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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第75回) 初めての韓国と緊張感があった38度線の板門店

  日本から最も近い外国である「韓国」に初めて訪れたのは1990年、この時も単独でビジネス出張に出かけた。また、その時、飛行機による日帰りでプサン(釜山)に視察に出掛けた。

 韓国へは2006年に妻とソウル及び近郊へ観光旅行に行っだけで2回しか行ったことがないがそれとてもう18年も前になる。   
 
 初回のビジネス訪韓は2泊3日でソウルで打ち合わせとプサンでの視察を行った。ソウルでのミーティングはほぼ順調に進捗し、6-7人一同で相手側主催の「ビジネスランチ」に招待された。
 美味しい韓国料理を頂き、少々のアルコールも出た。勤務時間内のビジネスランチなのでお酒はたしなむ程度である。昼食は初めは和気あいあいの良き雰囲気で歓談し話も弾んだが途中から、多少アルコールが回ったのか、どういう訳か戦前のことが話題になり、日本はけしからん、今でも許さないと糾弾調になって来た。私はこのような話には乗らなかったが私にも謝罪せよのような感じの雰囲気になったが主催者側が気まずい雰囲気を察し鎮静化を図ってくれた。

 韓国では戦前の歴史認識の違いを含めて相手側の反応や対応に気をつけるようこころがけていた。
私は終戦後生まれで戦前のことは直接知らない。韓国のように戦後、戦争、政治教育などはは受けていない。一方、韓国では現在の若者も戦前のことについて教育を受けてると聞く。戦前の植民地時代の被害者としての韓国の人たちからみれば時として被害者意識が表出するのだろうと思った。

 しかし、救いはこの時、相手側全員同じ論調ではなかったし、落ち着くようになだめている人もいた。良きビジネスパートナーと友好のためのビジネスランチは白けたものになった。相手側の上司はこの日のランチでの出来事に対し無礼を謝罪をしてくれた。韓国では日韓の歴史認識の違いは未だに微妙な問題であることを肌身で知ったのであった。

↑写真:朝日新聞より

 こんなことがあったが一度は行ってみたかった「板門店」(パンムンジョン)を訪れた。ソウルから1時間もすれば行ける未だに国連が管理する38度線の厳しい現状を見た。
 ここは日本の植民地問題とは違う次元の、厳しい朝鮮半島「南北問題」の最前線である。終戦後の昭和23年に勃発した朝鮮半島は38度線で休戦されたがテレビや報道でいつも見る「板門店」では常時南北の両軍が常駐し、監視しあっている軍事・政治上の最前線でもある。(*南側は米軍を主体とする国連軍)

 先にも述べたが私は戦後生まれで終戦後、アメリカの日本駐留軍のことも直接は知らない。「板門店」は今は休戦しているが朝鮮の南北が角を突き合わす緊張した場所であった。「板門店」の中に入る前、不測自体が発生した場合、被害を受けることもあっても保証しないとの誓約書にサインさせられた。さすがそのときは厳しい現実を肌身で認識した。

 しかし、異なる政治思想や体制が違うとはいえ、戦後半世紀以上にもなるのに同一民族がこれほどいがみ合うことも理解できなかった。
初めて韓国を訪れた時から30年近くの時間が過ぎたが現実は好転するどころか更に厳しい現状に複雑な気持ちになる。正に近くて遠い国である。
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