江分利満氏の優雅な生活

山口瞳に関する覚え書き
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小玉武『係長・山口瞳の<処世>術』小学館文庫

2014-12-28 | 山口瞳
小玉武『係長・山口瞳の<処世>術』小学館文庫が刊行された。奥付は2014年12月。
もとは2009年、筑摩書房から刊行されたものである。

小玉氏は、サントリーで、山口瞳の部下として働いていた方である。その経験を生かして、山口瞳について論じている。

優れているのは、山口瞳『人殺し』について独自の見解を示したところである。
残念なのは、ご自身の経験談など、山口瞳とかかわりの薄い記述が少なくないところである。
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山口正介『江分利満家の崩壊』(新潮社)

2013-03-06 | 山口瞳
山口正介『江分利満家の崩壊』読了。
治子さんが亡くなるまでの2,3年を中心に描いたものである。読んでいて、自分自身が正介さんになったような、生々しさがある。治子さんが亡くなってからもうすぐ2年になるが、正介さんの気持ちはまだ整理しきれていないのだろう。特に、治子さんの死が間近であった時期の描写が、胸に迫る。

川本三郎の書評(毎日新聞掲載)が出色だった。
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山口瞳の紀行文

2011-01-16 | 山口瞳
 1,紀行文執筆の契機
 
 山口瞳の紀行文は、『なんじゃもんじゃ』『湖沼学入門』『迷惑旅行』『酔いどれ紀行』「武蔵野写生帳」『草競馬流浪記』『温泉へ行こう』『新東京百景』がある。1969年1月に『なんじゃもんじゃ』を始めてから、1987年10月に『新東京百景』を終えるまで、ほぼ絶え間なく紀行文を連載している。

 紀行文執筆の契機について、山口瞳自身は、《『血族』を書き上げたあと、自分で行動しないと書けなくなったので、編集に頼み込んで紀行文を書かせてもらった》からだと述べている。ただ、この言葉は、『酔いどれ紀行』以降の紀行文を書く契機であり、それ以前の紀行文『なんじゃもんじゃ』『湖沼学入門』『迷惑旅行』にはあてはまらない。

 『血族』以前の紀行文を書く契機となったのは、『世相講談』連載終了だろう。山口瞳は、『世相講談』の連載終了後、同じ掲載誌で最初の紀行文である『なんじゃもんじゃ』の連載を始め、それ以降、『湖沼学入門』『迷惑旅行』『酔いどれ紀行』「武蔵野写生帳」『草競馬流浪記』『温泉へ行こう』と、立て続けに紀行文を連載している。『世相講談』連載終了が紀行文を書く契機になったようだ。

 また、『世相講談』は様々な業種の人に取材した小説である。「自分で行動」して書くという点では、紀行文と同じである。だから、『世相講談』終了後に、紀行文の連載を始めたことは、「自分で行動」して書くという点では、連続性がある。
 

 2,紀行文の手本
 
 山口瞳は、紀行文制作の上で、内田百、井伏鱒二を手本としたと述べている。例えば、山口瞳が同行者をあだ名で呼ぶのは、内田百の影響だろう。『迷惑旅行』「川の松永、海の鞆」は内田百の紀行文をもとにしている。
 井伏鱒二の影響と考えられるのは、その土地の歴史や名勝、主要産業をコンパクトに盛り込む点だろうか。もちろん、これらの事柄は、紀行文であるなら当然盛り込むべき情報ではある。しかし、井伏の紀行文は、これらがとりわけきちんと整理されているのだ。また、井伏の紀行文では、その土地ゆかりの文学者について思い入れをこめて書かれている。山口瞳はこの点も意識していたように思われる。

 3,紀行文を書くときのポイント
 
 山口瞳は、紀行文を書くときのポイントとして以下の4点をあげている。

1,よき相棒を見つけること。ただし、一日は自由行動の日を作る。
2,一箇所にじっとすること。飲み屋に行くのも、同じ飲み屋へ何度も行く。毎晩行く。
3,枚数は長くないといけない。
4, 媒体を選ぶこと。良質なユーモアを理解する読者がいる媒体。

出典:「スポーツ気分で旅に出ようか」(『ナンバー』100号1984,6,5)沢木耕太郎との対談。


 また、男性自身シリーズの「紀行文の書き方」(『私の根本思想』所収)という文章では、上記の4点を詳しく説明した後、新たに2点付け加えられて説明している。

5,メモを取ること。写真は役に立たない。絵を描くと、土地の人が話しかけてきて面白い話が聞くことができる。
6,健康に留意すること。いかなる旅でも冒険旅行であることを免れない。三宅島の噴火など、近場の旅でも災難に遭うことを覚悟しなければならない。

 山口瞳は、これらの事を意識して紀行文を執筆していたようだ。

 山口瞳は、日本交通公社出版事業部編『お楽しみ途中下車』(同事業部刊)の書評(『週刊読書人』1965・12・6号)を書いている。その中で、本の紹介と長所を褒めたあとで、希望を二つあげている。

 1,その土地らしい風物の記事が欲しいということ。
 2, また、主要都市ではなく、あまり知られていない街を取り上げてほしいということ。その土地の記事とは主要産業や名勝、名産であり、一行でいいから触れてほしいという。主要都市云々については、北海道を例に挙げ、帯広や富良野、上川に触れてほしかったとする。

 山口瞳自身の紀行文に対する考え方をうかがい知ることが出来る文章である。



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備忘録

2011-01-16 | 山口瞳
論創社より、『世相講談』上中下、山口瞳対談集、追悼文集上下が刊行されています。

ある作家が、先日の日経新聞の夕刊で、追悼文集について言及していました。

手元に新聞がないので、うろ覚えですが、備忘のため記しておきます。

論創社から毎年のように山口瞳の本が出版されていて、

奥様からお送りいただくので、まるで山口瞳が生きているような錯覚を覚える、とのことでした。

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『愛別離』

2007-12-29 | 山口瞳
2007年11月、山口瞳の単行本未収録短篇集『愛別離』が刊行された。
所収作品は以下の12編。

「愛別離」「三人姉妹」「むし虫いたします!」
「泣いている」「法律」「小説・競馬必勝法」
「すばらしき妻」「川のようなもの」
「山毛欅」「お菓子を」「酒の害について」「ライオンズ狂い」

このうち、「愛別離」「山毛欅」「ライオンズ狂い」は
『文藝別冊 総特集山口瞳 江分利満氏の研究読本』(河出書房新社)所収。

これで山口瞳のすべての短編小説が単行本に収録されたわけではない。以下の作品が未収である。

1 「俺は19歳」(『カトレア』1963.8-1964.12、全17回)

 『カトレア』は、コーセー化粧品のPR誌。「俺は19歳」所収の号は国会図書館にも近代文学館にもなし。コーセーに直接問い合わせるしかない。

2 「月見草」(『小説新潮』1972.11)

 『考える人たち』の連載第11回。単行本には未収録。
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