今日お勉強したこと・・・思いつくままに。
昭和49年、私が生まれる前。根洗学園という児童施設が始まった。
昭和58年、私が小学生のころ。根洗作業所という小規模授産所が始まった。
平成元年、私が中学生のころ。浜松協働学舎が始まった。
これまでの歩み。諸先輩方は決して歩いていたわけではなく、きっと無我夢中で走り続けてきた。少なくともあと10年は走り続けていくだろう。
福祉というのは走り続けなければいけないのだと再確認した。
どんなことでもそうなんだと思う。
満足するのは大切なことであるし、満足感を得ていなければ毎日は楽しくないように思う。ただし満足感をいつまでも同じように感じていられるかといえばそうでもない。だからもっと満たされたいと感じる。
人は次から次へと湧き出てくる「満たされたい。」という思いのために歩み続ける。
人は生まれてきたときにもっとも満たされた瞬間を迎えるという。
歳をとると色々と重ねるものも増えてくる。
何事もあきらめないことが大切だ。
それが大きいか、小さいかは大切なことである。
職員は雇われているという感覚を一刻も早くなくしたほうがよい。
これからも諸先輩から学ぶことはたくさんあるなぁと感じました。
昭和49年、私が生まれる前。根洗学園という児童施設が始まった。
昭和58年、私が小学生のころ。根洗作業所という小規模授産所が始まった。
平成元年、私が中学生のころ。浜松協働学舎が始まった。
これまでの歩み。諸先輩方は決して歩いていたわけではなく、きっと無我夢中で走り続けてきた。少なくともあと10年は走り続けていくだろう。
福祉というのは走り続けなければいけないのだと再確認した。
どんなことでもそうなんだと思う。
満足するのは大切なことであるし、満足感を得ていなければ毎日は楽しくないように思う。ただし満足感をいつまでも同じように感じていられるかといえばそうでもない。だからもっと満たされたいと感じる。
人は次から次へと湧き出てくる「満たされたい。」という思いのために歩み続ける。
人は生まれてきたときにもっとも満たされた瞬間を迎えるという。
歳をとると色々と重ねるものも増えてくる。
何事もあきらめないことが大切だ。
それが大きいか、小さいかは大切なことである。
職員は雇われているという感覚を一刻も早くなくしたほうがよい。
これからも諸先輩から学ぶことはたくさんあるなぁと感じました。