映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

リュミエール作品集

2008年08月21日 | 洋画・鑑賞ノート
     ■『レ・フィルム・リュミエール』 (1895~97年/仏) オーギュスト&ルイ・リュミエール兄弟


 フランスのパリで、映画の興行が始まったのが1895年の12月28日。リュミエール兄弟が開発したシネマトグラフによる、記念すべき世界初の上映会です。その時に上映された作品群は、今でも見る事が出来ます。

          『リミュエール工場の出口』 (3テイク)
          『ヌーヴィル=シュル=ソーヌへの会議委員たちの到着』
          『赤ん坊の食事』
          『水をかけられた撒水夫』
          『エカルテ遊び』
          『ラ・シオタ駅への列車の到着』
          『塀の取り壊し』

          

 一見、ドキュメンタリーのような無造作に撮影された風景のようですが、全て、リハーサルの後に撮影されたものです。10年程前、初めてこれらの映像を目にした時の衝撃は忘れられません。特に有名な『工場の出口』(テイク1)の素晴らしさ…。ご覧になって気付いて頂けるでしょうか。劇映画が、既に完成している事を…。どのような被写体に対して観客の視線は反応するのか。その事が充分に意識された映像上の演出(アクション)となっています。

 《絶え間なく左右へ分かれる人》⇒《画面左に犬》⇒《左側の戸が開く》⇒《黒い衣装の女性が画面左から右へ横切る》⇒《左側の戸から画面右手前へ横切る小走りの女性》⇒《女性を追い掛ける犬》⇒《画面左から右へ全力で横切る少女》⇒《画面右手前から現れて立ち止まる犬》⇒《その犬が画面左へ走り去り》⇒《正面の出口から馬車が現れる》

 映画評論家の山田宏一さんの著書『何が映画を走らせるのか?』(草思社)の中に、映画史の見直しについて言及した箇所がありました。ジャン=リュック・ゴダールが『中国女』(1967)でジャン=ピエール・レオーに言わせたセリフ「リュミエールがドキュメンタリーを、メリエスがフィクションを作ったというのが定説だが、それは逆であった…」に触れ、ルイ・リュミエールは後期印象派の偉大な画家として名を連ねるべきだと…。この指摘は、四角い画面を意識しながら映像を見ていけば明白だと思います。立派な写真として成立しています。

 観客がスクリーンに見ている映像は、撮影カメラのファインダーに映る風景である事を忘れてはなりません。その風景の中で被写体が絶え間なくアクションしている点に注目してみて下さい。アクションは、観客の視線を心地好く導いてくれます。逆に、現代の作品が、どんなにか観客の視線を迷わせているか…。面白い作品は、決して観客の視線を迷わせたりはしないものです。常にアクションしているからです。


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