えぇ、なにやら朝青龍がガッツポーズをしたことが物議をかもし出している。
私は相撲はよくわからないし、朝青龍のこともよくわからない。
はっきり言ってさほど興味はない。
ただ、日本人として、相撲が日本の国技で武道である以上は「道」=プロセスは重んじていただかないと相撲の意味がなくなっちゃうんではないか?と憂慮する。
改めて「相撲」「武道」「道」をググッてみた。
下記、Wikipediaより:
【相撲(すもう)】は日本古来の神事や祭りである。同時に武芸でもあり武道でもある。また古くから祝儀を得る為の生業として選ばれた者によって大相撲という興行が行われている。近年では、日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。
【武道(ぶどう)】とは、伝統的な日本武術(古武道)から発展したもので、人を殺傷・制圧する技術に、その技を磨く稽古を通じて人格の完成をめざす、といった道の面が加わったものである。道の追求という点については、残心(残身、残芯)などの共通する心構え所作などから茶道や日本舞踊、芸道ともかかわりを持つ。
【道(どう・タオ・みち)】とは、中国哲学上の用語の一つ。人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である。道家や儒家によって説かれた。
因みに、老子は「道」を礼や義などを超越した真理と表現しているそうだ。
外国からの力士とは言え、やはりこの辺は敬意を払い、精神性を重んじる儀であることは忘れてほしくないものだ。
だって、「強きゃいいじゃん、結果出してんだからプロセスはいちいち指図しないでよ」ってことならただのレスリングでいいんじゃない?
それじゃやっぱり武道じゃない。
ただ、モンゴルに行った友人から、あちらの文化や国民性をうかがう限りでは、いたしかたのないことなのかなとも思えるが。
かーなり大雑把というか日本人から見るとはちゃめちゃ?
ま、あくまでも日本人のしかも私個人の視点かもしれないし、違う見方をすれば、細かいことにはこだわらないおおらかな人々ということだろう。
因みに、アメリカに行くと相撲はもはや相撲でなくSUMOとなる。
寿司がカリフォルニアロールになるみたいなもんだ。
私がセイコセラピーのトレーニングを受けた、アメリカの師匠で相撲好きのDr.オスカーが嘆いていたのはこのことか。。。
ご覧あれ、全米相撲大会(アメリカはTVでも放映される)
2008 US Sumo Open Lightweight Finals
①塩。。。撒きません
②行司。。。ぴっかぴっかの白のスーツに黒の蝶ネクタイです
③土俵。。。土でなく人工マットです
④まわし。。。アメリカ人は恥ずかしがり屋さんのようです
⑤ガッツポーズ。。。これなきゃはじまんないっしょ?
道なんて。。。もうドウでもいい!?
失礼。。。