少し前に「渋谷系(懐かしいかも)」の間で再評価されたバート・バカラック。なにがモンド系なのか知らないが、98年にはエルビス・コステロとのコンピュレーションを発表したりとモンドな人たちの喜ぶ話題を振りまきながら、また第一線に返り咲いている。しかしその彼の全盛期は60年代後半から70年代初頭にかけてだ。きっかけは63年のビートルズのアルバム「Introducing....The Beatles」で取り上げられた「Baby It's You」だろうが、あまりこれが注目されることは、なぜかない。やっぱりポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルのお上品な「イージー・リスニング」が全盛の頃、ビートも構成も異質なサウンドで一目置かれていたバカラックの印象が強いせいだろうか。
当時オーケストラ系に詳しかったヤン富田氏が「バカラックは管弦のアレンジが他と全く違う」と言っていたのを思い出す。そんな彼の67 年の名盤「Reach Out」で、彼自身の歌声が聴けるのがこの曲。「家はただの家に過ぎなくて、家庭ではないんだ。君がいなければ……」と、オールドタイミーなセンスの歌詞は、バカラックとコンビで数々のヒットを放ったハル・デヴィッドの手によるもの。巧みなオーケストレーションからは想像できない素人っぽい歌い方が、妙に滲み入る名曲だ。
日本ではほとんど注目されなかったが、欧米では30近いカバーがある。彼の秘蔵っ子ディオンヌ・ワーウィックはもちろんのこと、ルーサー・ヴァンドロスやメル・トーメ、ジョージ・フェイムやスティーヴィー・ワンダーなども取り上げている。またジャズ系のカバーも多く、モンティ・アレクサンダー、ラムゼイ・ルイス、ソニー・ロリンズ、ビル・エバンス、ジョー・サンプル、マッコイ・タイナー、スタン・ゲッツと錚々たるアーティストが取り上げている。
彼のピーク期はディオンヌ・ワーウィックの一連のヒットやカーペンターズに楽曲を提供していた70年代初頭。自身のヒットというより、楽曲を提供したシンガーたちがヒットを生み、それをセルフカバーしてまたヒットさせるという、一粒で二度オイシイ戦略が、彼を支えていた。だが、ハル・デヴィッドとのコンビを解消してからはあまり話題にのぼらない時期が10年近く続く。しかし80年代になって復活。クリストファー・クロス、キャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレンらとのコラボレーションでふたたび第一線のコンポーザーとして注目されるようになり、81年には映画「アーサー」の音楽でオスカーを受賞する。81年にはキャロル・ベイヤー・セイガーと結婚。以降ジェームズ・イングラムやアース。ウィンド&ファイアに曲を提供したりという日々が続いたが、オアシスのノエル・ギャラガーがバカラックのロイヤル・アルバート・ホールでの公演に飛び入りした頃からオルタナティブ系のアーティストにも彼の曲を取り上げるグループが増え、ついにコステロとのコラボレーションになったわけだ。
もっともコステロは77年にデビューした当時からコンサートではコステロの「I Just Don't Know What to Do with Myself 」を演奏していたという。バカラックによる演奏はないが、ディオンヌ・ワーウィックの「Walk On By」をはじめたくさんのアーティストにカバーされた、これも名曲。コステロの歌はブートの「 Costello & Nieve」や、なんと「What The World Needs Now」からはじまる、バカラックも登場するライブを収録したブート「The Look of Love 」でも聴くことができる。98年にはバカラックの集大成をまとめたボックスセットがライノから発売された。
当時オーケストラ系に詳しかったヤン富田氏が「バカラックは管弦のアレンジが他と全く違う」と言っていたのを思い出す。そんな彼の67 年の名盤「Reach Out」で、彼自身の歌声が聴けるのがこの曲。「家はただの家に過ぎなくて、家庭ではないんだ。君がいなければ……」と、オールドタイミーなセンスの歌詞は、バカラックとコンビで数々のヒットを放ったハル・デヴィッドの手によるもの。巧みなオーケストレーションからは想像できない素人っぽい歌い方が、妙に滲み入る名曲だ。
日本ではほとんど注目されなかったが、欧米では30近いカバーがある。彼の秘蔵っ子ディオンヌ・ワーウィックはもちろんのこと、ルーサー・ヴァンドロスやメル・トーメ、ジョージ・フェイムやスティーヴィー・ワンダーなども取り上げている。またジャズ系のカバーも多く、モンティ・アレクサンダー、ラムゼイ・ルイス、ソニー・ロリンズ、ビル・エバンス、ジョー・サンプル、マッコイ・タイナー、スタン・ゲッツと錚々たるアーティストが取り上げている。
彼のピーク期はディオンヌ・ワーウィックの一連のヒットやカーペンターズに楽曲を提供していた70年代初頭。自身のヒットというより、楽曲を提供したシンガーたちがヒットを生み、それをセルフカバーしてまたヒットさせるという、一粒で二度オイシイ戦略が、彼を支えていた。だが、ハル・デヴィッドとのコンビを解消してからはあまり話題にのぼらない時期が10年近く続く。しかし80年代になって復活。クリストファー・クロス、キャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレンらとのコラボレーションでふたたび第一線のコンポーザーとして注目されるようになり、81年には映画「アーサー」の音楽でオスカーを受賞する。81年にはキャロル・ベイヤー・セイガーと結婚。以降ジェームズ・イングラムやアース。ウィンド&ファイアに曲を提供したりという日々が続いたが、オアシスのノエル・ギャラガーがバカラックのロイヤル・アルバート・ホールでの公演に飛び入りした頃からオルタナティブ系のアーティストにも彼の曲を取り上げるグループが増え、ついにコステロとのコラボレーションになったわけだ。
もっともコステロは77年にデビューした当時からコンサートではコステロの「I Just Don't Know What to Do with Myself 」を演奏していたという。バカラックによる演奏はないが、ディオンヌ・ワーウィックの「Walk On By」をはじめたくさんのアーティストにカバーされた、これも名曲。コステロの歌はブートの「 Costello & Nieve」や、なんと「What The World Needs Now」からはじまる、バカラックも登場するライブを収録したブート「The Look of Love 」でも聴くことができる。98年にはバカラックの集大成をまとめたボックスセットがライノから発売された。