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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第22回) ザンビアで交通事故で亡くなった仲間の荼毘

 それは1978年だったと記憶するがザンビアでのボランティアが交通事故による突然の死であった。
勿論、私がザンビア滞在期間中、初めての悲しい出来事であった。

 ザンビア国内でトヨタのジープ、ランドクルーザーを運転中、交通事故に遭遇し命を落としたのだった。彼は私より後輩で、長崎出身の警察官で現地の警察官に柔道を教えていた。彼は赴任してまだ半年くらいしか経っていなかった時に発生した。まだ20歳代の若者だった。車が8回転もする事故だったという。

 私も現地で何度が運転したがランドクルーザーは車高が高く高速でハンドルを切ると安定が悪くなる。しかし、アフリカでは車が少なく、例えダートロードでもスピードを出す傾向にある。事故見聞でもカーブでの速度超過だったのではないかと想定された。

 突然の死で日本の家族はそのときパスポートを所持していなくて、そのため急にアフリカまで来れず、現地ザンビアで荼毘にふすことに決まった。1週間後彼の家族が来る迄、遺体は現地で安置されていた。
 しかし、彼の弟は兄の亡骸を見て日本に連れて帰りたい希望された。無理もない話だが現地で荼毘にふすとのことだったのでそれは無理だと諭した。
最終的に現地で荼毘にふすことになった。荼毘の火の番は我々が一夜見守った。悲しい経験であった。

 その後、現地で出来る範囲内での葬儀を行い、遺骨は弟によって日本に帰ったが空港まで道中、ザンビア警察は最大限の敬意を表した。
警察長官が葬儀に参列し、空港まで白バイが先導し、パトロールカーが遺骨の車を挟み走行し、空港で待つ飛行機直下まで伴走した。道中の信号も止め我々を優先させた様は国賓待遇扱いであった。
 彼は警察学校で柔道を教えていたのでザンビア警察は彼への最大の敬意を払ってくれたのであろう。
 ザンビアではそんな悲しい出来事もあった。
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