社史から「社史に人あり」と題する「伊藤忠商事」の歩みと創業者伊藤忠兵衛について毎日新聞で連載している。読み応えのある内容でこれまで知らなかった内容、事柄が多数あり、大変有意義である。
今なお、燦然と輝く近江商人企業の「伊藤忠商事」を知る毎日新聞連載の読み応えのある記事を分けて紹介している。今回はその18回分である。
今なお、燦然と輝く近江商人企業の「伊藤忠商事」を知る毎日新聞連載の読み応えのある記事を分けて紹介している。今回はその18回分である。
第一次世界大戦後の好景気は一転して大恐慌をもたらす。営業体制とその人員の大幅縮小を断行し、経営の立て直しを図った。
厳しい経営環境にありながらも、綿糸布の事業体制は着々と確立された。1929(昭和4年)年、富山に呉羽紡績を設立し、忠兵衛は社長に就いた。忠兵衛は英国留学で得た知識を駆使して、生産工程の短縮と生産能力の向上に努める。豊田佐吉が開発した全自動織機をいち早く導入し、近代的な紡績工場の建設を目指した。
当時の伊藤忠パーソンは、日本綿布を世界に売り込む尖兵(せんぺい)となって、アジア市場への輸出をはじめインド、中近東、アフリカ、さらにヨーロッパ市場にまで日本綿布の販路を広げた。