江分利満氏の優雅な生活

山口瞳に関する覚え書き
※当blog内の文章の無断転載・無断引用を禁じます。

文蔵

2005-12-29 | 山口瞳
 国立の焼きとん屋「文蔵」の八木方敏さんは、山口瞳の十歳下というから、1936年生まれ、今年69歳だ。とてもそうはみえない。50代半ばから60代前半に見える。非常に若々しい。

 私がいったとき、注文していない焼きとんを出してくれた。レバー、ハツ、シロをタレだったとおもう。サービスかな?間違いかな?と思ったけど、美味しそうだったのでなにも言わず食べてしまった。レバーは噂通り絶品。

 しばらくして間違いに気付いた文蔵さん。その笑顔が良かった。「間違えちゃったね。ごめんなさい」この方は本当に善良な人だな、と思った。帰り際にもお詫びを言ってくれた。間違いと分かっている私が悪いのに。また来ようと思った。

 文蔵は日曜・祭日が休みなので、行くとしたら土曜日になる。東京に行った帰りに寄ろうと思うが果たせないでいる。営業時間は現在午後6:30から10:00。むかしの写真を見ると「5:30から」という張り紙が見える。年齢のこともあって営業時間が短くなっているのかもしれない。

 ちょっと驚いたのが、立派な三階建ての建物の一階に文蔵があったことだ。二階は何かの事務所、三階は住居らしい。『居酒屋兆治』でイメージを作っているのでちょっと面食らった。でも、店の中は、「まさしく居酒屋兆治」

 ある人が、毎週行きたくなる居酒屋がいい居酒屋、といっていた。その伝でいくと、文蔵は間違いなくいい居酒屋だ。おすすめはレバーとつくね、煮込み。とくに、煮込みは素朴でいい。常連の方は、追加注文をしないで、最初に食べたいものを全部注文している。 

あいうえお

2005-12-27 | 山口瞳
 私が行くお寿司屋さんは、だいたい回るほうだ。回らないお寿司屋さんはお勘定がこわい。「あいうえお」を注文しなければそれほどお勘定は高くないそうだが、それでもこわい。「あいうえお」とは「あわび」「いくら」「うに」「えび」「おおとろ」のこと。

私は「あいうえお」があまり好きではない。旬のものが食べられればそれでいい。今、寿司ネタで旬なのはサバ。この時期のサバは本当に美味しい。山口瞳のエッセイの中でも、繁寿司でしめ鯖を一皿食べる青年の話があった。

 山口瞳が、寿司屋で注文するものは決まっていて、コハダ、中トロ、穴子、カンピョウ巻き。あとは酒のつまみに「げそ」、お腹が空いたときは「素巻き」。どれも寿司屋の技量が特に問われるものである。この注文からも、山口瞳のこだわりがうかがえる。

 山口瞳が、相撲の帰りか何かで寿司屋に入ってコハダを注文した、という一節があった。描写から、夏らしい感じがした。この文章を読んだとき、漠然と、夏にコハダが食べられることを不思議に思っていた。マグロなら冷凍保存も出来るだろうが、コハダのような小さな魚を冷凍保存するところなど聞いたことがない。コハダの初物が出始めたころかもしれないと思った。

 コハダに限らず、魚の旬がわからないことがある。さすがにカツオや秋刀魚などは分かるが、寿司屋に一年中ある穴子やコハダは、旬はいつなのかと疑問に思っていた。そこで『すきやばし次郎 旬を握る』(文春文庫)という本をめくってみたら、やっぱりコハダの旬は秋から冬と書いてあった。ただし、今は一年中取れるらしい。だから夏でもコハダが食べられるのだ。しかし、いくら日本列島が細長いとはいえ、コハダがなぜ一年中取れるのかが不思議である。この理由は「すきやばし次郎」さんもよく分からないと言う。穴子は、基本的には一年中それほど味がかわらず、6月から7月にかけてが特に美味しいそうだ。

山口瞳交遊録

2005-12-26 | 山口瞳
 山口瞳と関わりのあった人たちについて、個条書きにまとめてみた。50音順。未定稿。

 嵐山光三郎…もと『太陽』編集長。エッセイスト。山口瞳に「ひげが似合う」と言われた。山口瞳没後、たびたびエッセイに取り上げ、ブームを作った。
 池島信平…もと文芸春秋社長。編集者時代の山口瞳を励まし続けた。
 池波正太郎…気質的に通じるところがある、とした。
 井崎脩五郎…競馬評論家。山口瞳ファン。
 石川喬司…競馬評論家。対談あり。
 石原慎太郎…作家。山口瞳は河出書房編集者時代、原稿依頼にいった。石原を「センセイ」と呼んで「やめてくれよぉ」と言われたという。 
 伊丹十三…映画監督、俳優。山口瞳が河出書房時代に知り合う。その頃はデザイナーだった。明朝体のレタリングは日本一うまいと評された。
 色川武大…『怪しい来客簿』が山口瞳に絶賛される。
 岩橋邦枝…作家。山口瞳が河出書房編集者時代に担当した。20年近い間ブランクの後、作品を発表しはじめた頃に山口瞳と再会し、以後山口瞳が亡くなるまで親しくした。
 上田健一…毎日新聞社主筆。早大での同級生で、その交遊は生涯続いた。山口家が一家離散したとき、半年ほど上田家に身を寄せていた。
 内田百…高橋義孝が師事したドイツ文学者。山口瞳は孫弟子にあたる。
 梅崎春生…戦争の体験を生涯書き続けた作家。山口瞳が「戦後十五年史」の中で「戦後は遠くなりにけり」と書いたことについて、梅崎は「戦後はまだ終わっていませんよ!」と言ったという。梅崎の問題意識は、山口瞳のと重なるところがあって、「桜島」と「幻化」について山口瞳は繰り返し言及している。また、『江分利満氏の優雅な生活』連載時に、梅崎が『風景』でのエッセイで山口瞳の文章を褒めている。
 江国滋…エッセイスト。落語評論で大きな功績がある。山口瞳が古今亭志ん生「大津絵」を聞きたいと江国にお願いしたところ、見事に実現してくれた。
 遠藤周作…山口瞳が編集者時代、お金を貸してくれる。そういう点ではしっかりした人だと評する。
 扇谷正造…もと週刊朝日編集長。600字を3分割する方法を教えてくれた。山口瞳が尊敬するジャーナリストの一人。
 大内延介…将棋九段。『おちこぼれ将棋教室』の連載に協力してくれた。
 大江健三郎…伊丹十三の同級生。のちに伊丹の妹と結婚する。山口瞳に作品を見てもらったことがあった。
 大橋巨泉…タレント。山口瞳に師事。
 大西守一…河出書房時代の同僚。『洋酒天国』の募集を伝えてくれた恩人。
 大山康晴…将棋十五世名人。山口瞳は大山の棋風を愛した。
 岡本喜八…映画監督。『江分利満氏の優雅な生活』を映画化。この映画を代表作『肉弾』とともに印象に残る作品としている。ただし会社の方針とあわず上映はわずか1週間だった。
 奥野健男…麻布中の同級生。文芸評論家。
 開高健…芥川賞作家。『洋酒天国』初代編集長。山口瞳のサントリー入社を決めた。
 梶原雅春…山口瞳の中学時代の家庭教師。後に文芸春秋出版局長となる。すぐ怒ることから「激昂仮面」と呼ばれていた。
 梶山季之…作家。山口瞳を「心友」と呼んだ。
 河口俊彦…将棋七段。将棋ペンクラブ設立に尽力。山口瞳にペンクラブ大賞選考委員を依頼する。
 川端康成…鎌倉では隣家。
 北杜夫…麻布中の二期後輩。
 木山捷平…敬愛する作家。
 倉本聡…シナリオライター。麻布中の後輩。何度か対談している。
 黒尾重明…もとプロ野球投手。小学校時代の同級生。「天地衰弱説」で小説化している。「男性自身」の「英雄の死」に詳しい。
 小林桂樹…俳優。映画『江分利満氏の優雅な生活』TVドラマ『血族』で江分利満役、山口瞳役を演じた。思い出に残る作品としてこの二作を挙げている。
 坂根進…サントリー時代の同僚。なんでも知っている坂根さんと言われた。
 沢木耕太郎…ノンフィクションライター。山口瞳いわく「ただ者ではない」
 司馬遼太郎…山口瞳を愛読。
 島尾敏雄…河出時代に担当。開かれた小説を書いて下さいとお願いした。
 庄野潤三…山口瞳の好きな作家。
 ジェリー伊藤…俳優。妹・花柳若奈の夫となる。
 関保寿…彫刻家。ドスト氏と呼ばれ、山口瞳の紀行文に欠かせない存在である。
 芹沢博文…将棋九段。色川武大「男の花道」(『明日泣く』所収)に詳しい。
 高橋義孝…山口瞳が師事したドイツ文学者。
 高見順…作家。鎌倉アカデミアで英文学を教える。
 竹中浩…陶芸家。
 竹西寛子…作家。河出書房時代の山口瞳の部下。
 田沼武能…写真家。河出書房時代からの交遊で、日本一のカメラマンと評した。
 檀一雄…河出書房時代に担当した。
 常盤新平…翻訳家、作家。山口瞳に師事した。山口瞳の作品を最も深く愛し最も深く読み込んだ最高の愛読者。
 永井龍男…敬愛する作家。
 中上健次…作家。個人的交遊もあった。
 中原誠…将棋十六世名人。個人的にも親しかった。
 生江義男…桐朋学園校長。『けっぱり先生』のモデル。
 沼田陽一…鎌倉アカデミア時代の友人。作家。
 野坂昭如…仲が良かった。よく対談した。
 波多野和夫…早大での同級生。桐朋短大教授。交遊は生涯にわたって続いた。
 広沢栄…鎌倉アカデミア時代の友人。シナリオライター。
 古山高麗雄…作家。河出書房時代の同僚。ふたりで競輪に行ったりした。
 前田武彦…鎌倉アカデミア時代の友人。放送作家。
 丸谷才一…英文学者。小説家。対談集がある。
 宮野澄…鎌倉アカデミア時代の友人。作家。
 向田邦子…『思い出トランプ』ほかを絶賛。
 虫明亜呂無…評論家。旧友。
 村島健一…文筆業?旧友。直木賞直後の山口瞳を励まし支え続けた。
 村松剛…文芸評論家。河出時代に知り合う。
 村松博雄…医事評論家。麻布中での同期。著書『町医者』がある。村松の死は山口瞳に衝撃を与え、断筆宣言をする契機となった。村松剛とは従兄弟同士。
 守谷兼義…波多野和夫の湘南中の親友。守谷、波多野、上田健一、山口瞳は年に一度集まって家族ぐるみの交遊を生涯続けた。
 八木方敏…谷保駅近くの焼鳥屋「文蔵」店主。『居酒屋兆治』のモデル。
 矢口純…もと『婦人画報』編集長。『江分利満氏の優雅な生活』を連載させた。
 安岡章太郎…山口瞳の後見人的存在。『江分利満氏の優雅な生活』が雑誌掲載されているのを奥様がたまたま見つけ、安岡に教えた。あとで酒場で山口瞳に会ったとき、安岡が褒めてくれたという。
 柳原良平…イラストレーター。山口瞳の本の装丁やイラストを多く手がける。「男性自身」でもずっと書き続けた。
 矢野誠一…演芸評論家。志ん生の「大津絵」を演じてもらうときに江国滋とともに交渉にあたった。『志ん生のいる風景』に詳しい。人前で「大津絵」をやったのは山口瞳の時が最後ではなく、その一年ほど後にも歌っていたが、その時はもうほとんど声が出ていなかったと書いてある。
 山川方夫…作家。『洋酒天国』の編集を手伝う。その経緯や仕事ぶりは小説「シバザクラ」に詳しい。
 山口正介…息子さん。作中では「庄助」と呼ばれる。『親子三人』『父はこうして死んだ』がある。
 山口治子…奥様。作中では「夏子」と呼ばれる。
 山口英男…将棋の師匠。ヒデちゃん流で名を馳せる。
 山藤章二…『酒呑みの自己弁護』のイラストを担当する。東芝勤務時代、山口瞳率いる東京トリス軍と対決したことがある。
 山本周五郎…敬愛する作家。一度だけ逢ったことがある。
 山本容朗…國學院での同級生。編集者を経て文芸評論家。
 吉行淳之介…敬愛する作家。文壇での後見人的存在で、山口瞳はなんでも吉行さんに相談した。
 吉野秀雄…山口瞳が師事した歌人。鎌倉アカデミアで教鞭を執る。『小説・吉野秀雄先生』に詳しい。 

一つの店に決める

2005-12-25 | 山口瞳
 アメリカ産牛肉が輸入されることになった。私はあまり牛肉が好きではないし、安全性に疑問を抱いているので、半年くらいは肉類を避けようと思う。野菜と魚があればいい。我が家は家庭菜園で野菜を作っているので、市販されているものと比べ物にならないほどおいしい。魚で好きなのは鰺、シマアジ、秋刀魚、鰯、カンパチ、カツオ、ブリなど。鰺、秋刀魚、鰯は焼き魚にするとご飯が進む。シマアジ、カンパチ、カツオは寿司だ。ブリは煮物。いずれも旬の時は本当に美味しくて安い魚だ。また、サバも好きだ。旬の今は、しめサバが最高である。マグロは茶漬けにして食べる。刺身の残りをしばらくわさび醤油につけて、ご飯に載せ、そこに熱いお茶をかけるのだ。マグロの色が変わって肉のようになり、またマグロのうまみがお茶ににじみ出て、非常に美味しい。

 山口瞳は、食べ物のことを書くことはあまり好まなかった。酒でさえ、味のことなどはほとんど言わない。男子厨房に入らず、といった人だったようだ。だからグルメな開高健については、批判的であったそうだ。山口瞳は、一つの店に決めて、通い続けた。味はもとより、店の雰囲気や店員の気働きで選ぶようだ。何度も何年も通い、時間をかけて店員と関係を作って、家族みたいになってしまう。これは、山口瞳が人見知りだったということに起因しているだろう。たいていの人は、長い時間一緒にいると、それなりに親しくなるのだ。何度となく接する、ということが大切だ。何度も会っている人には、少しずつ情がわいてきて、親しみを感じるようになる。

お前達に呑ませる酒は作ってへん

2005-12-22 | 山口瞳
 サントリーが、なにかのキャンペーンで本をくれた。ウイスキーに関する本で、ウイスキーができるまでの工程や、ウイスキー工場で働く人たちの言葉、ウイスキーの飲み方などが書かれている。その中に、「角瓶が空になっても、真っ逆さまにすると、まだ13滴出てきます」という一節に笑った。これを書いた人はきっとお酒の好きな人だ。

 しかし、サントリーの創業者である鳥井信治郎は、お酒が好きではなかった。テイスティングに関して天才的な才能をもっていたそうだが、プライベートではほとんど呑まなかったそうだ。「お酒は仕事を終えた人がくつろぐために飲むもの。やけ酒で儲かっても困る」という主旨のことを言っていた。この考えは今の社長も受け継いでいるようだ。酒造メーカーが、「やけ酒で儲かっても困る」というのは、なかなかの見識だと思う。

 信治郎が家に帰ってみると、息子達が酒を呑んでいた。それを見た信治郎が血相を変えて「酒なんか呑むな!」と怒鳴ると、息子が「お父さんだってお酒を売っているじゃないか!」と言い返した。それに対する信治郎の啖呵がいい。「お前達に呑ませる酒は作ってへん!」といったそうだ。このエピソードはいろいろと考えさせられる。

 山口瞳の母は、酔っぱらって帰ってくる山口瞳に対して、「お前さんに酒を呑む資格はないよ」としかりつけたそうだ。何歳になっても半人前扱いだったという。鳥井信治郎と山口瞳の母が私の心象で重なる。