「田のし飴」。田んぼや水路に生息するタニシに形が似ているので、この名がついた。

↑写真:110年受け継がれてきた「田のし飴」(中日新聞より)
滋賀県竜王町の和菓子製造販売「正栄堂」が、明治44年(1911年)の創業から販売を続ける唯一の品。初代の澤政吉さんが滋賀県日野町で修業後、地域の人に愛されるお茶請けや土産物にしようと考案した。
ミネラルが豊富で、栄養価が高い「ニッキあめ」。口溶けの良い沖縄県宮古島産の黒砂糖の他、いずれも国内製造のグラニュー糖や水あめ、桂皮(けいひ)油などを使う。

↑写真:中日新聞より
110年前から受け継いできた製法を、現在は3代目の新之助さん(67)と妻の加代子さん(63)、4代目の長男政典さん(38)が担う。3年ほど前からは長女孝子さん(36)も手伝い、一家で支えている。
もともと店と工場は、竜王町東部を流れる日野川沿いの岩井地区にあった。店は1976年、工場は2007年、交通アクセスの良い竜王町綾戸の苗村神社近くに移転した。
大鍋、あめを冷やす鍋、炭火を入れる容器、大きな扇風機−。工場には、さまざまな道具が並ぶ。黒砂糖やグラニュー糖を水あめとともに熱した後、あめをひく工程は、2012年に機械を導入するまで手作業だった。新之助さんは「重労働で腕がパンパンになりました」と笑って振り返る。
あめを熱する温度は、気温や湿度に合わせて調節する。200度まで測れる温度計を手に、政典さんは「マニュアル通りにはいかない。感覚も重要」と話す。経験に裏打ちされた技の繊細さを示すように、白あめをひくと、絹のように輝く。
黒あめを白あめで包む工程では、冷めないように炭火を入れた容器をつり下げる。機械に通し、形が整ったあめを、今度は大型扇風機で冷ましながら、一粒一粒を切り離していく。
機械を導入後も手作業が多くを占める。手間がかかり、他の商品に比べて利益率も高くない。それでも作り続ける理由がある。
「わしが死んでも、『田のし飴』(あめ)だけは続けておくれ」そう言い残した初代の思いを、2代目の儀三郎さん(故人)、新之助さん、政典さんらが、こだわりの原材料と製法で受け継いできた。
包装に刻まれる「ふる里の味」の文字。「田のし飴」の味は、創業当時から同じではない。経験に基づく感覚に加え、近年は温度や原材料の使用量のデータを徹底管理しており、「味は時代とともに確実に進化しています」と政典さん。隣で聞いていた新之助さんが、目を細め何度もうなずく。
まんじゅう、もなか、ういろ、三色団子…。多彩な菓子が店に並ぶ。金盃(きんぱい)カステラは、日本を代表する女子マラソン選手(福士加代子)が気に入り、有名になった。いちご大福は竜王産イチゴの甘みと酸味、白あんとの組み合わせが絶妙。孝子さんが焼く菓子パンや食パンも人気が高い。商品には若い世代の感性も反映している。
それでも、店の一番人気は田のし飴。子どもからお年寄りまでファンが多く、「店に来たほとんどの人が、一袋は買ってくれる」と加代子さん。
袋入り150g185円、ケース入り300gは580円。
問い合わせ: 正栄堂
滋賀県蒲生郡竜王町綾戸167
0748(57)1131
https://ja-jp.facebook.com/shoeido1911/
<中日新聞より>