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【滋賀・近江の先人第206回】日本画家「野口謙蔵」の弟子 近江八日市の洋画家・藤川与曽吉(東近江市)

 藤川与曽吉(1928年(昭和3年)ー2016年(平成28年))は地元八日市で絵一筋の生涯を送った洋画家、中学教諭。滋賀県八日市市金屋(現東近江市)出身。

↑写真:滋賀報知新聞より(野口謙蔵の作品の前で語る藤川与曽吉(2012年)

 13-16歳の頃、湖東地域を代表する洋画家・野口謙蔵に師事した。現滋賀県立八日市高校の生徒だったころ、野口謙蔵から直接絵画の基本を教えてもらったり、アトリエを訪問するなど交流があり、美術の世界に引き込まれた。
 「野口謙蔵のアトリエを訪問した時、油絵の具を溶くオイルの香りが漂っていた。農村だったがしゃれた構えの住まいで、別天地のように思った。
野口先生からは、素描(デッサン)の大切さを教わった。優しい人柄だった」と思い出を語っている。
 また、野口は、ロダンの遺言を題材に「絵は、ひらめきをあてにするのでなく、物(対象)をよく見て、心の内側に持っている強い欲求を表現することである。それには練習に練習を重ねることが大切。野口先生は、自然や生き物、人々の暮らしを題材に大胆な画面構成で、心の内を表現した。庶民的な人間性、人を大切にする心、そうしたところが作品に現れている」と解説している。

 藤川与曾吉は地元滋賀県の聖徳・蒲生・五個荘中学校などの美術教諭を長年務める傍ら自身の画業にも力を注ぎ、ふるさとの風景を描き続けた作品は野口の絵画を彷彿させ、数多くの有名画家の注目を集めた。



 滋賀県展では特選を重ね、安倍川製紙主催のデッサンコンクール(1960年)では、延命公園(東近江市八日市松尾町)前を流れる清水川を描いた『清水川』が特賞を受賞。緑豊かな山の風景を描いた『青韻』はフランス美術賞パリ展で入選を果たすなど、輝かしい功績を残す。

 画業に専念するため50歳で早期退職した後も、写生するために各地を飛び回るなど、精力的に筆を走らせてきた。デッサンや油絵、水彩画、パステル画など幅広い作品が展示され、鈴鹿の山をのぞく永源寺地区ののどかな風景を描いた生涯最後の作品『新緑』は、藤川の作画を象徴するものとなっている。

 余談になるが「近江のたばこ」の歴史を調べる中で偶然にも同姓同名の「藤川与曾吉」を発見した。
それは明治時代の滋賀県内たばこ製造業者一覧中に、「製造業者『藤川与曾吉』、銘柄 刻 ち恵草、所在地 蒲生郡玉緒村」が見つかった。
 旧蒲生郡中野村、旧神崎郡八日市町等はたばこの生産製造が盛んな場所で「中野たばこ」は有名ブランドであった。しかし、昭和期になると、たばこは専売になり「中野たばこ」は次第に衰退した。
 我々が知る「藤川与曾吉」は八日市金屋町の住民で中学教諭、画家であったが多分、名前からして藤川与曾吉家はかつては、八日市や中野村と隣接する元玉緒村でたばこ業を営んでいたに違いない。

【滋賀・近江の先人第87回】蒲生野を表現し続けた日本画家「野口謙蔵」(東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/6b78545b5e4c05e02b7af6b460114532
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