”スローライフ滋賀” 

【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第46回) 目と鼻の先のザンジバル島へひと飛び

 1978年タンザン鉄道(タンザニアザンビア鉄道)でタンザニアに旅をしたことがある。
 ザンジバルのことはアマチュア無線ではタンザニア(5H3)とは別カントリー(VQ1)扱いされていた時期があったので知っていた。確か私がアクティブだった1970年初め頃に「5H1」の別カントリーは消滅したように記憶する。


 タンザニア旅行した時、「ザンジバル」へ日帰り旅行した。タンザニアの首都ダルエスサラームから飛行機で30分程度、インド洋の目の先の島である。

 タンザニアに到着すると直ぐ気が付くのはモスレムが多いことである。
2年間駐在したザンビアにはモスレムは居ないかったので、タンザニアでは黒人のモスレム特に女性が黒のスカーフを被っていたのに驚いた。
 ザンジバルは歴史的背景から黒人だけでなくアラブ人、インド人と黒人の3人種が共生していた。
 また、小さい島であるが町は「石造建築遺跡」が多く残っているのにも驚いた。かつて、奴隷、香料貿易や象牙の貿易で栄えていたのだった。
町を数時間歩き廻ったが狭い道に石造の街(ストーン・タウン)は魅力的だったのを今でも覚えている。



ザンジバル (Zanzibar) 
 アフリカ東海岸のインド洋上にあるザンジバル諸島の地域名。
かつては小さな独立国(島)だったが現在は「タンザニアザンジバル連合共和国」。
 1963年12月のザンジバル王国のイギリスからの独立と、翌1964年1月のザンジバル革命を経て同年4月にタンザニアに合流した後、アフリカ本土のタンガニーカから強い自治権を確保したザンジバル革命政府によって統治されている。

 白い珊瑚礁とアラブやスワヒリ、ヨーロッパの石造建築遺跡が多数残る。かつては奴隷貿易、香辛料貿易、象牙貿易の拠点でもあった。
 面積は日本の沖縄県よりも少し大きい程度である。
2000年にザンジバル島のストーン・タウンがユネスコ (UNESCO) の世界遺産(文化遺産)に登録されている。


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「海外の旅」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事