映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

現代映画批評の虚言 (1)

2012年03月25日 | 憑映堂雑記
●映画批評の病理
 単に文章が面白い・達者というだけの次元であれば、『キネマ旬報』(キネマ旬報社)にも、それ相応の書き手は揃っているとは思います。エッセイのような、コラムのような、物語や俳優の好き嫌いを適当に面白おかしく論じて置けば、それなりに誌面は埋まるでしょうし、或いは、感想文として“作品批評”を読む限りにおいては、何の不足もありません。とは言え、所詮、感想文はどこまで行っても個人の感想に過ぎず、例えれば、料理を食べて「美味しい」「まずい」と語るようなもの。《料理》を語っているようでいて、実際にはそれを食べた《自分》を語っているだけ。映画に戻れば、《映画》を語っているようでいて、実際にはそれを見た《自分》を語っているだけです。なので、多くの映画批評(感想文)を読む度に、「なぜ、あなたの好みを知る必要があるのか!?」という疑念や、「なぜ、映画を語らないのか!?」という憤怒で、頭がいっぱいになってしまいます。きっと、《映画》を語っているようでいて、実際には《自分》を語っているという自覚症状が、多くの映画批評(評論家やライター)には無いのでしょう。


●孤高の時評
 そんな中にあるからでしょうか、山根貞男さんの“日本映画時評”からは“孤高”といった印象を抱かされます。そこでは、当り前のように映画と、その表現が具体的に語られて行きます。「まだ見ていない映像が浮かんで見える!」とまで言えば、少々大袈裟になりますが、確実に存在する“ある場面”や“あるカット”への言及であったり、作品を通しての主義主張の一貫性や、その有無であったり、表現されている点と表現し損ねている点が具体的な指摘によって峻別されて行きます。なので、まだ見ていない作品までもが、ぼんやり浮かんで見えて来そうな、そんな錯覚にさえ陥ってしまうのです。その逆に、映画のエッセンスを的確に捉え、且つ、具体的に指摘しているが故に、わざわざ作品を見るまでもないような気分にもさせられてしまいます。『華氏451』で描かれていた文学の本質のように、まるでスクリーンが消滅しても映画は生き続けるかのようです。あながち冗談でもなく、遠い未来、仮に山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』の現存する映像が全て消失し、唯一シナリオだけが残ったとして、それだけでは山田監督がどのように映像化したかを想像する事さえ叶いません。ただ、山根さんの『たそがれ清兵衛』の時評を読むと、ある程度の復元なら可能に思えて来るから不思議です。


●詩
 蓮實重彦さんは、作品を「語る」ことは諦めて、作品を紹介する役割に徹している印象があります。ですから、『群像』(講談社)での“映画時評”は、《批評》というよりは《詩》のようなもので、ここだけの話、これから見る作品を選ぶ際には参考になるのかも知れませんが、鑑賞の際には殆ど参考になりません。勿論、ご本人も承知の上で、紹介役に徹しているものと思いますが…。


●底が抜けた映画界
 戦後、テレビ受像機⇒8㎜フィルム用機材⇒ビデオ録画機⇒デジタルビデオカメラ、順次これらの普及によって、映画は加速を増して観客の身近な存在となり、並行して自主制作映画が多く作られるようになりました。そこから多くの才能も輩出されるようにはなりましたが、その背後で大手映画会社の撮影所システムは崩壊し、プログラム・ピクチャーは姿を消して行きました。製作現場に於ける技術面での伝承は滞り、映画はプロフェッショナルからアマチュアへと作り手を変えて行ったようです。嘗て、山根さんはそれを「底が抜けた」と表現し、寧ろ好意的に未来への展望を見出そうとしていたようでした(※阪本順治や松岡錠司への期待)。一方、蓮實さんは挑発的な言論で世俗を煽り、その勢いを借りて、危機的状況への警鐘を鳴らそうとしていた印象があります。二人の立ち位置の違いは、「底」への捉え方に見られ、蓮實さんは「底」が抜けた状況を悲嘆しているようでした。1930年代周辺映画へのノスタルジアがあるからなのでしょう、映画の原型めいた作品群への偏愛が根底に感じられ、そのこだわりからは狭義的な印象を受けました。一方、山根さんの場合は、実験映画やドキュメンタリー等も含めて映画制作の未来は「底」が抜けた状況によって寧ろ開けたのではあるまいか、そう捉えていた印象があります。ですから、蓮實さんが捉えていた「映画」よりは、もっと広義的な印象を受けました。


●底が抜けた映画批評
 いつ頃からでしょうか、テレビの映画番組からは映画解説者の姿が消え、地上波での放送枠(※ラジオの映画紹介番組も含む)も縮小されて行きました。紙の媒体としては『キネマ旬報』と『映画芸術』だけが、形なりにも映画批評の形態を整えているくらいで、経営的には両誌とも赤字という噂です。また、最近では特典音声付のDVDの中で、作り手自身が自作を語るようにもなりました。その背後で、パソコンの普及、インターネットの活用によって、誰もが自由に映画レビューを発表出来るような時代が到来しました(※このブログのように)。こちらは、映画批評の「底が抜けた」状況です。狭義的には「危機」、広義的には「未来が開けた」とも言えるでしょう。


●なぜ映画は絵画のように語られないのか?
 そもそも、《なぜ映画は絵画芸術のように語られないのか?》という命題があります。画家は先達の技量を踏襲(模倣)しながら、その間に鑑賞眼と批評眼を養い、創作のオリジナリティーを模索して行くものです。つまり、創作活動とは批評を反映した活動でもあり、それが連綿と伝えられて来た歴史があります。生前、落語家の立川談志師匠が弟子達へ語っていたという「俺の背中だけを見ていればいい、嫌なら踏み越えて行け!」とも似ています(笑)。ヌーヴェルヴァーグは、雑誌から創作の場へと媒体を変えた批評活動のように思えます。創作活動が批評を反映する活動である事は良いとして、それでは批評活動が創作活動から切り離されて分業化するとは、どういう事なのか? 少なくとも絵画芸術には、絵画史(美術史)という学問が成立しています。歴史年表の作成ばかりか、最新の技術を投入した科学的な研究も行われています。これは大変重要に思う点で、言い換えれば、「見る」ことへの“こだわり”です。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画は、未だに「見る」ことから開放させて貰えず、学問の対象として研究され続けています。その点、映画芸術はまだまだ未成熟です。NHK教育テレビでは、毎週日曜日の朝夜2回に亘って『日曜美術館』という番組が放送されています。あの番組のような作品へのアプローチの仕方が、日本の映画批評には不足しています。日本の映画批評は、今以って非科学的で情緒的です。その昔、欧州で提唱された「映画批評は《詩》のように語られるべきだ!」(リチオット・カニュード)という批評形態から、一歩も抜け出せないでいます。

☆フェデリコ・フェリーニ (映画監督)
 《ピエル・パオロ・パゾリーニの資質は、芸術家としてあるものを吸収し、同化し、変形する態勢を常に整えながら、同時に、頭脳の一部分を、非常に細心緻密で、正確な分析室のように働かせていた事だ。その分析室では、芸術家が作り出したものが、様々な角度から検討され、合意に至るように、篩(ふるい)にかけられ、鑑定されるのである。彼は創造者であり、しかも自分が創造したものに対する、非常に鋭敏な、仮借の無い批評家であった。この資質、この無尽蔵に現れる批評精神は、例えば私には完全に欠けているのだ。》 (『映画監督という仕事』竹山博英=訳/筑摩書房より)

 夢の中の、一瞬のイメージを追い求めたF・フェリーニらしい芸術家然とした告白です。彼の作風が物語る独自性は、批評を反映させた活動とは違う、別次元の創作活動であった事を証明しているようでもあります。本来、映画はそうあるべきなのかも知れません。その彼が語るP・P・パゾリーニは、F・フェリーニからすれば別次元の芸術家であったようですが、創作活動に内在する批評活動を連綿と伝えて来た、ある意味で典型的な歴史の一参加者であったような気もしています。


●繰り返し鑑賞されないが為に生じている悲劇
 映画には、まず「見る」(鑑賞)から始まり、次に、それを「語る」(批評)、それから「撮る」(創作)という一連の流れがあります。もしも、創作活動(撮る)が批評(語る)を反映させた活動であるとすれば、批評活動(語る)も、また鑑賞(見る)を反映させた活動と言えるものでしょう。至極、当然のように思われるかも知れませんが、一般的に、このプロセスは可なり曖昧に受け止められています。
 「見る」ことと「語る」ことは、厳密に区分される必要があります。なぜなら、作品を「語る」行為は、「見る」行為の永続性を《中断》させ、その時点で作品から受けている印象を一旦凝固させる作業だからです。その際、《中断》によって「見る」行為は、往々にして「見た」ことにされてしまいがちですが、この「見た」という認識や表現こそが、最大の落とし穴です。
 音楽と比較してみます。例えば、ある楽曲を好んで繰り返し「聴く」行為(永続性)には、明確な《終了》を伴いません。仮に最近、その楽曲を聴いていなくても、大抵は気まぐれな《中断》に過ぎないもので、とても《終了》とは呼び難いものです。それ故、「聴いた」と完了形で表現される事は、まず以ってありません。再び「聴く」かも知れない可能性を、わざわざ自ら《終了》させる理由は無いからです。このように、音楽には楽曲の演奏時間とは別個に、「聴く」行為の永続性が保たれ、不断の時間が流れているように受け止められています。当然、同じ時間芸術である映画にも、上映時間とは別個に、「見る」行為の永続性が保たれていても不思議ではないのですが、一般にはそのように受け止められてはいないようです。普段、音楽は「聴いている」や「聴いていた」と進行形で表現されますが、映画が「見ている」や「見ていた」と進行形で表現される事はありません。映画は、いつでも「見た」と過去の完了形で表現されてしまいます。このような受け止められ方の違いは、端的に言って、映画が音楽のように繰り返し鑑賞されないが為に生じている悲劇です。本来、作品を1回見終えるという事は、「見る」行為の永続性が保たれたままの、気まぐれな《中断》に過ぎないもので、決して作品を1本見終えた《終了》を意味するものではない筈です。鑑賞者は、「見る」行為を永続させる運命から、一生逃れられないものです。
 鑑賞の永続性は、作品と共に存在するものです。作品が生き残る限り、鑑賞の永続も《終了》する事はありません。仮に100年前に制作された作品は、100年の間に、鑑賞者を何人も交代させながら、その永続性を保っている訳です。少なくとも、絵画芸術に於いては、この事を成り立たせています。1つの作品と同時に存在する「見る」ことの歴史と、そこへの参加です。つまり、「見る」(鑑賞)の次の「語る」(批評)とは、歴史の一参加者として関わる、至って没個性的な活動であるように思えます。


●歴史の参加者
 「いったいこの作品のどこが面白いの?全然分からない!」、こういう心無い声に対して、もしも詳細に説明してあげる事が出来ないようであれば、「自分でも、どこが良いのかを分かっていないのかも知れない…」と、そう素直に自問自答する必要があるでしょう。それをやらないと、蓮實重彦さんのパロディみたいになってしまいます。自分を特権化してしまえば、楽ですし、《詩》のようなものを詠っていれば、説明しなくても済むでしょうから…。そもそも、蓮實さんのように《詩》を「語る」定法は、基本的には「語る」ことを断念した局面での苦肉の策ですから、潔くありません。《映画》を「語る」ことからの逃避は、歴史からの離脱ですから、願わくは沈黙です。「語る」ことより、もっと「見る」ことに専念すべきです。実は、こういった得体の知れないシネフィルよりも、公開時『タイタニック』のリピーターだったような人達の中で、今でも年に何回かは『タイタニック』を「見る」という鑑賞者の方が、立派に歴史の参加者のように思えます。案外、映画を「語れる」のは、映画論云々の講釈とは無縁の、詳細に『タイタニック』の面白さを説明出来る熱狂的なディカプリオ・ファンだったりするのではあるまいか、そう思ったりしています。1本の作品を20回も30回も繰り返し「見る」ことは、情熱があってのなせる業です。何の疑いも無く、そこには「見る」ことの永続性が保たれています。鑑賞の度に、思いも寄らぬ映像上の発見を繰り返している可能性だって否定できません。結局、「映画を語る」という事は、「1本の作品を、どれだけ深く見ることができるか!?」に係っていると思います。そこへ情熱を注ぐ事が出来る鑑賞者は、本物です。


●鑑賞の革命
 VTRの誕生は、Vシネマという新しい製作体系を生んだ、と映画史的には綴られるのでしょうが、それ以上に着目すべき事は、従来の鑑賞形態が崩れた点です。映画のテレビ放送は、既に一般化していたので、テレビ画像で映画を見る事自体に変化はありませんでしたが、録画機による繰り返しの再生、早送りや巻き戻しでディテールを確認する事が出来るようになった事は、革命とも呼べる大きな変化でした。これによって、多くの自主制作映画の旗手たちが、今も誕生し続けていると言っても過言ではないでしょう。
 問題は、映画批評の分野です。VTRの誕生は、それまで映画館や試写室でしか鑑賞できなかった映画が、レコードやCDのように個人での所有も可能となり、映画と鑑賞者との間に劇的な変化を齎しました。誰もが好きな作品を、好きな時に、好きなだけ見られるような時代になった訳です。現に、映画には興味がない人であっても、「ディカプリオが好き♡」という理由だけで、繰り返し『タイタニック』を「見ている」訳です。こういう鑑賞者は、決してレオナルド・ディカプリオや『タイタニック』を「見た」ことには済ましません。そこには、映画の永続性が息衝いているように思えます。
 それに比べると、昨今のシネフィルは目も当てられません。シネフィルも映画サークルも、支持する作品の傾向が異なる(※『サウダーヂ』か『ステキな金縛り』か)というだけで、それ以外の違いは殆ど感じられません。《詩》か《感想文》かの違いがあるだけで、共に《自分》を「語る」ばかりです。未だに、どの作品を「見た」のかというだけで、何かが語られると思い込んでいます。そんな時代は、とっくに終わっているのに…。

☆デヴィッド・クローネンバーグ
 《今では殆ど考えられない事だが、嘗て映画は映画館でしか触れる事が出来ず、その後は永遠に消え去ってしまうかも知れなかった。名画座もなかった頃には、ハリウッド映画が来れば、その週末に見るか、二度と見られないか、だった。映画の記憶は、映画館へ行った、その日だけのものだった。今では映画を持つ事も出来る。そして、或いは一度の体験とは替えられないかも知れないが、20年間映画に触れ続ける事が出来たら、自分の棚の引き出しにあって、いつでも取り出して見る事が出来たなら、究極的には、深く関与する事が出来るかも知れない。》 (『INNER VIEWS 映画作家は語る』デヴィッド・ブレスキン=著、柳下毅一郎=訳/大栄出版より)


●作家主義への批判
 ここに、3人の映画監督の言葉を紹介しておきます。作家主義への皮肉や批判、作品を「見る」ことへのこだわりや、その動機が語られています。

☆ハワード・ホークス (映画監督)
 《嘗てフランソワ・トリュフォーは、「『ハタリ!』とは真に映画を作る事についての映画だ」と言った。それは大いに関係があるだろう。共に、大した物語が存在しないからだ。フランス人というのは、本当におかしい。彼らは、いつでも何かに帰因させようとするからだ。時に、私にさえ分からないような言葉を用いる。》 (『監督ハワード・ホークス[映画]を語る』梅本洋一=訳/青土社より)

☆オーソン・ウェルズ (映画監督)
 《芸術家が作品より興味深い存在だというのは自己中心的、且つロマンチックで19世紀的な考え方だ。芸術家本人の重要性を強調するような芸術家賛美は、この200年来の悪しき文化的風潮だ。これは私の持論だが、映画監督という仕事は過大評価されている。『市民ケーン』の脚本を書いたのはジョン・ハウスマンで、監督したのはグレッグ・トーランドかも知れない。しかし、そんな事が重要では無い。重要なのはフィルムだ!》 (『オーソン・ウェルズ その半生を語る』河原畑寧=訳/キネマ旬報社より)

☆クシシュトフ・キェシロフスキ (映画監督)
 《『市民ケーン』は100回も見た。やろうと思えば、個々のショットを逐一、詳しく説明する事だって出来る。しかし、そんな事は私にとって重要では無い。重要なのは、映画の息吹にひたり、一体になる事だ。》 (『キェシロフスキの世界』和久本みさ子=訳/河出書房新社より)

 ここでキェシロフスキが語っている「重要なのは、映画の息吹にひたり、一体になる事だ」という言葉は、嘗て『タイタニック』の息吹にひたり、一体になっていたディカプリオ・ファンの楽しみ方とも共通しているような気がしています。


●映画批評とは何か?
 昔から、《読書百遍義自ら見る》と言います。キェシロフスキは『市民ケーン』を100回も見続けた事によって、「やろうと思えば、個々のショットを逐一、詳しく説明する事だって出来る」ようになっていました。これを、音楽に置き換えてみれば、「ある楽曲を100回聴き続けた事によって、譜面に起こして、説明する事も可能になっていた」ようなものです。譜面迄は行かずとも、メロディーを口遊んでいたり、カラオケで歌っていたり、ピアノ等の楽器で演奏を試みてみたり、深度の大小こそあれ、誰もが日常的に行っている音楽との触れ合いです。それ自体が、「音楽の息吹にひたり、一体になる事」と言えそうです。
 例えば、アマチュア・ロックバンドを結成しようとした時、先ずはプロの演奏を耳でコピーして、限りなく再現に努めるでしょう。画学生は画廊や美術展へ通い、先達のテクニックを盗み取ろうと励むでしょう。どちらも最初は模倣から入ります。それと同じように、映画も模倣から入れば良い訳ですが、それでは、映画は何を模倣すべきなのか…。《鑑賞百遍義自ら見る》です。何を模倣すべきなのかは、繰り返しの鑑賞によって「やろうと思えば、逐一、詳しく説明する事だって出来る」ようになるものです。映画の批評も、それを「語る」ことから入らなければ、何も語られないように思います…。


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