「あなたの世界の終わり」 アジャシャンティ著(ナチュラルスピリット)
P98〜P107より
目覚めの後にもっともよくある間違った思い込みの1つが、優越感です。
これはスピリチュアルなサークルの中で非常によくあることです。
彼らが目覚めていてもいなくても、彼らは優越感の中で行き詰まることがあります。
定着しない目覚めから定着する目覚めの領域を横切っているときの罠と同様に、優越感は夢の状態の中での罠です。
しかし、目覚めのあとはエゴ的マインドが入ってきて
まるで目覚めのせいで自分が他人よりも偉くなったかのように、個人的出世感を感じ始めるのです。
これは非常によくあることで、ほとんどプロセスの自然の1部です。
このよくある間違った思い込みは、自分は知っているという感覚です。
私たちは目覚めたので知っている。私たちは目覚めたので、正しい。
私たちは目覚めたので、”常”に正しい。この地点でエゴは
ーーそれは夢の状態の建築家ですがーー
その認識を取り込んで、私が”悟ったエゴ”と呼んでいるものを創造し始める可能性があります。
悟ったエゴほど、不愉快なものはありません。
それは自分が悟っていると”思っているエゴ”自分が目覚めていると”思っているエゴ”目覚めのエネルギーと覚醒の1部を使って
新しい優越したエゴ感覚を建築しようとしているエゴです。
私は真正な目覚めの瞬間を経験した人たちが、自分が見たくないありとあらゆることを避けてしまうために
その目覚めを使うのを見たことがあります。
私は人々がこんなことを私に言うのを聞いたものです。
「でもアジャ、エゴなんてないわけでしょう。『自分』だっていないし。どんな『自分』もいないんだから、何もすることなんてないんです」。
で、私は言います。
「はい、その通りです。でもあなたは、自分が時々まぬけなように行動する、信じられない能力を持っていることに気づきませんか」。
すると、彼らはいます。
「そうかもしれませんけど、でもここにそれについて、何かをするどんな人もいないわけだから。それはすべて自然発生的に展開しているのです。
それにどんな方法でも取り組むべきだと考えることは、もっと夢状態の錯覚です」
こういう状態、つまりある種の洞察にしがみつき、それらの背後に隠れるという状態に行き詰まっている人に理解させることは、大変なことです。
私たちが本当に目覚めた状態にいるとき、私たちは自分の内部で、何かから隠れるための方法として、自分が覚醒したことを使う事は決してありません。
私たちはあらゆることを存在の光の中に歓迎します。
私たちが自分の無意識の行動を退けるための手段として、自分自身の覚醒を使っていることに気づくや否や
すぐに自分が間違った思い込みの状態から行動していると認識すべきです。
以前にも言ったように、物事の絶対的見方は真実です。
分離した行為者はいませんし、エゴは幻想です。究極的には何かをするどんな分離した実体もいませんし、実際あらゆる事は自然発生的に起こるのです。
しかしより深い真実があります。この深い真実に関する問題は、それを言葉にすることが非常に困難だと言うことです。
中略
もしあなたが自分自身の中の優越感に気づいたら、もっとも重要なことは、それを信じないことです。
それを押しやろうとしないでください。でもそれを信じないでください。
もしそれを信じず、またそれを自分のシステムから追い出すこともしない状態に留まれば、その時には消滅が起こります。
もしあなたがそれを押しやろうとすれば、あなたが抵抗することは何であれ、しつこく残ることを覚えておいてください。
実際あなたは、何であれ自分が押しやろうとすることを、元気付けているのです。
どうやって隠れた優越感がわき起こることができるのか、そして、それにどう対処するのか、きわめてよく例示している私自身の人生の話をしましょう。
25歳のとき、私は最初のある種の本当のスピリチュアルな目覚めを経験したことを思い出します。
それは非常に強力で非常に解放的なものでした。私は25歳の若造なのに、突然自分のシステムに何の恐れもなくなったのです。
私は自分が不死で、傷つけられないことがわかり、自分の中に内在していたすべての生存本能が、自分のシステムから消えてしまったのです。
その目覚めの数ヶ月後、私は自分の先生に会いに行きました。
私はいつも毎日曜日、彼女に会うことになっていました。私たちは座って、瞑想し、彼女が話し、また少し瞑想し
それから私たちはみんなで一緒に朝食を食べたものです。
このとき、私が他の生徒たちと一緒に部屋に座ったとき、優越感が自分の中にわき起こったのです。
それは本当に私を驚かせました。しばらくして、私はそれを「優越男」と呼び始めました。
私は瞑想してそこに座っていました。すると突然、優越男が現れたのです。
私はあたりを見まわし、部屋の他の人たちは何も知らないという、この感覚があったのです。
彼らは真実について何も知りませんでしたし、リアリティについて何も知りませんでした。
一方、私は偉大な覚醒を経験したのです。私はすぐに恐ろしくなりました。
なぜなら、幸運にも私の場合、それが本当ではないとわかっていたからです。
その覚醒体験それ自体が私に、優越感は全くの夢、エゴ的幻想であると教えました。
しかし、そうわかっても、優越男が現れることを防ぐことはできませんでした。
目覚めたという真実から、私のマインドはこの大きな優越感を生み出していました。
同時に、その感覚は全く真実にもとづいていないという、より深い感覚がありました。
私は優越男を追い出そうとあらゆることを試みました。
最初私は、それは真実ではないと自分にただ言い聞かせ
優越感が何のリアリティーも持っていない場所へ戻りました。
それにもかかわらず、毎週私が瞑想しにやってくると、この優越感がわき起こりました。
私はあらゆることを試みました。最初、私はそれを死ぬほど憎もうとしました。
それから、死ぬほどそれを愛そうとしました。
それが去るだろうと希望しながらそれを受け入れ、それが存在することをゆるしました。
私はそれがどこからやってきて、なぜ現れるのかを見ました。
何週間も過ぎ去り、私はそれを排除するために、思いつくだけのあらゆる戦略を試みましたが、すべての戦略は失敗しました。
毎日曜日、私が座るたびに、優越男が現れたのです。
ついに、ある朝私は、優越男について自分にできることは、実際何もないのだと理解しました。
それは完全に敗北したような感じでした。
私はそれを取り除くためにあらゆることをやって、それでも何もうまくいかないことを理解しました。
私にできることは何もなかったのです。
それは退却ではありませんでした。
それは、私がそれに対して盲目的になりつつあるというようなことではなかったのです。それは真正で誠実な覚醒でした。
それは完全な敗北の瞬間でした。私は自分がどれほど覚醒しても、それでも自分が負けることがありえることを理解したのです。
目覚めが起こったあとでさえ、自分の内部に本当ではない何かがまだわき起こり
それを実際に取り除くことができないということが、ありえるのです。
私はそこに座って、自分が負けることをゆるしました。
私はいつもより長く瞑想し、それからみんなと一緒に立ち上がり
そして、朝食が始まりました。私が一緒に朝食の席についたとき、優越感がなくなったことに私は気づきました。
それは、私が突然何かを理解したから、というものではありませんでした。
何の理由もありませんでした。私は自分がそれについては、何もすることができないことを理解したのです。
私がいくら努力しても、この傲慢さを追い出すことができないという事実と出会ったことは、数多く経験した個人的意志の虚しさの最初の1つでした。
ですから、もしあなたが目覚めのあとで、自分が優越感を感じていることに気づいたら
それを押しやってはいけません。どんな否定性も押しやってはいけません。
しかし、それを養ってもまたいけません。
ただそのありのままを見てください。それが1番重要なことです。
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