2020年のNHK大河ドラマ放映予定の戦国武将、明智光秀の、「近江出身伝説」を探る文化財講座が8/1、大津市で開かれた。
滋賀県教育委員会文化財保護課の井上優さんが、光秀について現在の多賀町佐目生まれと記した古文書「淡海温故録(おうみおんころく)」を紹介し、その実像に迫った。
明智氏については、美濃守護だった土岐氏の一族で、美濃国(現在の岐阜県)出身が通説になっている。ただ、光秀の美濃出身を記した1次史料は見つかっておらず、出身地ははっきりとは分かっていない。
淡海温故録は、近江の中世の土豪や社寺などをまとめた地誌で、江戸初期の貞享年間(1684~1688年)に編さんされた。光秀の父明智十左衛門は、美濃から離反してきて現在の多賀町佐目に住み、ここで生まれた光秀は越前の朝倉家に仕官。本能寺の変では、他地域の武士が加勢を拒む中、多賀の武士が光秀に味方したなどの記述がある。
井上さんは、光秀を美濃出身としている「細川家記」(1778年)などの根拠史料より、淡海温故録の方が成立が古い。
▲現在の多賀町佐目には光秀の屋敷跡や光秀の家臣の子孫と聞かされている人たちが存在する
▲内容に無理がなく、素朴に書かれている-などの理由を挙げ
「編さん史料のため、史実として捉えられないが、出身伝説には荒唐無稽とは言えない迫力がある」と指摘した。
<京都新聞より>