ナチュラルにふぉとする

写真、コミュニケーション、英語、外国のこと…

写真師中村光海を想ふ

2007-05-30 15:11:53 | Works


野々市町史通史編に明治末期に写真修業をはじめた同町の写真師について、コラムを書かせていただきました。昨日、調査で大変お世話になった息子さんのところへ、抜き刷りをもってお礼に伺いました。

1000字の記事を書くのに、何度もお宅にお邪魔して、ガラス乾板をみせていただいたり、お話をうかがったり、調査に時間がかかりました。今年2月に発刊されてから、早くお礼にと思いながらも行けずにいたので、ほっとしました。89歳のご高齢なので、お元気な姿を見ることができたのが、一番うれしかったです。

■家族へのやさしいまなざし
中村光海という写真師は、不思議な人でした。プロにもかかわらず、残された写真の点数からすると、家族写真の方が多い。息子さんに聞いたお話をもとに、撮り始めた明治35年頃から昭和30年代までの写真を何度もながめていると、家族思いのやさしいまなざしが感じとれました。

当時はヨーロッパの影響で、日本の写真界には様々な芸術運動が起きます。県内の営業写真師のなかにも、芸術写真を追求した人がいますが、光海さんは関心がなかったのか、写真のスタイルは写真館の肖像写真ぽいものがほとんどです。
でも絵画的な風景写真がないわけではないし。ドキュメンタリーぽい、いいスナップもある。

商売っけがなく、好奇心いっぱいで、いろいろな副業をもち、その上、発明までしてしまう、おもしろい人でした。

「あなたにとって写真とは、何だったんですか?」
光海さんと、お話できればな。いろんな質問が浮かんできて、今になっても、彼のことが気になります。

■時代にふれる
光海さんは、ガラス乾板時代の写真師です。ガラス乾板(フィルムのもと)に刻まれた修整の跡や乾板の箱をみると、その時代にワープしたみたいな感覚、光海さんの作業を見ているような錯覚を感じます。

たとえば、富士写真フィルム株(今の富士フィルム)の創立の翌年、昭和10年に発売された「A-1」乾板の箱が残ってます。それまで輸入品にたよっていた感光材料は、大正時代に国産化がはじまります。日本一の富士山にあやかって、「富士」を社名にしたその会社は、今や国際優良企業です。

■ちょっと心配
このお宅には、光海さんの写真関係のものが、いろいろ残っています。町史編纂事業のときに、残っているものをすべて、きちんと史料化したかったのですが、諸事情から、できませんでした。息子さんが生きている間は、そのままでしょうが、その後のことを想像すると、悲しい思いになります。お金になるものは、どこかへ売られるでしょうし。そして、素人目に何だかわからないものは、捨てられるような気がしてならないからです。そして、歴史の証拠がまたひとつ消えていく。

■写真の歴史的価値
写真を史料として扱うには、撮影年がはっきりしていることが大切です。それが記されていることが一番いいのですが、そんなにうまくはいきません。光海さんの写真も撮影年が記されているもの、また写っている事柄から、判断できるものは、確実に史料価値があります。

じゃ、そうでないものに歴史的な価値がないわけではありません。歴史的価値はあります。その写真をどう扱うか。どう見るかの問題です。これは、今の私たちの問題なのです。

女性起業家お悩み解消・交流会

2007-05-28 11:55:49 | 女性と起業
北陸の女性起業家、女性社長さん、パワフル。ポジティブです!

「失敗はありすぎて・・・」
体験談から出てくる切実な、飾らないことばのひとつ、ひとつが心にしみました。
いろんなことを乗り越えて、大きくなる。乗り越えて行く行動力がすごい。

会場をでるときは、るんるん状態♪
心のデトックス&パワーチャージ効果、絶大です!
次にやろうとしていることの具体的な方法が、自然とひらめいてしまいました
仕事は気から。
いいエネルギーをいただいた、すばらしい会でした。

わたし、自分のことを起業家とは思っておりません。
起業する(会社を起す)つもり?いいえ~
でもその交流会は、ひとりで仕事をしている人や起業を考えている人も、やさしく迎えてくれます。その会的には、個人事業やフリーランスも起業家としているようです。

分類や定義はともあれ、実際のところ、わたしは自分で考え、決断して、問題を解決しながら、仕事をしています。一般事務から社長的なことまで、ひとりですべてをやっているので、仕事のことで、一番共感でき、学ぶことが多いのは、男女とわず、自分でビジネスしている方たちなのです。

情報はたくさん手に入る時代です。
でも、直接会う。生の声をきく。そして何よりも、同じ時間と空間で「共感」する。この心地よさ、感動は、本や雑誌、テレビ、インターネットなどの媒体では、得ることができません。そして、共感こそが、人(自分)を動かす原動力になるんです。
この会が身近にあって、ありがたいですね。

女性起業家交流会のみなさま、失敗談も率直に、笑顔で披露してくださった先輩起業家の方々、ありがとうございました。これからも、遠慮なく、お邪魔させていただこうと思ってます。

この女性起業家交流会のブログがありますよ。

「女性起業家交流in HOKURIKU」ブログ

サクラマス

2007-05-25 11:58:29 | Works
「海の幸紀行」校了です。『北國文華』次号は6月1日発売なのかな?
発売前にちょこっと予告しちゃいます。

「海の幸紀行」では、漁師さんも心躍る桜の頃のみ獲れるサクラマスを取り上げました。
お魚屋さんでは、あまり見かけない高級魚。
釣り人の間では、春限定のせいか結構人気があるようです。

今回取材したのは、志賀町(旧富来町)の定置網漁。網は震源地近くにあります。
地震の前日には、魚がえらく少なく「変だ」と思っていたら、地震がだったとか。
取材した4月下旬には、ようやく魚の量も増え始めたようでした。

外海は波がありますね。凪だというのに、網を起こしている間、船は上下に揺れっぱなし。写真ブレるな~と心配しつつ撮影していたら、船酔いしてしまった。ファインダーをのぞいて集中しようとすると、気分は悪くなる一方。ファインダーを見るのはやめて、適当にねらいを定めて撮影。掲載されている漁中の写真はそんな一枚です。

新聞に掲載されました。

2007-05-24 00:28:05 | Exhibitions
写真展が21日から始まり、オープニング当日取材を受けました。
22日付け北國新聞29面に「穴水、輪島の良さ伝え」の見出しで掲載されました。
自分が書くものよりも、書かれる立場になった方が緊張してしまいますね。
取材の最後に、記者の方が「あなたのふるさとへの思いがわかった」と言ったので
どんな風になるか楽しみでした。
簡潔な文章のなかに、確かに私の心の部分がきちんと記されてます。よかった♪

写真展は、盛況のようです。

帰郷 Homeward Bound

2007-05-16 19:31:26 | Exhibitions
展示する能登の写真を撮影してから、かれこれ10年余りになります。
撮影年をチェックしながら、改めて長い時間の流れを感じました。

アメリカで先住民ナバホ族と暮らしているとき、赤茶けた大地の乾いた空気のなかにふるさとの風景が見え、それがきっかけで能登に帰り、能登の暮らしを撮り始めました。「能登」は、自分のルーツやアイデンティティを模索する、いわば自分探しの旅そのものです。

昔ながらの暮らしぶりが、普段着感覚で、気取らず、素直に続いているところがいいなと思います。集落の人が今まで大切にしてきたことを続けているお祭りが好きです。そこに住む人たちの思いが感じられるから。

能登の写真は、アメリカで2度、個展をする機会をえました。当時はまだ、日本といえば経済大国のイメージが強く、手作業による農作業など、昔ながらの暮らしぶりにアメリカの人たちが驚いていたのを思い出します。

写真展は、2~3年に1度やってきましたが、穴水で写真を見せるのは、ナバホの写真展以来10年ぶり。能登の写真を披露するのは、これが初めてになります。そういう意味では、久しぶりのお里帰りという感じがします。

写真展@穴水

2007-05-14 16:29:05 | Exhibitions

穴水名物ボラ待ちやぐら
最後の漁の風景。1996年撮影
今見ることができるのは観光用で、お人形さんがのっています


「ふるさと能登~日本の原風景」
今月は、故郷穴水町で開催します。

■5月21日(月)~6月1日(金)
■興能信用金庫 穴水支店(穴水町大町 穴水大宮近く)
■ギャラリートーク 5月21日 11:00~ 6月1日 14:00~

今回はスペースの関係で本当に小さな展示ですが、ベスト・オブ・ベストを披露したいと思います。

支店長さんの寛大な計らいで「ギャラリートーク」をさせていただくことになりました。といっても、30分ほど銀行業務に支障がない程度に柔軟にやりますので、美術館でのトークのようにいかないかもしれません。私は写真のそばにおりますので、お気軽に声をかけてくださいね。

銀行なので、写真だけ見に行くには、気が引ける。
そうなのよねぇ。
でも写真だけ見に来ても、捕まることはないので。お立ち寄りくださいませ。


アカモク

2007-05-11 19:53:38 | Works
海の幸紀行、今回はアカモクを取り上げてみました。
『北國文華』2007 春 第31号(北國新聞社)に掲載されてます。

アカモク、ご存知ですか?
冬場が漁期の海藻ですが、モズクの影で目立ちません。
ゆでて、細かくきざむと、ねばねばがいっぱい。すごくおいしいんですよ。
最近、健康食として注目されてきてます。
女性にはおすすめ。
冬限定なのが、残念だな。
あたしは、毎日でも食べたい。好物のひとつ。
詳しくは、雑誌読んでくださいね。
県内では、まだ店頭に並んでます。






モノクロ Lover

2007-05-07 16:38:18 | ひとりごと
「なぜ、モノクロなんですか?」
写真展でこんな質問をされ、ちっと考えてみた。

■モノクロの陰翳が好き。
同じ写真でも、モノクロとカラーでは、光のことばがちがう。
モノクロのことばを使った方が、もの事がよく見えたり、感じたりする。
モノクロを母国語にたとえるなら、カラーは成長してから身につけた外国語みたい。

■思考のプロセスが好き。
モノクロって、最終的なイメージを自分で作っていく楽しみがある。
フィルムの現像も暗室でのプリント作業も自分でする。
撮影の光の具合がこうだったから、現像ではこうして、きれいな白をだそうとか、黒を生かそうとか。撮るときは、カメラのセッティングだけでなく、現像や焼付けまでの工程をトータルにな~んとなくだけど考えつつ、最終的なイメージ描く。
そして焼付けで手を加えながら、それまでのアイディアをもとにイメージを作っていく。

でも、完全に自分でコントロールできるかといえば、そうでもない。写真は化学反応の不可思議さを無視することはできないもの。でも、それはそれでまたおもしろい。

作るプロセスを踏んでいくと、被写体をもっと深く見つめるようになるし、愛着も増していくんだよね。

■プリントの質感が好き。
プラスチックの器と漆器の器の質感のちがい、想像できますか?モノクロプリント(ファイバーベースの印画紙使用)には、漆器と同じような質感があると思う。やさしく、あたたかい感じがする。写真展のようにプリントで表現するときの焼き方って、印刷原稿にするときとは、同じじゃない。細部をきちんと見せるように丁寧に焼いていく。こういう手間隙かけた手作業も好きかな。

自分の言い分って、案外つまらないものだと、思っている。
写真をみてくれた人の方が、うまいこと言うなあ、と思う。
「モノクロだと、いろいろ想像できて、イメージが膨らみますね」

■「モノクロのフィルムってあるんですか?」
先日の写真展で取材を受けた。若い記者の↑の質問は、ショックだった。最初に手にしたカメラがデジな世代っているんだよね。認識しておかないと。フィルムなどの感光材の老舗がどんどん倒産していき、モノクロフィルムが少なくなってきたのも事実。私自身、完全アナログ・モノクロ写真は「作品」と自分でよぶものしか作っていない。続けられるうちは、モノクロの味わいを楽しみたいと思います。