映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

言語にとって美とはなにか

2012年09月23日 | 憑映堂雑記
 …不意に、言語にとって美とはなにか。


 たまには映画でも見に行くか、と地元のシネコンを色々とネットで検索してみたのだけれど、思うようなプログラムが見当たらず、いっそ思い切って成田のシネコンまで足を伸ばして、IMAXで『プロメテウス』(2012)でも、とも思ったものの、普段から1800円の料金設定に不満があるところへ来て、IMAX-3Dへは2200円も支払わなければならないと知り、嘗て映画はブルジョアの観劇に対し、プロレタリアを対象とした低料金のエンターテイメントだった筈で、それがまるで嘘のような100年後の転向に、さぞや浮浪者を演じ続けて赤狩りに遭った喜劇王チャップリンも、草葉の陰で複雑な笑みを浮かべながら、多分、泣いているだろう、と思えば思うほど、2200円には興醒めしてしまい、思い返せば、リドリー・スコットの作品で満足した試しが無いのと、その経験がトラウマのように折り重なっている所為か、食指が動いた試しも無かった事を、はたと思い出し、その途端に弟トニーへの惜別の情がビッグウェイブのように襲い掛かって来たもので、こうなったら伝説のサーファー、ジャン=マイケル・ヴィンセント宜しく、西友のDVDコーナーまで車をかっ飛ばし、いざボードを小脇に挑み掛かかろうかと柄にも無く勇んでみたところ、時既に遅く、お目当ての『デジャブ』(2006)も『サブウェイ123激突』(2009)も先約に掠め取られた後で、こんな事であれば、先刻、見初めた際に唇を奪い、さっさと連れ去ってしまえば良かった、と暫し後悔のビッグウェイブに身悶えて、未練がましく何度も商品棚を見返すも、その中に、愛しきトニーの姿は見当たらず、死とは跡形も無く消えてなくなる事で、愛とは決して後悔しない事なのだと改めて悲しみを募らせたのも束の間、気を取り直してレンタルショップのゲオへと向かい、弔い合戦で雪辱を果たすつもりであったが、車のラジオから聴こえて来たbayfm78の“初恋”の話題に、ついつい心を乱されてしまったのか、うっかりゲオの前を通り過ぎた事へも気が付かず、何事も無かったかのようにショッピングセンター内のドラッグストアで、連合いは毛染剤を手に取っていた次第で、同様に、通路を挟んだ向かいの古本コーナーで時間を潰していた僕は、吉本隆明の名著『言語にとって美とはなにか 第1巻』(勁草書房)を手に取り、もう一つの惜別の情に200円を支払っていた訳で、如何にもヤンキーらしいケバケバしく武装された厚化粧へ向かって「裸のままでいいよ…」と伝えた際には、それまで恐ろしく無愛想だった少女の顔から、僅かに恥じらいの笑みが零れたようであった…。


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