどういう話なのかはもちろん、どういう研究書があって、どういう内容なのかはすべて把握できた。半年前まで講談『天保水滸伝』の名前さえ知らなかったのだから、調べれば調べるだけ分かってくるというのが励みになる。まるで、すこしずつ霧が晴れてゆくかのように、『巷説天保水滸伝』の制作背景や構想が分かってくるのである。もちろん、他の人に比べたら常識的な事なのだろうけども、私にとっては進歩である。こんな私でも、頑張ればそれなりに進歩するのだと自信を持つことができる。
30枚程度の文章は、着想から一年で書き上げるのがよいと思っている。調べたことを要領よくまとめ、自分の考えを資料的に裏付けながら述べていくと、だいたい30枚で収まる。30枚というと400字詰め原稿用紙で12000字、600行である。一日2行分書き継いでゆけば、一年で30枚の文章一篇書くことができる。
一気に書ける人は天才である。一夜漬けの苦手な私は、ちょっとずつ書いてゆくことにする。
山口瞳について書くときも同じである。山口瞳の『巷説天保水滸伝』や「繁蔵御用」を例に述べてみよう。正直言って、最初は何も知らなかった。もともと歴史小説が苦手であり、また侠客になんの興味もないため、飯岡助五郎や笹川繁蔵さえ知らなかった。講談『天保水滸伝』も、タイトルさえ知らなかった。
まず、飯岡助五郎・笹川繁蔵・天保水滸伝で検索した。飯岡町(平成17年7月に合併、旭市)や笹川町のHP、講談研究者のHPなどがヒットする。それで大まかな話の筋を把握することが出来る。ただ、役場のHPは墓とか跡地の写真ばかりで詳しいこと分からないし、講談研究者のHPは、さまざまな講談を取り上げているので、必然的に一つ一つに対する調べが薄い。やはり、専著を読むべきだ。
そこで、地元で一番大きな図書館にある『天保水滸伝』関連の本をすべて読むことにした。全部で10冊も無かった。一冊一冊本を読んでゆき、ノートにまとめたりしていった。図書館にない本は買って読んだ。新井愚太郎などがあるが、一番良いのは伊藤実『飯岡助五郎正伝』(ろん書房1995)。
研究書だけでなく、講談の速記本なども読もうと思った。
『天保水滸伝』は、宝井馬琴が嘉永3年(1850)に作ったものがもとになっているという。この嘉永3年本がどこにあるのか未だに分からないが、宝井馬琴の『長編講談 天保水滸伝』(神田出版 1949)は見ることが出来た。
嘉永版成立にあたっては、伊東凌潮という講談師の協力に寄るところが大きかったそうだ。勢力佐吉についての情報提供を受けたのだ。
伊東凌潮の弟子に当たるのが松廼家太琉。彼の講談を速記した 松廼家太琉『改良天保水滸伝 飯岡助五郎』(ろん書房 2004)がある。
山口瞳が参考文献を挙げているのだが、神奈川県立図書館や国会図書館にないので途方に暮れた。出版社名を書いていないことにも困惑した。知っている限りの図書検索サイトで、いろいろなキーワードで検索したら、やっとみつかった感じだ。著者名や書名では出てこなかった。あまりにマイナーな本だったのだが、山口瞳が『天保水滸伝』について書いたときは、研究書がそれしかなかったのだ。今は、それを下地にした研究書が何冊かあるので、それを読めばよいのだが、山口瞳が何を見たのか?と考えるためには、そのマイナーな本を見なければならない。
半年ほどすると、講談の『天保水滸伝』がどういう話なのかはもちろん、どういう研究書があって、どういう内容なのかはすべて把握できた。半年前まで講談『天保水滸伝』の名前さえ知らなかったのだから、調べれば調べるだけ分かってくるというのが励みになる。まるで、すこしずつ霧が晴れてゆくかのように、『巷説天保水滸伝』の制作背景や構想が分かってくるのである。もちろん、他の人に比べたら常識的な事なのだろうけども、私にとっては進歩である。こんな私でも、頑張ればそれなりに進歩するのだと自信を持つことができる。