【日本人の脳は万葉である】
万葉集と言えば、新元号の「令和」の典拠となったことで、直後の本屋さんの棚には、それの関係本が処せましと並んでいたが、今は少し落ち着いたようです。
私の万葉集体験は、やはり岡潔著『日本民族』(月刊ペン昭和43年)の万葉集の章を詠んだことから始まる。この岡氏の著作に出会わなければ、俳句も和歌、短歌、そして川柳さへも、もしかすると一生縁がなかったかもしれないと思うと、若き頃の出会いというものは、大袈裟かもしれませんが、自分の一生を決めてしまう様な事件だったのかもしれないとも思う。この著書の書き出しを紹介する。
「日本における歌の始まりはすさのおの尊のお歌である(古事記)
八雲起つ出雲八重垣夫(つ)妻(ま)隠(ごみ)みに
八重垣作る其の八重垣を
仮に夏だとすると、このくにの八方に雲の峰が群れ立って、自分と愛妻と二人きりにしてくれようとしている、というのである。
天のむら雲群れ立つような、雄大、雄勁な喜びだとは思いませんか。」と。
そして以下、76首ほどの鑑賞をされています。しかしこの万葉集は、上記の様な漢字かな混じりの表現ではなく、「万葉仮名」であり、そこに着目されたのがロケット博士として有名だった故糸川英夫著『えっ!糸川英夫が万葉集にいどむ』(同文書院・平成5年)だ。副題として<日本人の脳は万葉である>とタイトルされています。
以下、紹介させていただきます。
さてその前書に「さて、今なぜ『万葉集』なのか、その端緒は昨年書いた『復活の超発想』(徳間書店)にある。そこで、<日本語は超高度の情報伝達系である>ということを、新たな日本語の特性として述べている。」と。
そして、
「コンピューターがもう少し進歩して、脳のなかの情報を他の手段で交換するシステムができるかどうか。おそらく、21世紀の間には、日本の外交、政治、経済すべてにわたって、その国際性を論じ、行動の方向を論ずるには、この日本語というシステムの原理を考えることなしに何も行うことはできない、と筆者は考えている。」と。
このような問題意識を抱えていた氏は、
「<複雑な日本語、あいまいな日本人>という世界からの批判にそろそろ答えておいたほうがよいということもあった。国際社会のなかで生きていく上で、日本人の弱点になると、外からも内からも考えられてきたこの日本語に対する批判に答えるためにも、次の問題を考えねばならなかった。日本語は、いつ、誰がつくったのか。その答えが『万葉集』なのである」と。・・
――万葉集のハードウェア――
この著書の第一章、万葉集のハードウェアーに、<右脳と左脳の両方を使う日本語システム>と、タイトルされた章がある。大変興味深い内容なので紹介する。
「・・・日本人は、漢字を画として右脳で処理すること、ひらがなやカタカナなど、文法をともなう、すなわちロジックをともなうものは左脳で処理することが明らかにされた(略)。
英語やドイツ語などヨーロッパの言語は、全部左脳だけであるから、もし左で脳血栓が起きると字が全部読めなくなるという事態が生じることも報告されている。ところが日本語の場合には、右脳と左脳の両方で処理されるために、たとえ左脳が脳血栓を起しても右脳で漢字は読めるし、逆に右の脳で脳血栓を起しても半分だけ字が読めるので、助かる部分があるというのである。このように日本語が右脳と左脳の両方を動員しているということが、実は日本人の情報交換の効率性および防御性を非常に高くしているのである。
情報交換の効率性がよいということは、たとえば日本人は魚を食うというのを英語に直すと『JAPANESE EAT FISH』であるが
これを『FISE EAT JAPANESE』とすると、魚が日本人を食べることになってしまう。日本語の場合には日本人がさかなを食う、魚を日本人が食うとしても全然意味が変わらない、順序を変えても目的語、述語、主語に、てにをはがついていて、それで意味がとれるので、情報伝達が非常に早いということである。」と。
そして氏はさらに、日本語は斜め読みができることをあげ、情報収集能力がきわめて早いことをあげている。「日本が短期間の間になぜ欧米の技術や学問や経済のシステムを移入できたか、これは日本語のもっている情報伝達能力の卓抜なスピードということになる。」と。
このことは「アメリカの大学でこうした講義(筆者注・日本語論)をやったときも、アメリカの学生がこの講義がおわったとたんにショックをおこして、一斉に教室からいなくなった。
どこへ行ったか調べたら、みんな図書館へ走っていって、私の言っている日本語というのが、どの本に書いてあるか、ほかの学生が探し出す前に自分が探そうということで、パニック状態になった。図書館がパニック状態になったほどに、衝撃を感じたのだと思う。いま教えているパリの大学でも同じで、この日本語論になると、学生は目の色を変えて飛びついてくる。日本語が有利な語学体系であるというのは、私が海外で教授という形で外国の学生に講義をしてみて、初めてその威力というか、反応がわかったのである。」と。・・・
そこで氏は、このような日本語の原点となった万葉集の万葉仮名に注目したということなのだ。
「・・これが日本語の特徴であるところの、先ほどから何度も言っている漢字とひらがなとカタカナの混在の出発点である。この混在させる方法を取ったのが万葉という時代の日本人なのである。したがって文字としての日本語の成立に、実は万葉集が非常に深くかかわっており、万葉集が日本語をつくったといってもいいと思う。(略)
実はこれが、日本語の、日本の出発点で、要するにいまのように漢字とひらがなという独特な日本語の構造をもつにいたる過程である。それによって現代日本のスピーディーな技術吸収力、海外の知識吸収力が早いことにつながっているのである。これを成し遂げたのは万葉である。万葉が日本をつくった、日本のハイテクをつくった、高度情報社会をつくったといっても間違いないし、今日の日本の社会構造、あるいは会社の構造、根回しをやるとか、ミーティングをやるとか、顔色を読むといった遠因が、全部万葉から始まっているのである。万葉こそは日本の文化のルーツ、日本のすべての、科学技術、テクノロジー、経済のルーツであるというのが一つの結論で、それが私をして万葉に向かわせたのである。」と。
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いかがでしょうか。このブログで紹介しました角田忠信著『日本人の脳』『日本語人の脳』(3月26・27日)の内容と、きわめて密接な関連もあり、とても興味深い内容です。
※ここに八木東一氏のブログを紹介しておきます。かなり詳しく糸川氏とこの万葉集のことが記されております。さらにご興味のある方は一読を。
次回は【かなは誰が造ったのか】というタイトルで・・・