”スローライフ滋賀” 

【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第61回) 昔は意外と厄介なフライト予約確認

 現在はIATAの国際コンピューターネットワークにより各航空会社の国際便の予約がトラベルエージェントから簡単に予約できるようになっているが、昔は意外と厄介だった。フライト予約(座席のブッキング)をしていても次の便が3日間先の場合、リコンファーム確認が必要(推奨)な時代だった。

 昔は今と違って航空会社間のネットワークがなく、まだコンピューターも一般的でなかったので国際航空会社の予約システムはTELEX通信だった。アナログ的な予約管理方法だった。チケットはIATAの複写式(カーボン式)タイプのもので5回くらい以上のフライトがある場合、増冊していた。

 特に、異なる航空会社、多地点乗り継ぎのフライト予約などは手間がかかった。また、3日以上離れたフライト乗り継ぎ便はリコンファーム(再確認)を怠ると当初予約がOKであっても、座席予約をキャンセルされる恐れがあった。
 理由は予約座席のキャンセルや変更がリアルタイムで管理できなかったこと、また、今では殆どないと思うが航空会社のオーバーブッキングが常態化していたからである。
チケット発券後のフライト変更やリコンファームした場合、小さなポストイットをチケットに貼っていたものだ。

 現に私は1979年、ガーナの首都アクラ空港からのフライトで、航空チケットはOKになっていたがガーナ航空も社の座席予約リストに私の座席番号がなかったことがあった。
カウンターでOKのチケットを見せクレームをしたが初めは私の座席番号はないと取り合ってくれなかった。それでも私は粘り強く抗議を行い最終的に座席を確保できた。

 1980年代、アメリカのTWA便だったと思うが西海岸サンフランシスコかロスアンジェルスからホノルルに飛んだ時、私の予約していた席がリストになく、最終的にファーストクラスにアップグレードしてくれ飛んだこともあった。

 この時トラブルは2重に重なり、ホノルルの予約ホテルもリストになく途方にくれたこともあった。私のミスは一切なく、他のホテルでも可なので宿泊場所を確保するようにそのホテルに抗議した。偶々このホテルには空き室がなく近くの別のホテルが用意され、それも最上階のスイートルームが準備されたのには驚いたこともあった。

 今日では予約システムの電子化・ネットワーク化され、このようなトラブルは消滅しただろうが40-50年前はこの種のトラブルが続出していたのである。
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