両吟半歌仙「蔵王の峰」の巻・短評コメント
前回9句目までを紹介させていただきます。
鳥雲に蔵王の峰へ帰するかな 桜田一平
小径をゆらす糸遊の列 矢崎硯水
花万朶絵筆かさねる昼過ぎて 一平
子供ら騒ぎ結びころがる 硯水
番匠とつかずはなれず野良の猫 一平
軒端に吊るす鼻曲がり鮭 硯水
ウ 道元忌はじめに四威儀ただしけり 一平
ぽっかり空を照らす名月 硯水
数分のLINEのなかに情通い 同
以下10句目からの短評コメントです。
- 典比古 ★硯水翁
ペアリングしてショパン連弾 一平
●二人のこころの高揚感と、通い合うこころの符号が描かれており、手をつないで音楽会場に弾みながら向かう姿が浮かびます。
★生活水準の高い趣味のよい恋人たち。「連弾」に【お二人のこころの高揚感】が表れています。『音楽・外国人名』
静々といつものように幕が開き 硯水
●会場の幕が静かに開き、期待が高まる演奏。
★会場の、演奏の空気感を言っているのですが、この半歌仙の更なる展開の幕開きを促してもいます。『芝居』
病かかえる巡礼の旅 一平
●人生という時の流れも感じさせ、内面の静けさが滲み出ており、句柄の深さを感じます。
★宿痾を抱えながらも、堅い決心のもと巡礼の旅を続けている。『病態』『神仏』『旅態』
車窓より残る紅葉を眺めつつ 硯水
●時の無常さをも抱きつつ、紅葉の風情に見とれながら、車窓のうつろいに思いを馳せる。
★『時の無常さををも抱きつつ・・・』。『乗物』
息の白さを月に競える 一平
●この冬の寒さはいつになく身に染むなあ~、あの真っ白な凍えるような月の白さと、己の深い息の白さは、まるで月と競っているようだ。
★「息の白さ」と「月の白さ」の競いは凄い。
潜り戸を押して現るぬらりひょん 硯水
●独りの居間に旅の疲れを癒しているそのとき、潜り戸の狭いところから急にぬらりひょんが顏を出す。
★「ぬらりひょん」は鳥山石燕『画図百鬼夜行』を初めとして尤もポピュラーな妖怪の総大将である。禿げ上がった頭はいびつに見えるがそれなりの形ではあり、仕立て下ろしの和服を着こなして身なりもなかなか。
夕飯の支度で忙しい見ず知らずの家に上がり込み、皿盛りの鰈(かれい)の煮付けを抓まんで「醤油が沁みとるわい」と。
あまりの落ち着きぶりに家人は遠縁の爺ちゃんと勘違いして、「待ってえな、いま、酒さ出すから」と応対する始末と相成る。そんな記述がそのかみの『黄表紙』に遺っている。
頭脳明晰と言われる反面、簡単な受け答えができない。親切で人懐こいようでありながら狡猾な性格がときおり顔を覗かせると専らの噂。因みに「ぬらりひょうん」の漢字表記は「滑瓢」。ぬるぬるして掴みどころがないわけだ。
善悪両義を有する妖怪の総大将の出現とあって、村人たちの右往左往ぶりは下記の講釈師の談ずる通りである・・・
さても乱れぬ人間(じんかん)の相 一平
●近隣にまで轟くようなその驚きの声が、もう村中に伝わっていき、うわさがうわさを呼び合い、妖怪の親分「ぬらりひょん」の出現に、右往左往としている村人が目に浮かぶ。
※「人間の相」という措辞が抽象的な印象を受けましたが、しかしなから、よく読むと「うまい表現だなぁ~」という印象。この「人間(じんかん)」は「輪廻や迷いの場」と読む視点、さらに「相」には「人間性の滑稽さ」をも思わせるものがあります。
※「乱れぬ」という「ぬ」の解釈において一瞬戸惑いましたが、ここは打ち消しではなく、完了の助動詞として解釈しました。ですので「乱れてしまった」という解釈での「コメント」です。
★確かに抽象的ではありますが「人間の相」でしか捉えられない、表現できない「ぬらりひょん」ではあります。面相風袋だけでなく精神面を含めて「超妖怪」でしょうね。妖魔。
湖は指呼のうちなり花火酒 硯水
●ようやく非日常的な「ぬらりひょん」の騒動もおさまり、湖も静けさを取り戻し、ほっとした安堵の気持ちから、村中あげての打ち上げ花火!その歓声と酒の宴の、にぎやかさが一晩中続く。 夏晩花火
★湖上花火大会は湖岸の瀟洒なホテルのバルコニー、臨時に設けられた観覧席、ブルーシートを敷き詰めた土手が歓声と酒宴で賑わう。観衆の目玉見開き耳をつんざく二尺玉の火と音、湖心の仕掛け花火やナイヤガラ瀑布の「火と水の饗宴」となる。夏の花の定座『花火』『水辺』
常夏咲ける野辺にまどろむ 一平
●平穏な日常が戻り、野辺に広がる夏の花々に囲まれながら、しばし回想にふけながら、いつのまにかまどろんでいる。 この「まどろみ」という最後の措辞が、すべてを吸い込でいくような、まるで時を溶解させていくような趣。
★挙句は「花の定座」の情景、状況、時間帯を踏まえ違和感なく詠むことが不文律です。そうでない考え方の結社もありますが・・・・・「常夏咲ける」「野辺」は「花火」の場面から状況や時間帯が転じられ、新しい場面へ向かう感じです。脇は発句の補完とよく言いますが、「挙句」は「定座の補完」、そして「一巻の終わり」という意味合いと、イメージが込められる特別の句所かと思います。
令和七年三月二十六日起首
令和七年四月十二日 満尾
翁は妖怪連句をたくさん詠まれております。
※次回は、この両吟2巻にたいしての一平さんの感想記事を紹介させていただきます。
5月12日(月)初夏の富士山
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