映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

スパイ・ゲーム

2008年07月04日 | 洋画・鑑賞ノート
     …映画に於けるエモーションとは、《反復》と《ずれ》によって齎される。


     ■『スパイ・ゲーム』 (2001年/米) トニー・スコット監督


 まず、この物語が救出劇に始まり、救出劇に終わる点に着目してみます。冒頭の救出劇は、ビショップ(ブラッド・ピット)によるもので、恋人のエリザベスを救出する目的のものでした。動機は至って単純なもので、愛する人の命を救い出す為です。CIAの活動からは離れた、ビショップの個人的な行動でした。救出に失敗したビショップは、自らも捕らえられてしまいます。最後の救出劇は、そのビショップをネイサン(ロバート・レッドフォード)が救うというものでした。その名も、“ディナーアウト作戦”。

   ①救出劇
     ●ビショップ ⇒ エリザベス
        《愛する人の救出》
     ●ネイサン ⇒ ビショップ
        《ディナーアウト作戦》

 この2つの救出劇の間に挟まっている回想劇は、すべてネイサンが回想するビショップとの思い出でした。

   ②ドラマ構成
     ●エリザベスの救出 ⇒ ネイサンの回想(出会い~別れ) ⇒ ビショップの救出

 “ディナーアウト作戦”は、ベイルートのメキシコ料理店で初めて紹介されます。物資が不足した土地で必要な物を手に入れる場合の調達方法を、ビショップなりのユーモアで表現したものです。その日は、ネイサンの誕生日で、ビショップからウィスキーフラスコがプレゼントされました。ネイサンが12年以上熟成させたスコッチしか飲まないという流儀は、西ドイツのバーの場面にあり、そこでの会話が伏線となっています。ウィスキーフラスコは、ネイサンのオフィスで初めて登場し、短い回想のショットが入ります。

   ③ディナーアウト作戦
     ●ビショップ ⇒ ネイサン
        《誕生日のプレゼント=ウィスキーフラスコ》
     ●ネイサン ⇒ ビショップ
        《別れのプレゼント=エリザベス》

 1975年にベトナムで二人が出会ってから、1985年にベイルートの空港で別れるまでが、ネイサンによる10年間の回想劇だったのに対して、現在進行中の救出劇は24時間。この24時間の物語は、CIA本部から一歩も外へは出ません(厳密には、ハーカーが建物の外へ出たショットはありますが、ネイサンや展開そのものは一歩も外へは出て行きません)。

   ④時間
     ●1991年4月14日 ⇒ 1975~1985年(10年間) ⇒ 翌15日(~24時間)

   ⑤場所
     ●中国・蘇州 ⇒ ヴァージニア州・CIA本部(ベトナム~西独~レバノン) ⇒ 蘇州

 主に7階の会議室で行なわれていた打々発止の攻防戦は、まるでチェスのゲームのようでした。焦点は、ビショップの扱いです(チェスにもビショップという駒が有る)。捨て駒のように見殺しにしてしまうのか、それとも生かしておくのか…。この対戦は、組織内の階級闘争の様相も呈していましたが、彼ら自身もまた組織の駒でしかありませんでした。

   ⑥立場
     ●ネイサン・ミュアー(叩き上げ) × チャールズ・ハーカー(エリート)

 危ない橋を渡って来た最前線の叩き上げという意味では、ビショップやエリザベスも、ネイサンと同じ立場と言えるでしょう。


 以下は、ネイサンがビショップへ発したセリフです。

   ・「引退後の金には、絶対に手を付けるな!」
   ・「情報提供者の為に、自分の命を賭けるな!」
   ・「君が勝手なマネをして取っ捕まっても、決して助けには行かないぞ!」

 どれもスパイの“いろは”とも思える教訓です。これらを、ビショップ救出(ディナーアウト作戦)の為に、ネイサン自身が破っていきます。まるで、それまでの自己を全て否定するかのような転向に映ります。定年退職によって、漸く、自由な立場となる《状況の変化》や、手塩に掛けて育て上げた部下への《父性愛》、更には、若かりし頃の自己をビショップへ投影させた《自己愛》など、転向の理由をいくつか嗅ぎ取ることは可能でしょう。しかし、どれも、これまでの人生で築き上げてきたものを、全て捨て去る理由には乏しいように思えます…。

 この作品の最後に、とても印象付けられたカットがありました。CIA本部から車で走り去る直前のネイサンの目のアップです。このカットは、ヘリコプター内のビショップがディナーアウト作戦の名を聞き、涙するカットからのオーバーラップでした。更に遡れば、救出されたエリザベスが涙するカットと、それを見詰めるビショップのカットがあり、《涙》と《まなざし》が《愛情》を表す一対の記号として示されていました。

   ⑦愛情
     ●エリザベスの《涙》 ⇒ ビショップの《まなざし》
     ●ビショップの《涙》 ⇒ ネイサンの《まなざし》

 冒頭での救出作戦の目的は、《愛する人の救出》でした。また、《ディナーアウト作戦》の意味は、「必要なものを手に入れること…」。勿論、《尊厳の回復》とも解釈は可能です。

 カメラマンに扮してレバノンへ潜入したビショップが、初めて難民キャンプへ訪れ、エリザベスを撮影するシーンがありました。そこで、ビショップが彼女に心引かれていく様子が描かれるのですが、その時、賛美歌のような歌声が入ります。愛の萌芽を導きながらも、ちょっと悲しげな旋律です。
 二人の関係を気にするネイサンは、作戦に支障をきたす事を案じていたようでもありましたが…。「二人は毎晩一緒だ」と部下から手渡された写真を手にした時(写真自体は画面に映りません)、ネイサンは表情を歪めます。その直後、レストランバーのシーンで二人の恋路を邪魔する醜態を演じてしまいます。それまでの、またそれ以降のクールなネイサンとは違い、明らかに取り乱した様子でした。「テリー、君の私生活は、どうでもいい!」そう言い放った後のネイサンの表情が印象的です。エリザベスと会わなくなったビショップに対してネイサンが告白するシーンもありました。「一緒にアルゼンチンへ行かないか…」と。また、サラメ暗殺の決行日をひたすら待つ夕景の中、ビショップのシルエットに、ネイサンのナレーションが重なります。「つらかった。“もし…”ばかり考える」。そのまま、エリザベスの部屋のシーンへ繋がり、ドアを開けるとビショップが立っている描写となります。ネイサンにとっての“もし…”を示唆するような描写でした。その時、素性を明かしたビショップを受け入れるエリザベスの笑顔(愛の萌芽)に、また、あの賛美歌のような歌声が流れ始めます。二人が結ばれた朝、横たわるエリザベスの絶望的な《まなざし》に、悲しげな旋律は流れ続けます。
 エリザベスが去った部屋でビショップが手にする絶縁状は、おそらくネイサンが作成したものでしょう。全てを独りで処理したというネイサン自身の証言や、CIA長官の筆跡を盗む描写が、その事を裏付けます。つまり、エリザベスの名を語った偽の絶縁状は、ネイサンからビショップへ宛てられた恋文でもあった訳です。「だが、彼は真剣に彼女を愛していた…」。会議室でのその問いに、ネイサンは一点を見詰めながら「そう、私の読みが浅かった…」と答えます。エリザベスを中国政府へ引き渡したネイサンの異常さに気付いていたのは、旧知の仲のトロイだけでした。せめてトロイにだけは真実を知って欲しい、そんな表情をネイサンが見せます。

 皮肉にも、レバノンでのマンション爆破によって、ビショップとエリザベスは切っても切れない運命の糸で結ばれてしまったと言えるでしょう。共に多くの命を巻き込み、同じ十字架を背負ってしまったのですから…。

 ディナーアウト作戦が成功を収める中、CIAを立ち去るネイサンの姿へ、あの賛美歌のような美しい歌声が流れます。実らぬ恋心。その思いを断ち切り、心ならずも若い二人を引き合わせる役を買って出なければならなかった老いたる男の悲哀。涙するビショップの姿からオーバーラップして、ネイサンの目にサングラスが掛けられると、ビショップへの思いを振り払うように、勢い良く車を発進させていきます…。


     …中年(初老?)男の、実らぬ恋心が塗り込められていたとは、恐るべしトニー・スコットでありました。



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