

滋賀県は5月20日、新たに信楽高原鉄道の「第一大戸川橋梁」(甲賀市信楽町)が、国の重要文化財(重文)に指定されたと発表した。
現役鉄道橋の指定は全国でも珍しい。「第一大戸川橋梁」は、鉄道橋として沿線住民の暮らしを今も支えている。住民や維持管理を担ってきた鉄道マンたちは今回の答申に「地域の誇り」と喜んだ。
尚、同日、近江八幡市の「長命寺」の三仏堂と護法権現社拝殿の2棟も登録されている。
「第一大戸川橋梁」は、貴生川と信楽を結ぶ旧国鉄信楽線(信楽高原鐵道信楽線)に建設された、滋賀県甲賀市信楽町勅旨の大戸川にかかる鉄道橋。橋梁長31m、単線仕様の単桁橋。桁高を抑え、フレシネ式ポストテンション工法により鋼線を挿入した4基のI形桁を、ロッカー支承で支える。わが国で最初に築かれた本格的プレストレストコンクリート造橋。
旧国鉄信楽線の橋梁が1953年の豪雨で流出し、フランス人技術者の設計で1954年に新たに建設。当時は国内で珍しかった、ひび割れなどに強い技術「プレストレストコンクリート」で造られ、現在も良好な状態で使われている。 課によると、新技術の導入期の歴史を伝えコンクリート構造物の経年変化の調査対象としても価値が高いという。
「第一大戸川橋梁」概要
信楽高原鐵道信楽線の勅旨駅から玉桂寺前駅の間の大戸川にかかる鉄道橋である。甲賀市が維持管理している。
1953年(昭和28年)の集中豪雨により、3連の上路鈑桁であった橋が流出したため、中間に橋脚をつくらないスパン30mの橋を作ることとなり、1954年(昭和29年)に竣工した。
日本初の本格的なプレストレスト・コンクリート橋である。支承にはコンクリート製ロッカー沓が採用されている。フランス人技師セルジュ・コバニコの基本設計を基に、日本国有鉄道の大阪事務所次長であった仁杉巌博士らが実施設計を行った。
本橋の設計・施工にあたり国鉄のコンクリート技術者により様々な研究・検討が行われ、その後の「プレストレスト・コンクリート橋」の発展に大きく寄与した。
コンクリートの乾燥収縮等の影響を除くための標準桁が本橋の北東側に暴露されている。施工後30年が経過した1984年(昭和59年)に耐久性等の調査を行い、外観上ひび割れ等の変状がみられず、クリープ変形による反りが設計時の予測値とほぼ一致していることが確認された。
また、2007年(平成19年)にコンクリートの品質と耐久性を検証するため、標準桁で様々な分析が行われ、中性化が全く進んでいないこと、透過係数が極めて低く、品質が高いことが確認された。
2008年(平成20年)に「信楽高原鐵道第一大戸川橋梁」の名称で国の登録有形文化財(建造物)に登録されていた。
アクセス
JR草津線 貴生川駅 → 信楽高原鐵道 玉桂寺前駅より下車すぐ
新名神高速道路 信楽ICから車で8分
「第一大戸川橋梁」概要
信楽高原鐵道信楽線の勅旨駅から玉桂寺前駅の間の大戸川にかかる鉄道橋である。甲賀市が維持管理している。
1953年(昭和28年)の集中豪雨により、3連の上路鈑桁であった橋が流出したため、中間に橋脚をつくらないスパン30mの橋を作ることとなり、1954年(昭和29年)に竣工した。
日本初の本格的なプレストレスト・コンクリート橋である。支承にはコンクリート製ロッカー沓が採用されている。フランス人技師セルジュ・コバニコの基本設計を基に、日本国有鉄道の大阪事務所次長であった仁杉巌博士らが実施設計を行った。
本橋の設計・施工にあたり国鉄のコンクリート技術者により様々な研究・検討が行われ、その後の「プレストレスト・コンクリート橋」の発展に大きく寄与した。
コンクリートの乾燥収縮等の影響を除くための標準桁が本橋の北東側に暴露されている。施工後30年が経過した1984年(昭和59年)に耐久性等の調査を行い、外観上ひび割れ等の変状がみられず、クリープ変形による反りが設計時の予測値とほぼ一致していることが確認された。
また、2007年(平成19年)にコンクリートの品質と耐久性を検証するため、標準桁で様々な分析が行われ、中性化が全く進んでいないこと、透過係数が極めて低く、品質が高いことが確認された。
2008年(平成20年)に「信楽高原鐵道第一大戸川橋梁」の名称で国の登録有形文化財(建造物)に登録されていた。
アクセス
JR草津線 貴生川駅 → 信楽高原鐵道 玉桂寺前駅より下車すぐ
新名神高速道路 信楽ICから車で8分
<Wikipediaより>