【尾崎放哉】鑑賞
作句における「虎の巻」は小休止して、本日は当ブログでは昨年の4月15日に【自由律俳句】というタイトルで、種田山頭火の句を10句ほど紹介いたしましたが、本日は4月7日が忌日であります尾崎放哉の、わたくしの好きな句を紹介、並びに数句を鑑賞したいと思います。
以下の句のほとんどが、亡くなる8か月前の句であるという。
咳をしても一人
不謹慎かもしれないが、江戸川柳に「屁をひって おかしくも無し 独り者」というのがある。一脈通ずるものがありますが、この句は、咳をしたあとの、その余韻をじっと見つめる孤独な眼差しがあります。
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
とんぼによって、人恋しさの思いが癒されています。
障子あけて置く海も暮れ切る
開けっ放しの障子の間の眼前に、もうすっかり暮れ切った広大な海の波音だけが聴こえる。寄せては返す波はどこから来て、どこへ帰ろうとしているのか・・・
自分をなくしてしまつて探して居る
「意識とはなんだろう、俺ってなんだろう、果たして俺は本当に生きてているのだろうか」・・・そんな自問自答が聴こえてきます。
月夜の葦が折れとる
葦はまさしく放哉自身なのだ。
墓のうらに廻る
墓のうらに廻る
なにか自分自身の、やがてくるであろう死を予感して作ったような気がする。
もう魂は肉体を離脱して、自分の墓を彷徨いながら、裏からしみじみ覗いているのだ。
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
足のうら洗へば白くなる
竹籔に夕陽吹きつけて居る
入れものが無い両手で受ける
竹籔に夕陽吹きつけて居る
入れものが無い両手で受ける
あすは元日が来る仏とわたくし
枯枝ほきほき折るによし
霜とけ鳥光る
肉がやせてくる太い骨である
一つの湯呑を置いてむせている
白々あけて来る生きていた
これでもう外に動かないでも死なれる
枯枝ほきほき折るによし
霜とけ鳥光る
肉がやせてくる太い骨である
一つの湯呑を置いてむせている
白々あけて来る生きていた
これでもう外に動かないでも死なれる
春の山のうしろから烟が出だした(辞世)
※典比古
俳句を嗜んでいるものにとっては、自由律俳句を代表する俳人(?)として、種田山頭火と尾崎放哉はほぼ通過してゆきますが、そのときこのどちらかに心酔する方も多いように見受けます。しかし結論から先に言ってしまうと、小西甚一氏が次のように喝破したごとくであると思う。
「自由にしゃべりたいなら、散文でしゃべればよい。自由律俳句がいくら引きのばしてみたところで、散文に対抗できるわけがない。それなのに、なぜ散文にまで解体しなかったのか。これは、一方に定型俳句が厳存したからだと認められる。
定型俳句によって、誰しも『俳句とはこんなもんだ』と意識するひとつの標準がちゃんとあったから、それにもたれて、定型俳句をすこし崩した程度の長さをもつ自由律が、やはり『俳句』だと称しえたのである。」と。
この論は「自由律俳句」を俯瞰した視点からのそれでありますが、だからといってわたくしはこの二人を否定するわけではありません。なんだかとても共感をもって読んでしまうのです。なにか「どきっ!」とするような詩情があるのです!
放哉の晩年の句には、孤独の魂が呻吟するさまが読み取れて、痛々しさを感じてしまうが、それを掬いだして昇華させていくことが、放哉にとっての生であったような気がする。
その魂が希求するところは、仏教でいうところの涅槃への、身を焦がすような憧れがあったと思う。が、それが叶わぬことからくる思いを、俳句という定型を跳び越えて、自由に羽搏く詩情へと向かわせたように見えます。
尚お写真は「咳をしても一人」漂泊の俳人
【 あの人の人生を知ろう~尾崎 放哉 】Hosai Ozaki 1885.1.20-1926.4.7 (享年41才)よりお借りしました。下記の記事もこのブログからの引用です。
【 あの人の人生を知ろう~尾崎 放哉 】Hosai Ozaki 1885.1.20-1926.4.7 (享年41才)よりお借りしました。下記の記事もこのブログからの引用です。
「1924年(39歳)、冬の一燈園の寒さと労働奉仕の厳しさに肉体の限界を感じた放哉は、3月から知恩院塔頭・常称院に入る。だが、井泉水が寺を訪れた際に再会の喜びから泥酔し、わずか一ヶ月で住職に追い出された。6月、知人の紹介で神戸の須磨寺に身を置く。これから死に至るまでの2年間、大量の名句を生み出してゆく。」
尚、終焉の地の小豆島には尾崎放哉記念館があり、隣接する西光寺奥の院に放哉の墓があるそうです。


放哉 放哉のお墓
※典比古
お知らせです!
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わたくしが所属しております「詩あきんど」の主宰(二上貴夫)による
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第一回目の動画に限り無料で配信いたします。
https://youtu.be/77aEBHMylC0(編集してありますので、約48分ほど)
※主宰より
講座は俳句の鑑賞が中心ですので、理解に必要な背景にある、其角の教養や境地を学びます。其角の教養は、漢詩・新古今和歌集・禅書などを「本歌本説取り」したもので、今日の俳句の作り方とは異なるので、其角の俳句を理解できる人は殆どいなくなりました。正しく理解し、其角の境地を学びましょう。
尚、今後の予定は
■第一期 3月~6月(生誕から23歳。天和3年の『虚栗』上梓と宗匠立机まで)
■第二期 7月~10月(初めての上方行脚の24歳から「芭蕉翁終焉忌」上梓の34歳まで)
■第三期 11月~2月(35歳から宝永4年47歳で死去するまで。枕もとに『類柑子』『五元集』あり)
テキスト:『其角抄・月花ヲ医ス ¥2,000』,『型で俳句を・第2版 ¥1,600』
受講費用:¥2,000/一期 ¥5,000/通年
郵便振込:ドームイグノラムス 00240-9-45292
※講座が終わった後「YouTube」で、前回の講座を非公開(パスワードを送ります)で、何度でも視聴できます。
※典比古
其角のこと、またこの講座のことはわたくしのブログでも記事にさせていただきました。
ご興味関心のおありになる方は、覗いてみてください。
令和2年10月20日【其角とは誰か】
https://blog.goo.ne.jp/norihiko/e/b59fd46ae379030550bae9b4501e8148
尚、次回の講座は、明日4/3、午後1時半からです。
お申し込みはこちらです。
http://kikaku.boo.jp/awa/
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令和2年10月20日【其角とは誰か】
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尚、本日4月の「詩あきんど」諸会のお知らせが主宰よりありました。
4日(日)の記事でお知らせしますが、明日は午前10時半より、晋翁忌
竹村半掃・中澤柚果・中尾美琳・小巻小乃葉・二上貴夫の5人で、上行寺・其角墓前へお参りし、献詠俳句を捧げます。
なお、ズームでオンライン中継をしますので、10時50分頃、ご視聴ください。
※わたくしは諸事情により欠席ですが、「ズーム」は出席いたします。よろしくお願いいたします。