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日々雑感

日々の生活での感想。人間関係。理想。スポーツ。科学。色々と。

さすが

2010年10月14日 05時05分31秒 | 自由空間
伊達公子さんのニュースを見るたびに嬉しくなる、気分が良くなる。

強い選手、勝った選手というのは、確かに偉い、勝ったのだから。
でも、人に美しいと思わせる選手はもっと偉い。例え、その日負けたとしても。

不思議なもので、長い期間継続している人は、それだけで美しいと思う。
伊達さんにはそれを感じる。勿論、強さを維持している事も大事だけれども。
その心の強さは尊敬に値し、美しくさえある。
何故、カムバックした伊達さんが未だに日本一なんだろう と不思議に思う事もあるけれど、それも伊達さんらしくていいとも思う。

秋晴れ

2010年10月13日 07時01分23秒 | 自由空間
余りに秋晴れで気持ちがいい。紅葉もとてもいい感じになっていて、木々を見ているだけで気分が落ち着いてくる。
以前は、何故、古墳や遺跡が掘る事によって出てくるのか理解できなかったけれど、数年前、枯葉が積もり続けたら確かに埋まるな という事がわかった。忘れ去られた土地という事なのでしょうね。ローマですら掘ったら遺跡が出てくるとかいうから、こっちはどうしてそうなっちゃったのか良くわからないけど。。。

そんな事をぼーっと思いながら紅葉した景色を見ているのだけど、枯葉をどける仕事をしている人たちを見ると、大変だなぁと毎回思ったりします。経済的には、何も生産していないかもしれないけど、綺麗になった後を人が見て、その人の気分を良くして仕事の効率、やる気の向上に寄与できるのなら、それは立派に生産的ですよね。

ある友人

2010年10月12日 00時40分58秒 | 自由空間
ある友人が、ネット上で、なんかよくわからないけど、つまらないと ぼやいている。。。
楽しい、つまらない なんていうのは、行ったり来たりだから、そういう時が来たら、そういうもんだと思って流すのが一番賢いと思う。そんな事を書いている自分も、もう少し流しを上手くしたいと思っていたりするのですが。。。

まぁ、でも、人生は基本、つまらない、苦しいと思っていた方が良いのかもしれないと思う時がある。待っていてはつまらないだけ。だから自分で楽しくする必要があるのだと。
高杉晋作も言ったというではないですか、「面白き 事も無き世を 面白く」と。
そういうゲームだと思って過ごすのが一番いいように思います。
余りに難易度の高いゲームは厳しいですけどね。。。

みんなで渡れば怖くない。

2010年10月11日 01時25分11秒 | 自由空間
自分の趣味・嗜好が100人に一人、もしくはそれ以下だった場合、それを公表する事、それを堂々とする事に躊躇する人は少なからずいると思う。
でも周りに多くの似たような嗜好の人がいると、じゃぁ一緒にやりましょう となり、堂々とできるようになる。

田舎にいると、100人に一人が、そのままになり、本当に一人になる可能性がある。(まぁ、100人は言い過ぎかもしれないけど。)
でも、大都市なら100人に一人の割合はそのままだとしても、かなりの人になる。人はそれで十分に錯覚する。自分の趣味は異質ではないと。
東京という街にはそれがあると思う。様々な趣味を持つ人々が集まっていると思う。
そしてそれらの人々が集団を形成する時、その中でさらに個性を発達させていくことになる。そして、その分野はさらに伸びていく。
それはそれでいい、良い事であるとすら思う。
でも、これは常に暴走する可能性を含んでいる。みんながいる と思って。。。
まぁ、危険になりえる一面があるというだけで、それ自体が悪い事とは思わないのですけどね。暴走した時、振り返るだけの心の余裕を持っている必要があるように思います。

弱いもの好き?

2010年10月10日 08時35分11秒 | 自由空間
本当なのかどうかわからないけど、一般的に源義経は人気があるといわれる。そしてそれは判官贔屓という言葉で表現される。楠正成、真田幸村、この両氏も人気がある。3人とも、強く、そして鮮やかな戦いをする人たちである一方、その散り方、最後には悲壮感が漂う。
自分には彼らの人気は、その能力よりも散り方によるところが大きいような気がする。日本人にはそういうところがあるのではないでしょうか。何故かはわからないのですけど。。。そういう意味で豊臣家も人気があるように思う。信長も人気がありますね。奥州藤原、五稜郭(新撰組)も。三木城陥落は美化すらされている。
個人的な感想だけど、同じ理屈で、ケルト人や、インカ、アステカに強烈な魅力を感じるのは、先に書いたことに通じるところがあるのではないか と思ったりします。なんででしょうね。。。
ファンタジーですが、中国は歴史上、あれだけの大国でありながら、日本に攻めてきたのは元寇の時にしかない。つまり、海に出る事に興味がなかったと言える。
そうだとしたら、日本という場所は、中国大陸で滅亡してしまった国の人々、排斥されてきた人々にとって、安住の地だったのではないでしょうか。百済の人々はそれで日本に入ってきていますね。南宋もそうでしょう。そしてそうした民族の歴史を背負っているだけに、滅びる事の悲しさと美しさが身に染みているのではないか。。。そしてそれが日本人全体に引き継がれていると・・・。秋の独り言ですね。。。

銃・病原菌・鉄

2010年10月09日 00時23分27秒 | 自由空間
まだ読み始めたばかりだけど、今この本にはまっています。
日本史を勉強しただけで、世界史は取らなかったから、知らない事ばかり。
最初の方に書いてあるから覚えているけど(笑) ポリネシアの歴史なんて全然知らなかった。
つい最近まで原始的な生活をしていたことも。。。
世界は多様性の塊だなぁと改めて思った・・・と言うよりも、どんどんと規格化されてきて、本当の意味で外国というのがなくなりつつあると思っていた時に、この本を読んだので、認識の間違いに気が付いた。まぁ、文化・文明のかけ離れたところには訪ねていないから、そもそも認識は間違っていたのですが。。。
ただ、改めて気が付いたのは、「世界史」というのは、ヨーロッパ人を中心に考えた歴史であって、地球における人類の歴史ではない、まぁ、一部ではあるのだけど。
残った歴史に対して、消えた歴史がある。そちらももっと一般的な情報として出回ってほしいなぁと思いながら続きを読んでおります。

コロコロと。。。

2010年10月08日 22時53分48秒 | 自由空間
過去において、なんでも助けてくれる人がいた。時間がたって思い出した時、あの人のお蔭で○○ができた。有難い、今の自分があるのはあの人のお蔭だと思う。
その一方で、あの人のせいで今の自分はこんな風になってしまった と思う時もある。思いはあっちへこっちへとコロコロ変わる。

もう少し具体的に書きましょう。
助けてくれる人と言うのは、自分ができない何か、自分が困っている事に対して手を差し出してくれる人の事。つまりその時の自分は、何か困難に直面していた。
それが、手を差し出してくれる人により乗り越える事が出来た。有難い、確かに有難い。

でも、何故自分は困難に直面していたのか? それを考える必要がある。
実力不足、時間不足、勉強不足、ビジョンなき仕事 等々、何かしら原因があったから困難に直面したわけです。
目の前の困難を乗り越える事は大事なんだけど、何故困難に直面したのか という事を考え、改善していかない限り、また同じ局面に直面することになります。
その時、その人は自分の近くにいるのだろうか・・・いるかもしれないし、いないかもしれない。。。

いるならいいけど、いなかった時。。。自分の力でやらないといけない。その時に 何故、もっと早い時に対処できるようにしておかなかったんだ と思う。
すると、昔助けてくれた人は、自分の成長を遅らす要因を作った人となる。親切だけど、実は自分の為になって無かった。問題の先送りだった となりえる。
でもあの時に助けてくれてなかったら、今、自分はこのステージにいない。やっぱりあの人のお蔭、有難い。と思いは行ったり来たり。

人に手を差し出すのも、差し出してももらうのも、奥が深いなぁ と。
まぁ、結局は、全て自己責任なんですけどね とつらつら書いてみました。

車掌さん

2010年10月06日 07時19分37秒 | 自由空間
乗車券を確認するために車掌さんがやってくる。車掌さんは、一人一人に挨拶して乗車券を見る。そして見終わってOKだったら、ありがとうございます とお礼を言う。チェックされる側としては一回の作業である。でも車掌さんは全ての人々と。。。
そして、一日電車に乗り続け、電車が出発するたびに券を確認。。。
仕事とはいえ、気が遠くなるような感じがします。まぁ、そんな事を言ったらどの職業も同じなんだけど、今日、遠くの方から券を確認しながら歩いてくる車掌さんを見て、この人たち、一日に何回「ありがとう」と言っているのだろう とふと思いました。恐らく一般の人々よりは遥かに多い回数を言っているように思います。
ありがとう という言葉、昔は常に言われたいと思っていた。今も思っているけど。。。
でも今は、ありがとう と言う機会がある事も有難い事であると何となく思うようになってきた。
それを職業でやっている人たちがいる。色々だなぁと思った日でした。

継続

2010年10月05日 05時48分24秒 | 自由空間
最近、新しい事を始めたのだけど、それに熱中してしまって、今日はほかの予定があったのに、無視して続けて夕方以降の予定が後回しになってしまった。。。まぁ、予定といっても自分人で済む話だから、後回しになったら自分が辛いだけだからそれは別にいいのだけど。。。

でも、熱中した事は少し苦々しく思います。何故なら、今日、沢山の時間を費やして、その熱意が明日以降もちゃんと続くのならいいのだけど、熱中すればするほど醒める可能性も高くなると最近気が付いたからです。一回ドカッとやるよりも、少しずつ少しずつ継続していく事の方が良い事だと思います。一回だと一気にあるところまで行くかもしれないけれど、それだと頭打ちも早いように思う。それよりもちょっとずつ・・・会社だとこういうのを年輪経営というのに当てはまると思います。一つ大きいのを当てるのではなく、小さくても当て続ける。
結局、努力に勝る天才なし。なんでも継続したいと思います。

南極大陸

2010年10月04日 05時46分02秒 | 自由空間
Google mapで南極大陸のストリートビューが見れるという記事を読んだ。興味深かったので、見てみた。ジョークの写真もあったけど、本物の写真と思われる写真がかなりあった。ほんの一部なんだけど、地肌が見えている場所があった。殆どの場所はまだ氷で覆われているけれど、温暖化が進んでいる今、氷が減る可能性がないとは言えない。。。
Wikiで見てみたら領有権は南極条約で凍結されているらしいけど、将来、資源があるなどという話が出てきたりしたら、一体どうなるのだろう。最近のニュースなどを見ているとどうも楽観視はできないような気がします。まぁ、その頃には、代替エネルギーの技術が発達して大丈夫かもしれませんし、そうであってほしいと思います。いずれにしても、地球の資源は人類の共有資源であるという感覚がもっと広がってほしいなぁと思います。