goo blog サービス終了のお知らせ 

(た)のShorinjiKempo備忘録

※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。

阪神淡路大震災30年

2025年01月17日 | その他
今日で阪神淡路大震災発災から30年らしい。
テレビを日常的に視なくなると、こうした記念日的なものへの認知度も低くなってしまう。報道自体も、以前に比べれば少なくなってきているのだろうと思う。

特に何か言いたい事がある訳では無いのだけど、当時を生きていた人間として、40年には何か書く気力も残ってないだろうから、少ない記憶をとどめておこうかなと思う。備忘録なので。

     ◆     ◆     ◆

数少ない友人の一人が神戸の学校に進学したので、何回か遊びに訪問した事がある。
彼が近所に引っ越すと言うので、大八車に冷蔵庫か箪笥か何かを載せて、神戸の町の中を2人で押して歩いた。西日本は関東のように開けていないから、海からすぐに山がそそり立ち、その狭い空間を東西に幾つかの幹線道路が伸びている。

友人は大屋さんが下に住む木造の二階に引っ越した。
彼自身は<関西風>はとても似合いそうにない静かな男だったが、神戸をとても気に入っているようだった。関東の方が彼にとっては寧ろ辛かったのかなぁ、とその明るい表情を見て思ったのを覚えている。

     ◆     ◆     ◆

地震が起きた時、火曜日だったが私は宿酔いで日が昇っても寝込んでいた。
昼前になんとか這うように学校に行くと、なんだか様子がおかしい。…とは、すぐには気が付かず、いつもの様にぼんやりしていた。
講師が入ってくると開口一番「この中には神戸の者は居るのか」と尋ねた。同級生の一人が手を挙げた。「家族は大丈夫か」「まだ連絡は取れていません」「そうか。…心配だな」「…はい。有難うございます」
私は「何かあったのか?」と隣の同級生に尋ね、何が起きたのかを知った。

     ◆     ◆     ◆

東日本大震災でも後日思った事だが、災害の日々の渦中にいると、その規模の凄まじさが却って分からなくなる。ビルが何棟も倒壊し、また多くの高層ビルでは中層階が潰れて空き缶を踏んだようにペシャンコになった。病院の中層階でもそういう事があった。

多くの人が神戸に向かい、日本に於ける「ボランティア元年」と言われた。
私も行こうとは考えたが、結局行けなかった。後日、後輩の一人が1ヶ月程度現地でボランティアをしていたと知り、自分を情けなく思った。
GW?に一度現地を訪れた。電車が大阪を抜けると、屋根の青いビニールシートがどんどん増えていったのを覚えている。
友人は生きており、それなりに元気そうには見えたが、言葉は少なくなっていた。前回私が降りた六甲道駅は、高架ごと駅舎が完全に潰れていた。
引越しを手伝ったアパートは一階部分が倒壊し、友人は割れた庇(ひさし)の隙間から、生きていたが自力で出て来られなかった大屋夫婦を引きずり出したという。

残っている荷物を移動させたいと言うので、また2人で大八車を押した。
私たちが荷物を上げた二階は一階になっていた。殆ど地面の上の庇の割れ目を見て「ここから人を出したのか…」と思った。その庇を踏み越えて、窓から友人の部屋に入った。
薄暗い部屋は大きく傾いており、立っていても安定しない。床の畳は波打っていた。
友人は自分の荷物を物色していたが、結局余り持ち出そうとしなかった。宝島社の面白おかしい本を集めていたが、「全部やるよ」と私にくれた。

     ◆     ◆     ◆

友人を訪ねた前後に、長田地区にも行ってみた。
公園にはまだテントがあり、多くの人が生活していたと思う。尋人の張り紙が沢山貼ってあった。
私は写真が趣味だったので、神戸でも何枚かは撮った筈だが、あまり見返した記憶が無い。

     ◆     ◆     ◆

「震災の記憶の継承」が難しい、という番組をNHKがやっていたのは、東日本大震災より前だったと思う。神戸大の学生が当時の経験者から被災体験を聴く会を開いていたが、今後も継続してゆくべきなのか悩んでいる、という内容だったと思う。
「時は流れる。今までと同じように悲惨な体験を伝えるだけでいいのか。それに意味はあるのか」と学生が悩む内容だったように記憶している。

東日本大震災が起きた時、新たな大事件を前に「神戸の記憶」はどうなるのだろうか、と思った。私は21世紀になってから、太平洋戦争に対する世間の語り方が変わったように感じている。体験していない人間が、同じように感じ考えるのには無理がある。しかし日本人にとって「被災」が避けられない事であるなら、どういう風に継承してゆくべきなのだろうか、と思った。

ここ数年、たまにテレビで視る阪神大震災の話は、東日本大震災前の番組で感じた程の焦燥感が無いように見える。太平洋戦争ほどは風化してもいない。ひょっとして人々は、語るべきやり方を見つけつつあるのだろうか。どんな悲惨な事件でも、経験者はいずれいなくなる。継承とはどうしていくべきなのだろうか。
今年は太平洋戦争敗戦後80年でもある。戦争と災害では話はまた違うだろうが、違うだけに尚更難しさを感じる。
コメント

半転身蹴

2025年01月13日 | 剛法
備忘録、という事で今まで少林寺拳法(以下SKと略す)について考えてきた事を、自分がボケる前に記しておこうと思うのですが、ブログの説明に書いてある通り、

※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。

SKの技について考察はするのですが、もし本部の公式見解と矛盾していたら、私の方が間違っていると考えて頂いて差し支えありません。個人の備忘録ですから。。


     ◆     ◆     ◆

半転身蹴は旧・科目表では2級科目として習得した三合拳(中段攻防をまとめた拳系=グループ)の法形の一つです。

半転身と逆転身は体捌きとしてはセットで修練して覚えるべき基本項目ですが、法形としては横転身蹴と半転身蹴逆転身蹴は下受蹴・下受順蹴とセットで覚えた方がいいと思います。逆転身蹴が下受2法形とセットである理由は、中段突きに対して八相構えから行なうのがこの3法形だからです。

横転身蹴と半転身蹴がセットである理由は、共に攻者:一字構え・守者:中段構えから、攻者の中段逆蹴に対して行なう法形だからです。三合拳では基本としては、攻者は一字構えから始めるお約束になっているので、そこは従って下さい。廻蹴でも足刀蹴でも金的蹴でも後ろ足から蹴れば「逆蹴」ではあるのですが、通常ただの「逆蹴」と言った場合は「逆直蹴(多くの場合は蹴り上げ)」を意味します。
横転身蹴と半転身蹴の違いは布陣です。横転身蹴は攻守:対構え、半転身蹴は攻守:開き構えから始めます。逆直蹴を蹴上げた時に攻者の表裏が逆に返るので、布陣の際に勘違いする拳士が多いですから、気をつけましょう。

     ◆     ◆     ◆

攻者の逆蹴の蹴り筋を予想して、後ろ足を弧を描くように捌いて身体を躱し、順蹴で中段に蹴り返します。
素早く蹴り返す為には、横転身蹴でも半転身蹴でも、素早い運歩と体重移動が必要になります。ただそこにばかり集中すると肝腎の転身(体軸ごと攻撃線から躱す)が疎かになってしまうので、まず躱す(転位する)事を心掛けましょう。

半転身蹴の場合、廻し蹴り気味に蹴り足が入ってくる可能性がかなりあるので、実際はかなり恐い法形です。前手の打落し受と、後ろ手の外受で蹴りに備えるのですが、地王拳第一の拳受と同様、前手は上手くやらないと自分の拳を傷めますし、後ろ手は下からの蹴りを意識した外受をしないと意味がありません(かといってブラジリアンキック気味に上段にスパークリングしてくる場合もありますが...)。

守者:中段構えからの打落し受なので握拳で行なう事が多いと思いますが、開手での打落し受も許容されているようです。と言うのは、突天二の打上げ-打落しの段受で、一時本部がよく「一字構えからの打上受は握り込みながら、返しの打落しは手を開きながら」と指導していたからです。(その関連だと私は思ってます)
SKでは手を開く↔︎拳を握る、肘関節を伸ばす↔︎肘関節を曲げる、の使い分けが、受けの強度を高める上で非常に重視されて作られています。なのでこの半転身蹴に於ける打落し受でも、守者が肘を曲げた状態(やや鋭角)でやや裏拳打気味に受けたいのか、肘を伸ばした状態(やや鈍角)でやや掌底打(熊手打)気味に受けたいのか、その受けの思想によって異なってくるのだと思います。前者では握拳、後者では開手になります。
半転身蹴に於ける打落し受こそ、拳士一人一人が研究すべき難しい受けなので、そこはご自分に合った解答を見つけるしかないと思います。

半転身蹴 横転身蹴 十字受蹴 Short Ver. :連続複数法形修練(金剛禅総本山少林寺 公式Chより)

コメント

横転身蹴

2025年01月12日 | 剛法
備忘録、という事で今まで少林寺拳法(以下SKと略す)について考えてきた事を、自分がボケる前に記しておこうと思うのですが、ブログの説明に書いてある通り、

※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。

SKの技について考察はするのですが、もし本部の公式見解と矛盾していたら、私の方が間違っていると考えて頂いて差し支えありません。個人の備忘録ですから。。

     ◆     ◆     ◆

横転身蹴は旧・科目表では2級科目として習得した三合拳(中段攻防をまとめた拳系=グループ)の法形の一つです。
以前も述べましたが、SKで名前に「転身蹴」がつく法形は、仁王拳(上段攻撃)と三合拳(中段攻撃)の2系統があります。

仁王拳(上段攻撃):転身蹴
三合拳(中段攻撃):横転身蹴・半転身蹴・逆転身蹴

この分類や名称には解りにくさや謎があるのですが、そこには今回も触れないようにします。

半転身と逆転身は体捌きとしてはセットで修練して覚えるべき基本項目ですが、法形としては横転身蹴と半転身蹴逆転身蹴は下受蹴・下受順蹴とセットで覚えた方がいいでしょう。逆転身蹴が下受2法形とセットである理由は、中段突きに対して八相構えから行なうのがこの3法形だからです。ま、逆転身蹴は旧・科目表では初段科目ですので、後日に譲りましょう。

横転身蹴と半転身蹴がセットである理由は、共に攻者:一字構え・守者:中段構えから、攻者の中段逆蹴に対して行なう法形だからです。三合拳では基本としては、攻者は一字構えから始めるお約束になっているので、そこは従って下さい。廻蹴でも足刀蹴でも金的蹴でも後ろ足から蹴れば「逆蹴」ではあるのですが、通常ただの「逆蹴」と言った場合は「逆直蹴(多くの場合は蹴り上げ)」を意味します。
横転身蹴と半転身蹴の違いは布陣です。横転身蹴は攻守:対構え、半転身蹴は攻守:開き構えから始めます。逆直蹴を蹴上げた時に攻者の表裏が逆に返るので、布陣の際に勘違いする拳士が多いですから、気をつけましょう。

     ◆     ◆     ◆

前にも書いたかも知れませんが、直蹴り攻撃に対しては私なら裏に回り込みたくなるのですが、開祖は表に受けて腹に反撃を入れるという、力強い反撃を選択されています。インファイトの思想ですよね。恐らく逃げる事が叶わない状況なら、覚悟を決めて懐に入った方が効果的に反撃出来る、という経験則なのだと思います。
払受段突もそうですが、表にバッと入られて反撃されると、蹴り攻撃をした側(攻者)はバランスも崩されてしまいます。
また開祖は、強力な順蹴反撃が得意だった(そこを修練した)のだと思います。
形を理解したら、そういう相手の呼吸(虚実)を読んだ修練も心掛けたいものです。

    ◆     ◆     ◆

横転身蹴の動きは、天地拳第5系の号令1-2にも出てきます。
天地拳第5では開手で行なう決まりですが、打払い受けは実際には開手↔︎握拳どちらでも状況で使い分けて良い受けだと思います。横転身蹴では守者:中段構えから、蹴上げの蹴り足を横に打払うので、やはり握拳が妥当でしょう。
単独演武の時のように最初の構えから真横に蟹足をすると、間合いが切れてしまたり、蹴り返しを下段返のような返し蹴りにする必要が出てくる場合があります。攻者の蹴り終わった体勢を予想して、その中段に反撃を入れ易いように、若干回り込んで蟹足した方が良いと思います。SK剛法の反撃のコツは攻者の攻撃線上で対抗するように反撃しない、という事があります。 
攻撃線を外して反撃すると、上手くやれば内受突でも攻者をよろめかせる事が出来ます。教範を見ると開祖は蹴り返し技でもよくそれをされてますよね(順蹴りで...)。私はなかなかその瞬間と角度を捉える事が出来ませんが...(汗)。 

半転身蹴 横転身蹴 十字受蹴 Short Ver. :連続複数法形修練(金剛禅総本山少林寺 公式Chより)

コメント

諸手突抜

2025年01月11日 | 柔法
備忘録、という事で今まで少林寺拳法(以下SKと略す)について考えてきた事を、自分がボケる前に記しておこうと思うのですが、ブログの説明に書いてある通り、

※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。

SKの技について考察はするのですが、もし本部の公式見解と矛盾していたら、私の方が間違っていると考えて頂いて差し支えありません。個人の備忘録ですから。。


     ◆     ◆     ◆

諸手突抜は、旧・科目表では1級科目として習得した龍王拳(抜き技)の法形です。
攻撃は「鉤手を下に押さえる」という事で、片手突抜の延長上と考えても良いのですが、片手突抜<外>が片手寄抜(
鉤手守法)をさせまいとした変化技、片手突抜<内>が(片手)小手抜(鉤手守法)をさせまいとした変化技であるのに対し、諸手突抜は別の諸手技からの変化というより、最初から守者の片手を強く押さえつける事を意図しているように思います。
新旧科目表とも、一般部では攻守開き構えからの諸手攻撃で、少年部では対構えからになっています。今回の科目表改訂でも一般部と少年部で布陣を分けた意味は、私には解りません(誰か教えて下さい!!)。
しかし結局、どちらの布陣でも可能だと思ってはいます。諸手で下に押込む場合、結局は後ろ足を踏み出して足を揃える必要があるから似たようなものです。
片手突抜からしてそうなのですが、衝立守法を取った段階での攻守の身体の向きや位置取りには、実は結構様々なバリエーションがあり得ます(それらに対応できなくてはなりません)。

私自身はこうした基本法形修練に加えて、開足立ちの守者の真横から取ってくるとか、後ろから取ってくるパターンも自然にあり得ると思っています。
守者が持っているものを奪おうとしたり、守者の持っている得物(武器)を封じようとしたり、護身の場面では、実は諸手突抜の状況は他の(手首系の)龍王拳より起こり得る可能性が高いと思っています。
場合によっては抱えるような取り方をしてきたり、左右に振り回したりもしてくるかも知れません。守者も三角守法-三角抜を併用したような形でも、とにかく抜けるようにしたいものです。

     ◆     ◆     ◆

… まぁ通常の修練では、一応衝立守法を取ることにより一瞬の安定・固定が生じますから、そこからゆっくり抜く練習も良いと思います。
突抜は、抜く方向がランドルト環(視力検査の例のC字のアレ)の切れ目になる突抜<外>が一番簡単で、突抜<内>はCの内側に振り込んで益々握り込まれないようにしなければならないので少し難しく、突抜<諸手>はCの字が向かい合って切れ目がないですから一番難しい状況になります。
諸手引抜三角抜合掌抜を参考にして、の落とし込みを使う事で攻者の拇指を切る事が重要になってきます。勿論、基本的には攻者の力を逆用した勢い(瞬発力)も使います。

     ◆     ◆     ◆

反撃法は片手の突抜と同じ(裏手打 or掌拳打)です。両手突抜同様、攻者は両腕を使って押込んできていますので、抜けた際には大きく前傾に崩れる筈です。なので金的や水月が深くて遠い場合には、三日月へ掌拳を打込んで下さい。
コメント

諸手巻抜と諸手輪抜

2025年01月10日 | 柔法
備忘録、という事で今まで少林寺拳法(以下SKと略す)について考えてきた事を、自分がボケる前に記しておこうと思うのですが、ブログの説明に書いてある通り、
※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。
SKの技について考察はするのですが、もし本部の公式見解と矛盾していたら、私の方が間違っていると考えて頂いて差し支えありません。個人の備忘録ですから。。

     ◆     ◆     ◆

諸手巻抜と諸手輪抜は、旧・科目表では初段科目で習得した龍王拳(抜き技)の法形です。攻撃は共に一本背投げとなっています。因みに柔道では「一本背負い」と言いますから、「一本背投げ」はSK独自の呼称のようです。

守者の片手に対して攻者が両手を用いて掴んでくる法形を、
(正式な呼称ではないかも知れませんが)「諸手技」と言います。
級拳士科目では諸手技は、諸手切返抜三角抜諸手突抜諸手十字抜諸手引抜がありました。1級拳士が習練する初段科目では、諸手巻抜諸手輪抜諸手押抜の3つです。

     ◆     ◆     ◆

片手技では内手首/外手首を握り、基本的には引く攻撃が多かったですよね。変化技として押したり振ったり捻ったりしていました。
SKの諸手技では基本的には、攻者は「身体を入れて回転攻撃を仕掛ける」と考えるのが良いと私は思います。攻者は両手が塞がっているので、ただ掴んで終わりという事はない訳です。足がありますから蹴るかというと、諸手攻撃で蹴りはやりにくい。
守者の表側、所謂「懐(フトコロ)」に入って一本背投げを仕掛けたり、脇下を潜ってハンマー投げ(切返投げ)を仕掛けたり、それとは反対に捻って逆天秤、或いは片手投(≒合気道の四方投げ)を狙ってくる訳です。

それら回転攻撃の攻撃線を見切って鉤手守法を取る訳ですが、現在は諸手巻抜と諸手輪抜でも、一本背投げに対して(通常の)鉤手守法から行なっている道院が多いようです。
攻者の攻撃の仕方(腕の使い方)によって、諸手巻抜と諸手輪抜を使い分けます。
具体的には、攻者が肘を張って寄り身体に引きつけるようにして背負ってきた場合は、諸手輪抜を行ないます。攻者の開いた両腕の間に肘を入れて抜く訳です。これは片手寄抜+(片手)小手抜の形だと言えます。
一方、肘を伸ばして引っこ抜くように一本背投げを狙ってきた場合は、両肘の間に守者が肘を入れられませんから諸手巻抜をおこないます。これは片手巻抜の延長上にある技法です。低目に守れた時、攻守が離れた場合には諸手巻抜の方がやり易いと思います。

それぞれの抜きには難しさやコツもあるのですが、今回は割愛します。

     ◆     ◆     ◆

先程「(通常の)鉤手守法から行なっている道院が多いようです」とわざと含みを持たせた形で書きました。というのは、一本背投げに対しては鉤手守法<advance>と申しましょうか、握られた方を前にした鉤手守法から順蹴で中段蹴りを入れて攻者の動きを止める、という方法も立派な正法(公式な基本法形)だからです。
旧・少年部科目表にも、諸手巻抜の欄に「鉤手守法・中段蹴」と書かれており、この方法を知らない拳士には中段蹴りの意味が解らなかった様ですが、現在の「少年部修行科目表」では、写真を元にしたイラストで、諸手巻抜・諸手輪抜共にちゃんと前手での鉤手守法を行なっています。

では実際この方法がどの位修練され、行なわれているのかと申しますと、私自身はこちらを基本法形としてやっているのを見た事がありません審判講習会で「これもアリ」という風に、口頭で軽く触れた事はありました。

何故この方法があるのか。私の考察では、通常の鉤手守法は時として背負いには弱い場合があるから、或いは柔道家の背負いに通常の鉤手守法が間に合わないから、だと思っています。
或いは「一本背投げに対する大車輪の後の処理」を表している可能性もあると考えます。

では現在、何故この方法は一般的には行われていないのか。私の考察では、「一本背投げに対する大車輪」同様、出来ない拳士が多いからだと思います。SKも高齢化や子供たちの基礎体力・運動能力の低下があり、こうしたちょっと難度の高い技術は普段の稽古でも敬遠されてしまっています。しかし間違いなく存在するし、科目表にまで載っている修練ですから、ヤル気のある拳士には是非チャレンジしてもらいたいと思います。…

【追補 2025.03.28】「握られた方を前にした鉤手守法」は通常行われていない、という風に書いてしまいましたが、これは私の拙い拳歴の中でして、しっかり根付いている地域もあるのかも知れません(N野先生がご指導されていたり、現在でも本山認定の正法なのですから)。<技の異同>とはとにかく指導者次第なので、教える先生がその方法を行なっている道院・支部ではそうなります。
先日、私がお邪魔している高校拳法部にゲストコーチの方がいらっしゃって、初段を目指す部員にご指導頂きました。私は時折チラ見程度しか拝見出来なかったのですが、諸手巻抜・諸手輪抜に関しては、「握られた方を前にした鉤手守法」をしっかり指導されていたようです(しっかり指導している現場を初めて見た気がします…)。
コメント