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こんな曲で涙した頃

あのアルバムの、あの一曲(仮)

【口上】いつまでも覚えてる曲って、あるじゃない?

2007-12-12 | Weblog
昔のアルバム紹介って多いけど、1枚全部を紹介しようとすると言葉足りなになってしまう。お気に入りの盤といっても、いつも聴くのは1曲か2曲だしね。そんなつもりで書き始めたのだ、と思う。
……というのも、ずいぶん前に書いたものが出てきたので、もったいないから上げてみただけ。でもこれもなんかのきっかけ、ぼつぼつ、行きます。
基本は70年前後のSSWのアルバム紹介。興味があったら、どこかでみつけて聴いてみてください。

Out On The Weekend - Neil Young

2006-04-12 | Weblog
 いままでアップしたのはずいぶん前に書いたものです。書く時かなり調べた記憶があるけど、いま見ると冗長ですね。ブログ再開を機に、もすこしラクにいきます。
 
 さて、ニール・ヤングの「Harvest」を選ぶとはずいぶんと軟弱な気がする。しかし1曲目の「Out On The Weekend」のスカスカ感を超えるほどルースな曲は、ちょっと他に思い当たらない。先日、このユルさにやられて田舎暮らしを始めたって人がテレビに出てたけど、さもありなん。
 ここではニール・ヤングの歌もいいが、決めはなんといってもストレイゲイターズの演奏。ジャケにあるような納屋で一発録りしたらしいが、隙間感のすごさはジャック・ニッチェの才能だと思っている。もちろんケネス・バトレイのドラムとティム・ドラモンドのベースが織りなす乾いた感じも最高。ちなみにウチのオーディオはこの曲がいちばん心地よく聴けるようチューニングしています。
 肝心のニールは、この頃腰痛で全力疾走できなかったというウラがありました。皆さんがお好きな「RUST」以降の「ニール・パンク」を聴く気になれない私には、この力不足感がぴったり。
 しかしニールとバンドの蜜月状態はそう長く続かなかった。しかもその理由がしょぼい。翌73年の「Time Fade Away」ツアーはどこも超満員だったのに、ニールがバンドとスタッフのギャラをケチったらしい。ジャック・ニッチェがむくれ、ニールは高音が出なくなり、ケネス・バトレイはこの雰囲気がイヤで止めてしまう。変わりに入ったのがCSN&Yツアーでも演奏していたジョニー・バーバタ。これじゃ雰囲気が変わるのもしょうがない。
 バトレイはナッシュビルの人なのですが、ノーバート・プットナム他マッスルショールズの人との仕事も多く、乾いた感じは独特なのです。私はトラフィックのベストアルバムが、プットナム/フッドが参加したライブだと思っている人間なので、ここは譲れません。
 進化し続けるニール・ヤングは凄いと思うものの、これ一枚、というと、いつもこのアルバム。僕にとって遠藤賢司がいつまでも「カレーライス」なのと、どこか通じるところがあります。

House At Pooh Corner - Loggins & Messina

2006-04-12 | Weblog
 童話でお馴染み、A.A.ミルンのくまのプーさんとクリストファー・ロビンを題材に、幼年期と決別する思春期の思いを歌い上げる名曲。イノセントな気持ちを失えないあなた、あなたのための曲です(笑)。
 初出はニッティ・グリッティ・ダート・バンドで、67年にはシングルカットもされヒットした。72年に作者のケニー・ロギンスがジム・メッシーナとのユニットでセルフカバー。74年に発表されたライブ「On Stage」でも、冒頭のアコースティック・セットで、やはり名曲「Danny's Song」などとメドレーで歌われている。
 94年、ロギンスはアルバム「Return to Pooh Corner」で 、アレンジと歌詞を変えて「Return to Pooh Corner」として再録。自分が大人になったと自覚したとき、彼はこの曲を「封印」したのだという。ところが子供が生まれ「パパ、プーくまの歌、歌ってよ」と言われ、あらためて詩を書き加えた。「20年経って、またプー横町に帰ってきた。……」というそのフレーズはあらためて泣かせる。ちなみにこのアルバムは、親と子をテーマに、いろんなエピソードをコンピュータネット「AOL」で募り、ネットワーカーから送られたいろんなエピソードを基に作られたというアルバムだ。

You Are So Beautiful - Joe Cocker

2006-04-12 | Weblog
 イギリスを代表する「ロック・バラード・シンガー」となってしまった彼。かすれた声を絞りあげるように歌うそのスタイルは、この曲によって世界中に認知されたといっていい。74年のアルバム「 I Can Stand a Little Rain」( A&M)に収録された泣きのバラードの名曲。彼は他人の楽曲を自分なりの世界に持ち込んでヒットさせる達人で、最初の全英チャート1位「A Little Help from My Friends」(68年)はもちろんビートルズの曲だし、その後もレオン・ラッセル作「Delta Lady」(69年)、ボックストップスの「あの娘のレター The Letter」(70年)と続き、75年に全米トップ10に入ったこの「You Are So Beautiful」も、ビートルズやストーンズとのセッションで知られる黒人オルガニスト、ビリー・プレストンの曲だ。
 プレストン自身アルバム「Kids & Me」(74年)で歌っているが、ジョー・コッカーのバージョンとは印象を異にする。オリジナルでは後半になると「お前は美しい……お前の脚がいい……お前の……」と、妙にスケベーな詩が延々と続くのだが、ジョー・コッカーのバージョンでは後半をバッサリカットし、大人のバラード曲に変身させている。
 若い時からの「オッサン顔」、他に類を見ないダミ声(彼と肩を並べるのはトム・ウェイツとサッチモくらいのものか)。

 ちなみにこの曲はシンガー心をくすぐる曲らしく、わかっているだけでも50アーティスト以上のカバーがある。ケニー・ロジャースや、エンゲルベルト・フンパーディンク、ウェイン・ニュートン、キャプテン&テニール、ベイビーフェース、リトル・エヴァ、オージェイズ、ケニー・ランキン、ポール・ヤング、ジョージ・マイケルまでがアルバムでこの曲を取り上げている。ジャズ畑でもバーニー・ケッセルやミルト・ジャクソン、日野輝正と枚挙にいとまがない。

Last Train - Arlo Guthrie

2006-04-12 | Weblog
 ボブ・ディランやランブリン・ジャック・エリオットなどのフォーク・シンガーを総称して「ガスリーズ・チルドレン」と呼ぶ。アメリカではフォークの神様、ウッディ・ガスリーのスタイルや生き方を継承したシンガーに名付けられた名称だが、かれは本当の息子。ラッキーなデビュー作「Alice's Restaurant」(67年)は映画にもなり、本人が主演もした。この20数分にもおよぶタイトル曲のトーキング・バラードはそれ自体すごく面白いのだが、ここでは泣きの「Last Train」に話題を移そう。この曲はさして売れなかったものの名作の誉れ高いアルバム「The Last of the Brooklyn Cowboys」(73年)に収められている曲。

 その後話題を聞かなくなったアーロだが、80年代の半ばにはカンヌのTV映画祭に買いつけにやって来たところをインタビューされている映像を見たことがある。TV映画配給会社の社長になったんだなぁ、などと思っていたが、80年代後半からアメリカで流行った「ファーム・エイド」に出演している様子を後に音楽番組で見かけたことがある。などと思っていたら、95年には「Alice's Restaurant, Vol. 2: The Massacre Revisited」として、67年の「アリス……」に新しいエピソードを加えて再演した盤が発売され、97年には「Alice's Restaurant: 30th Anniversary Edition」を発表している。

House Is Not A Home - Burt Bacharach

2006-04-12 | Weblog
 少し前に「渋谷系(懐かしいかも)」の間で再評価されたバート・バカラック。なにがモンド系なのか知らないが、98年にはエルビス・コステロとのコンピュレーションを発表したりとモンドな人たちの喜ぶ話題を振りまきながら、また第一線に返り咲いている。しかしその彼の全盛期は60年代後半から70年代初頭にかけてだ。きっかけは63年のビートルズのアルバム「Introducing....The Beatles」で取り上げられた「Baby It's You」だろうが、あまりこれが注目されることは、なぜかない。やっぱりポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルのお上品な「イージー・リスニング」が全盛の頃、ビートも構成も異質なサウンドで一目置かれていたバカラックの印象が強いせいだろうか。
 当時オーケストラ系に詳しかったヤン富田氏が「バカラックは管弦のアレンジが他と全く違う」と言っていたのを思い出す。そんな彼の67 年の名盤「Reach Out」で、彼自身の歌声が聴けるのがこの曲。「家はただの家に過ぎなくて、家庭ではないんだ。君がいなければ……」と、オールドタイミーなセンスの歌詞は、バカラックとコンビで数々のヒットを放ったハル・デヴィッドの手によるもの。巧みなオーケストレーションからは想像できない素人っぽい歌い方が、妙に滲み入る名曲だ。
 日本ではほとんど注目されなかったが、欧米では30近いカバーがある。彼の秘蔵っ子ディオンヌ・ワーウィックはもちろんのこと、ルーサー・ヴァンドロスやメル・トーメ、ジョージ・フェイムやスティーヴィー・ワンダーなども取り上げている。またジャズ系のカバーも多く、モンティ・アレクサンダー、ラムゼイ・ルイス、ソニー・ロリンズ、ビル・エバンス、ジョー・サンプル、マッコイ・タイナー、スタン・ゲッツと錚々たるアーティストが取り上げている。
 彼のピーク期はディオンヌ・ワーウィックの一連のヒットやカーペンターズに楽曲を提供していた70年代初頭。自身のヒットというより、楽曲を提供したシンガーたちがヒットを生み、それをセルフカバーしてまたヒットさせるという、一粒で二度オイシイ戦略が、彼を支えていた。だが、ハル・デヴィッドとのコンビを解消してからはあまり話題にのぼらない時期が10年近く続く。しかし80年代になって復活。クリストファー・クロス、キャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレンらとのコラボレーションでふたたび第一線のコンポーザーとして注目されるようになり、81年には映画「アーサー」の音楽でオスカーを受賞する。81年にはキャロル・ベイヤー・セイガーと結婚。以降ジェームズ・イングラムやアース。ウィンド&ファイアに曲を提供したりという日々が続いたが、オアシスのノエル・ギャラガーがバカラックのロイヤル・アルバート・ホールでの公演に飛び入りした頃からオルタナティブ系のアーティストにも彼の曲を取り上げるグループが増え、ついにコステロとのコラボレーションになったわけだ。
 もっともコステロは77年にデビューした当時からコンサートではコステロの「I Just Don't Know What to Do with Myself 」を演奏していたという。バカラックによる演奏はないが、ディオンヌ・ワーウィックの「Walk On By」をはじめたくさんのアーティストにカバーされた、これも名曲。コステロの歌はブートの「 Costello & Nieve」や、なんと「What The World Needs Now」からはじまる、バカラックも登場するライブを収録したブート「The Look of Love 」でも聴くことができる。98年にはバカラックの集大成をまとめたボックスセットがライノから発売された。

Brass Buttons - Gram Parsons

2006-04-12 | Weblog
 バースのファン、カントリー・ロックのファン、果てはストーンズのファンにも一目おかれるグラム・パーソンズ。ロック・シーンに「保守派の音楽」と嫌われたカントリーを持ち込んだその功績はさておき、泣きたくなるほどメローなこの曲は、25年以上経った今もその魅力を失っていない。ただ、この人の評価はそれほどのものか? と思うこともないわけではない。「ロデオの恋人」がバースの最高傑作とは思わないし、残されたアルバムも名盤、というのとはちょっと違う、と思っている。これは少数意見なんだろうか? ただ楽曲だけをとれば、名曲が少なくない人であることも確かなのだが。
 バーズ脱退後に発表したセカンド・アルバム「Grievious Angel」(74年)に収められた「Brass Buttons」は、ファースト「GP」(73年)の「She」などに通じるバラード曲。印象的なピアノのイントロと、アクセントとなるスティールギターのリフ、決してうまいとはいえないグラム(バース組ではジーン・パーソンズというメンバーもいるので、ここではグラムと表記する)のボーカル……。あらためて聴いてみて、やっぱりカントリー・バラードは演歌なんだな、と実感する。彼のソロは、いまさらロックのビートを強調したり、ロック的なアプローチ(たとえばポコなどに見られる)をしているわけではない。だからアルバム自体は純然たるカントリー・アルバムのイメージが強い。当時は「髪の長いヤツがカントリーをやっている」だけで、充分革新的なことだったのだ。アルバム・ガイドならその辺の事情が重要になってくるのだが、「泣ける選曲」では、この曲の魅力だけにポイントを絞ろう。
 「真鍮のボタン、緑の絹、銀の靴」……と、状況を淡々と描写するイントロ。「彼女の言葉はいまも頭の中を踊り、彼女の髪の毛はいまもベッドの上に」……と、いなくなった彼女の思いにひたる展開。韻を踏んだ歌詞も最近のロックでは重要視されないパターンで、これも新鮮に聴こえる。コットンランドから出てきたひとりの女性を描写した前作の「She」に比べても、どんどんカントリーの文法へと戻っているのが面白い。
 どちらも名盤の誉れ高いのに、リアルタイムではまったく売れなかった。それが原因でドラッグに走り(手助けをしたのがストーンズのキース・リチャードだという説もある)、結局それが原因で73年の9月19日に死去。死後発表されたフォーリン・エンジェルズ(彼のバンド、エミールー・ハリスもいた)でのグラムの声は、明らかに調子が悪そうだ。
 バースのメンバーのなかでもグラムはとりたてて評価が高い。ハードコアなファンも多く、死後数々のコンピュレーション盤が発売されている。でも、そのほとんどはグラムが在籍したインターナショナル・サブマリン・バンドやフライング・ブリトー・ブラザースからの寄せ集めだし、その曲も「初期のカントリーロック」という資料価値以上のものは少ないように思う。同様に、グラムのソロ2枚でも、もろカントリーの曲はカントリーのファンでもなければ聴き飛ばしてしまうのではないだろうか? 30年の時代の流れとは、そんなものなのだろうか。しかし名曲は名曲。この1曲のためにアルバムを買うのは、決して損なことではないと思う。
 「Brass Buttons」は73年のアルバム「Crazy Eyes」でポコがカバーしている他、90年にレモンヘッズがアルバム「Lovey」でも取り上げている。偶然買ったジョニー・リバースの「(あとでね)」にもこの曲はカバーされていたが、どうもGPの印象が強すぎるせいか、情けない声でないとあの情感は伝わりにくい気がするのは自分だけか?

Tonight, Sky's 'Bout To Cry - Eric Justin' Katz

2006-04-12 | Weblog
日本でのみ、といっていい人気のエリック・ジャスティン・カズ。「名盤発掘」で知られる小倉エージ氏らの努力もあり、98年にソロアルバムが2枚ともCDで再発された、この曲は彼のファースト「If You're Lonely」に収録されている。
ジョン・アンドレオリとの共作による「Tonight, Sky's 'Bout To Cry」は、彼のピアノと弦楽器だけをバックに切々と歌い上げる様が堪らない。「まるで今夜は、空も泣いているようだ……」と、テーマはよくある孤独な男の独白なのだが、その切なさはとびきりだ。エリック・カズ(セカンド以降この名称になる)はシンガーソングライターにくくられているが、ジャンルにおさまらないサウンドをこのアルバムで聴くことができる。ゴスペルやR&B、果てはフォスター(もちろん「オールド・ブラック・ジョー」他アメリカの古典愛唱歌を数多く作曲した彼だ)の影響まで感じられる幅広い音楽性も彼の魅力のひとつ。当時リアルタイムで聴いた人は少ないだろうが、いまCDで初めて聴いても「懐かしい」思いを感じることだろう。近年聴くことのない、絶滅したサウンドのひとつといえる。
バックにはチャック・レイニーをはじめとするジャズ陣、ボニー・レイットのギター、トレイシー・ネルソンのコーラス。この曲でもストリングス・アレンジを担当しているデオダートは、2作目「Cul-De-Sac」では全面的にオーケストレーションを担っている。そういえば一世を風靡したエミル・デオダードも、すっかり過去の人となってしまった。
初出は彼が在籍していたゆるゆるのサイケデリックバンド「Blues Magoos」時代。アルバム「Galf Coast Bound」で取り上げられている。だからこのソロでの再録はセルフカバーとなる。もっともこのオリジナルはあえて探すほどの出来ではない。曲はいいが演奏は素人にケが生えたよう、という当時のセルフ・コンテインド・バンドそのままの音だ。
60年代にはのちのウッドストック系のお友達、ハッピー&アーティも在籍した「チルドレン・オブ・パラダイス」でピアノを弾いていたのがプロキャリアの始まり。カズが注目されたのは、リビー・タイタスとの共作「Love Has No Pride」をボニー・レイットやリンダ・ロンシュタッドが取り上げたことによる。「Love Has No Pride」は他にもトレイシー・ネルソン、ピーター・ヤーロウ、ポール・ヤングなどにも取り上げられている名曲。彼自身のソロ・アルバムには収録されていないが、76年に元ピュア・プレイリー・リーグのクレイグ・フラーや元BS&Tのスティーブ・カッツ、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのダグ・ユールと組んだアメリカン・フライヤーのファースト「Amrican Flyer」で、自身の歌声が聴ける。ちなみにプロデュースはジョージ・マーチン。アメリカン・フライヤーは2枚のアルバムを残し解散し、のちクレイグ・フラーとデュオ・アルバムを2作残した。
その後ボニー・レイットの「Nine Lives 」(86年)にピアノで、エイドリアン・ブリュー等のベアーズにアーティ・トラウムと共に客演して以降、「収まるべくして収まった」感のある、ウッドストック人脈の「Woodstock Mountain Review」(87年)の参加を最後に彼の演奏を聞くことがなくなってしまった。噂ではコンポーザーとしてそこそこのヒット曲を出しているらしいが、やっぱり彼のソロをあらためて聴いてみたいもの。でも出してくれそうなのは日本のDreamsvilleくらいのものか。
追記 約30年振りの新作が2002年に発表された。新作といってもデモや未発表テイク中心。この曲のデモも収録されている。

Scarborough Fair / Canticle - Simon & Garfunkel

2004-09-16 | Weblog
ずいぶん昔のことだが、オーディオを買い換えてから、この曲をがしっくりこなくなった。CDでも、LPでも買い直して聴いてみたのだが、やっぱり少年期にAMの、深夜放送から流れてきた音の記憶にはかなわない。あのS/N比の低いくぐもった音でも魅了された音楽っていったいなんだったんだろう? ドンシャリでハイコンプレッションが当たり前の最近のヒット曲では、このガーゼを何枚もかぶせたような音を想像することもできないだろう。
スカボローはヨークシャーの港町。アランセーターで知られる漁師の町だ。この町で昔市が開かれていて、それが「スカボローフェア」というわけ。「スカボローフェアに行くのか? パセリ、セージ、ローズマリーとタイム。そこに住むあの人に、私を思い出すように伝えて欲しい。私の本当に愛した、あの人に」
イギリスの歌はどうも比喩が多くてわかりづらいのだが、パセリ、セージ、ローズマリー、タイムといったハーブは報われない愛を遂げるための薬草であるらしい。もっともハーブの香りは田舎の匂いそのものなのかも知れない。漁村であり、たぶんいろんな土地から船で渡ってくるものの多かったスカボローの町には荒くれ者も多く、犯罪者は裁判後すぐ吊されてしまったという話も残っている。曲調からは考えられないほど、ヤクザな土地だったらしい。もしかして歌い手はこの町に住めなくなった男かも知れない。

さて、昔のあの音を再現するために、今度オーラトーンのスピーカーでも買ってみようか(笑) たしか最初に聴いた番組は、「馬場こずえの深夜営業」だった気がする。

Ticonderoga Moon - Orleans

2004-09-16 | Weblog
調べてはみるものだ。オーリアンスの経歴が日本で紹介されることなんてまずないが、このグループの最大のヒット「Dance With Me」を聴いたことのある人は少なくないだろう。ところがアメリカ系のホームページのサイトをみると、トップにくるのは「Still The One」。果たして日本でシングルカットされたのだろうか……。長年疑問に思っていたが、実はこの曲、77年のABC-TVのテーマ曲に採用されていたという。
ちなみにこの曲はオーリアンズのファーストアルバムに入っているバラード曲だ。「ティコンデロガ」とはなんとも聞き慣れない名前だが、これも調べてみるとニューヨーク州にある古い砦の名前で、この地名はたぶんインディアン語だろう。アルバニーからバーリントンへ向かう途中、87号線上にある。訪ねたことはないが。
このアルバムは、リーダーでギタリストのジョン・ホールの名を一躍有名にした「Half Moon」が収められている。もちろんジャニス・ジョプリンが「Pearl」でとりあげたあの曲で、このシングルヒットのおかげでジョン・ホール&オーリアンズは注目されることになる。とはいうものの、決して恵まれたスタートとはいえない。他で触れたがメンバーのホッペン兄弟はこれ以前に「キング・ハーベスト」のメンバーでのレコーディング歴がある。その後2人はマッスル・ショールズでスタジオミュージシャンとして働くことになり、ジョンとはここで出会う。セカンドアルバムは半分がこのマッスル・ショールズ、残りをベアーズビル・スタジオで録音したものの、内容が気に入らないとABCレコードは発売を拒否。アルバム「Let There Be Music」はアサイラムで録り直しして発売され、「Dance With Me」の大ヒットとなった。ちなみにこのセカンドが発売中止になったのは急だったらしく、日本盤は発売されてしまった。