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【滋賀・近江の先人第52回】蝦夷地漁場を開拓した近江商人・藤野喜兵衛(滋賀県豊郷町)

初代 藤野 喜兵衛(ふじの きへい、明和7年(1770年) - 文政11年(1828年)は、近江国愛知郡日枝村(現滋賀県豊郷町)の商人(美濃紙)、4代目藤野四郎兵衛の二男として生まれ、諱は「喜昌」と言う。
江戸時代後期、高田屋嘉兵衛とほぼ同時期に蝦夷地に進出した近江商人・藤野喜兵衛家の初代。屋号は柏屋。
 
ヒストリー
・天明元年(1781年)12歳、犬上郡四十九院(現滋賀県豊郷町)の義理兄宮川清右衛門商店へ奉公した。
・寛政2年(1800年)20歳の時、初めて蝦夷地に渡り、福山(現北海道松前町字福山)で独立して松前城下の松ヶ崎に店を開き、屋号を『柏屋』・商標を『又の字の下に十(通称又十)』とし、蝦夷地の物産販売・海運業を始めた。
同じ八幡出身の西川伝右衛門は西蝦夷を開拓したが、百年後、藤野喜兵衛は未開の東蝦夷で大輪の花を咲かせた
 
順調に家業は伸び船7隻を保有する迄になり、
・文化2年(1805年)に余市場所を請け負い場所請負商人となった。
・文化5年(1808年)には与市、宗谷・枝幸・常呂・網走・紋別・斜里場所などの漁場を開き間宮林蔵や、高田屋嘉兵衛らとも親交を結び、漁業と廻船業に全力を注いだ。
柏屋は数年で松前有数の豪商へと成長し、オホーツク海沿岸漁場の請負は慶應3年(1867年)迄続いた。
・文化14年(1821年)には千島、国後場所も請け負い、鮭、鱒、鰊、昆布を兵庫、大阪、下関へ運び巨利を得た。発展の一途の藤野家は松前有数の豪商となっていた。
 
蝦夷地は、
・寛政11年(1799年)に東蝦夷地、
・文化4年(1807年)には西蝦夷地が天領となり松前奉行が置かれた(松前藩は陸奥国伊達郡梁川に移封)。藤野家の蝦夷進出は正に蝦夷地天領の時期に行われた。
・文政4年(1821年)蝦夷地の大半が松前藩へ返却される際は、藤野家船『常昌丸』が松前藩御用船として買い取られ、
・文政5年(1822年)藩主(松前章広)一行の松前復帰に用いられ、藤野喜兵衛は藩侯より名字帯刀を許され七人扶持勝手向き御用となった。
・文政6年(1823年)には利尻・礼文場所も請け負った。
 
 
初代喜兵衛
文政9年(1826年)初代喜兵衛「喜昌」は、兄である第5代藤野四郎兵衛が後継ぎなく死去したため、途中、同年文政9年(1826年)、本家である6代目四郎兵衛家を継いだ。
2代喜兵衛
長女の婿養子百次郎が2代目藤野喜兵衛となった。柏屋の全盛を築く。
 
2代四郎兵衛
文政11年(1828年)初代喜兵衛(6代目四郎兵衛家)継いだが44歳の若さで亡くなると、初代喜兵衛(6代目四郎兵衛家)の長男良久が「2代目藤野四郎兵衛」と称した。
2代四郎兵衛を継いだ「良久」は、祖業を色丹、択捉に進出し、松前藩は天保3年(1832年)に根室一国の海上管理を委託した。
この頃、漁場開拓や漁法改良を行い、漁獲物を本土の需要地に回送して巨利を得た。
天保11年(1840年)、根室一円が幕府直轄となり、択捉漁場は返上したが、1849年再度松前藩になったため根室一円は藤野家に復活した。
良久は弘化2年(1845年)隠居し、枝村の本宅で悠々自適の生活を送り、善行を重ね、安政6年(1859年)44歳で没した。
 
一方、藤野喜兵衛家は支配人が中心となって四郎兵衛家と共に継続して行く。
 
3代四郎兵衛は、
嘉永4年(1851年)に生まれ、僅か8歳で蝦夷地に渡った。
祖業以外に、倉庫、牧畜、営農等、北海道開拓に挺身した。文久元年、私財を投じて根室ー東梅間36キロの道路を開き、藤野街道とも言われている。
明治になり政府に協力し、根室に支店を設けた。明治期に入り帆船から洋式帆船に改造、外国船の購入し海外航路用とした。日露戦争路には仮装砲艦として提供している。
明治24年には牧場を網走に開き、倉庫業は1887年(明治20年)函館に開設している。1910年(明治43年)、60歳で没した。
 
藤野辰次郎(安政4年(1857年) - 明治42年(1909年)):2代目藤野四郎兵衛良久の次男(初代喜兵衛の孫)。
明治20年(1887年)分家独立し、別海缶詰工場の払い下げを受け、藤野缶詰工場「商標★根室藤野缶(罐)詰所製造」として経営した。
明治18年(1885年)滋賀県会議員、明治31年(1898年)衆議院議員にも当選しているが明治42年(1909年)、52歳で没した。
 
藤野家の後継者は北海道でゴム園、牧場を完成し、数家族も移民して経営にあたったが、その後の経営の人材に恵まれず、昭和初期に没落した。
 
藤野家本家の邸宅は村役場となったがその後、屋敷跡は解体されたが天保年間に建築された本宅は滋賀県豊郷町・郷土資料館「豊会館」として保存運営されている。
 
 
 
歴代当主
藤野喜兵衛 (初代) 喜昌:(明和7年(1770年) - 文政11年(1828年)没)4代目藤野四郎兵衛次男、文政9年(1826年)兄の死去により6代目藤野四郎兵衛を継ぐ。
藤野喜兵衛 (2代):(弘化2年(1845年)没)初代喜兵衛娘婿、柏屋の全盛を築く。
藤野喜兵衛 (3代):(弘化2年、支配人治兵衛が襲名)
藤野喜兵衛 (4代):(嘉永2年(1849年)、支配人諏訪庄兵衛(善兵衛)が襲名)
藤野喜兵衛 (5代):(嘉永6年(1853年)、支配人伊藤幸次郎が襲名)
藤野喜兵衛 (6代):(安政2年(1855年)、支配人宮部与作が襲名)安政5年(1858年)福山より函館の柏屋本店を移す。
藤野喜兵衛 (7代):(明治12年(1879年)、支配人大富又兵衛が襲名)
 
明治2年(1869年)新政府により『場所請負制』廃止とされるが、オホーツク海沿岸部での物産・交易事業を進める。
明治17年(1884年)函館店は北海道営業所となり、本家十代目藤野四郎兵衛が直接管理する所となり、喜兵衛の名称は明治18年(1885年)廃止された。
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