小菅御殿
ウォーキングがてら北千住に行く時は、東京拘置所の前を通ります。
東京拘置所は平和橋通り沿いにあり、隣には「小菅万葉公園」があります。
拘置所とその公園の境に石灯籠があり、葛飾区登録有形文化財となっています。
なぜ、東京拘置所に石灯籠があるのか。
不思議に思いました。
それで拘置所のある場所(東京都葛飾区小菅)の歴史を調べてみました。
江戸時代初期 : 関東郡代伊奈氏の下屋敷
1736年 : 8代将軍徳川吉宗により屋敷内に小菅御殿が設置される
(鷹狩り用の御休所となる。)
1792年 : 御殿の廃止
1832年 : 御殿の跡地に小菅籾蔵を設置
(飢饉に備え籾米を貯蔵する。)
1855年 : 大地震により籾蔵壊滅
1859年 : 籾蔵跡の一角に小菅銭座が設置される
(寛永通宝の鋳造開始。)
1869年 : 小菅県となり、県庁が置かれる
1871年 : 廃藩置県により小菅県廃止、煉瓦工場が置かれる
1878年 : 小菅集治監獄(小菅刑務所の前身)が置かれる
(煉瓦工場は官営となる。)
1923年 : 関東大震災がおこり、煉瓦工場廃止
1945年 : 小菅刑務所に拘置所を併設
1971年 : 巣鴨から東京拘置所(スガモプリズン)が移転、東京拘置所と改称される
(参考資料は記事の最後に記載)
資料により、1,2年前後することがありますが、大体こんな感じでした。
この略歴を見れば、拘置所に石灯籠がある理由が分かります。
徳川の御殿様、鷹狩りに来ていたんですねぇ。
ところで、先日東京拘置所にて「東京拘置所矯正展」が行われ、行ってきました。
拘置所は広い敷地を有しており、立ち入り禁止エリアもありましたが、
かなり自由に敷地内を歩くことができました。
敷地内の一角(旧庁舎の裏手辺り)に松の木が生えており、
根元には拘置所とあまり関係のないような石碑など歴史を感じさせるものがありました。
その一つが石灯籠。
(もう一つありました。)
説明板などないので、いつの時代のものかは分かりませんが、
もしかするとこちらの石灯籠も小菅御殿時代のものかもしれません。
滅多に入れない東京拘置所。
史跡を見ることができて、すごくうれしくなりました。
参考資料
- ウィキペディア・小菅
- 東京人(2012年3月増刊「葛飾区を楽しむ本」 都市出版)
- 東京拘置所の説明板 など