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日々雑感

日々の生活での感想。人間関係。理想。スポーツ。科学。色々と。

勘違い?

2010年10月24日 09時25分47秒 | 自由空間
地位が高くなると偉ぶる人が多い と思う。
そりゃ、確かに偉いのでしょうけど、考えないといけないと思う事が少なくとも一つ。
何故地位が上がったのか という事。
実力かもしれない、人柄かもしれない、リーダーシップ能力かもしれない、年齢、勤続年数かもしれない。
人柄以外の場合、ある能力に秀でているために地位が上がったことになる。
それは尊敬に値することだと思うけれども、本人もそう思う事はちょっと変だと思う。
能力・技術・知識に秀でているだけで、人間性ではない。
学も技術も何もなくても人間性が上の人はいる。
愛情のある人、思いやりのある人、公共の利益を考える人、こういう人こそ真に尊敬される人だと思う。
そう考えると、これはゲームかもしれない。能力のある人の地位が上がった時、その人に問われる、「地位が上がってもあなたは謙虚で居られますか?」と。時にとても難しいゲームだと思います。勘違いは避けたいものです。。。

苦笑い

2010年10月23日 08時26分12秒 | 自由空間
斉藤一人氏が本の中で言っていました。人は、「会いたい人に会えない。会いたくない人に会う」と(笑)
まぁ、人間だもの、苦手な事はありますよ。それに立ち向かうのもいいけれど、無理なんてする必要はないと思う。だったら、立ち向かわずに良ければいい。戦わずに逃げればいい。確かにその通りだと思う。
前は、なるべく立ち向かうようにしていたけど、最近は、無理なんてしなくてもいいじゃん、流せ流せ と思うようになりました。というわけで、流しているのですが、流しても流しても笑っちゃうほど遭遇する。なんででしょうね。思わず笑ってしまいました。
どういう事なんだ と思えど、さっぱりわからず。
まぁ、わからないままでいいのでしょうね。人生の不思議を体感しつつも、多分苦手意識がある限りこれは続くのだろうなぁと思いながら過ごした一日でした。

テニスラケットの選択

2010年10月22日 07時51分23秒 | 自由空間
どのラケットを使うか考えた時、自分の場合、最終的には目標とする選手が使っているラケットと同じものになるのだけど、その前に周りの人も見てみる。。。

上手い人、強い人は、いわゆる上級者用のラケットを使っている。。。
これが悩ましい。。。
上手いから上級者用ラケットなのか、上級者用のラケットを使ったから上手くなったのか。。。
前者はそりゃそうだろうとすんなり理解できるのだけど、後者のパターンがあるから悩ましい。
難しいラケットを使う事によって、妥協が許されなくなり、それによりしっかりとしたテニスをすることになり上手くなる。でも、それができないと、上級者用ラケットは負担になる。。。
こういう事は、仕事においてもある。実力が付いたから地位が上がる場合と、地位が上がったから実力が付く場合。。。
結局良くわからないから、これは人それぞれだろう という結論になる。
そんなこんなで良くわからないから、自分の場合は、なるべく憧れの選手が使っているラケットを使用しています。と書いている今は違うけど。。。

睡眠時間

2010年10月21日 06時37分37秒 | 自由空間
どこかで読んで驚いた事なのだけど。
人間は睡眠をとる。まぁ、ちょっと少ないけど一日6時間としましょう。そうすると一日のうち1/4寝ている事になる。
毎日1/4寝ているという事は、これが週、月、年になってもこの比率は変わらない。
つまり、80歳の人が毎日6時間の睡眠をとっているとすると20年間寝ていたことになる。
これって・・・と思って、睡眠時間を少なめにしたことがあるのだけど、一週間もするとしんどくなって結局続かない。なので、また自分にとってちょうど良い時間に戻る。これは抵抗しても無駄なのでしょうね。眠る時間は多分トータルで同じになるのでしょう。短時間睡眠で活動できるようになってもそれで健康を害したりしたら意味無いし。
もしトータルで同じなら、眠り続けた方が長寿命になってお得?んなわきゃないか(笑)

塞翁が馬

2010年10月20日 06時43分11秒 | 自由空間
中国がレアメタルの輸出を止めているとか。。。
これは単純によろしくない。。。
でも、これが別に中国じゃなくても、いつかこういう日が来ただろうと思う。
日本の様に天然資源の少ない国はこういう日の為に早い段階で対策を取っておく必要があると思う。
オイルショック後、省エネの方向に向かい、それが功を奏して日本は電化製品で大きなリードを取った。
アメリカで自動車がたくさん売れた時、排ガス規制で苦境に立たされるも、基準をクリアする製品を開発し、逆にリードを広げた。
今回も長い目で見たらチャンスかもしれない。廃棄された電化製品、自動車等からレアメタルを取り出す技術を他国に先駆けて開発したら・・・日本は将来、レアメタルの輸出国になるかもしれない。都市鉱山も沢山あるでしょうし。
ただ、これらの苦境を跳ね返すには力がいる。力とは資金もそうだけど、技術力、学力、知識に他ならないと思う。
これは本当に長い目で見る必要があると思うけど、政府には研究開発、教育を頑張って支え続けてほしいなぁと思う。

自然

2010年10月19日 05時55分09秒 | 自由空間
最近、自然の景色を眺める時間が長くなってきた。
日の出、夕日、空、雲、花、草木、それらを見ていて、なんという調和のとれた世界だろう と思う。そしてこれらは、生命システムとしても調和を取っている。
ニュートンが、この世に神は存在するか否か という問いに取り掛かっていた時、存在を信じない友人に天体の模型を見せた。そしてその友人は、そのシステムの凄さに感動して作製者をきいた。ニュートンは、こんなものを作れるのは神しかいないと思うが君は信じないのだろう と言った。その人は存在を信じるようになった。
本当に存在するのかしないのか、誰にでも理解できる形で証明できない限り、この答えは出ない。でも、世の中や、自然、日々の出来事をよくよく見てみるとこれらが偶然で出来上がっているとはとても考えられない。
東の空が明るくなるのを見ながらつくづく思うのでした。

落としどころ

2010年10月18日 05時24分21秒 | 自由空間
テレビを見ていたら 「日本人の良くないところは、落としどころを見つけようとするところ」と言っていた。確かにそうかもしれない だけど、落としどころを見つけなかったらどうするの?と思う。
自分の生活において、何か意見が対立する場合、自分は常に引くか、落としどころを見つけようとしてしまう。

引く場合、議論して勝ってなんになる と思ってしまう。議論に勝っても恨みを買うだけ。何も得ない。全ては行動によってなされるべき、議論ではない。行動が自分の意に沿わないなら同じ行動をとらなければよい。それはつまり去ればいいという事になる。ちょっと過激だけど。

解決が必要な場合、落としどころを見つけなくてどうする と思う。妥協点を見つけずにいがみ合っていたって何も解決しないではないか。それよりも何か対処しましょうよ と思うのだけど、これがいわゆる日本人的なのでしょうね。

徹底的に白黒つけるよりも、この方が悪くない手法だと思うのだけどなぁ。。。 勝敗は常に繰り返す。勝ったという事は、つまり敗北へのチケットを予約した事に等しい と僕は思ってしまう。
つまり真ん中が一番なんだけど・・・そりゃ難しいよね。。。理想論でした。

機会

2010年10月17日 05時37分00秒 | 自由空間
今日、ある人に何かした。その人は、それをとても喜んでくれた。

自分は、他の人にいわゆる親切と言われることをしてもらえるととても有難く思う。あぁ、自分は恵まれていると。だから自分もなるべく親切であろうと心掛ける。

一方で、親切と言われている行為をする事は、自分を満足させる。良い事をした と。

その時、良い事をしたくても、それを行使する機会に恵まれなければできない事に気付く。

そうなると、実は 親切と言われる行為、良い事と認識されている行為をする機会を彼/彼女は与えてくれたという事になる。
お互いハッピーで良いことだ と思いました。

犬猿の仲

2010年10月16日 09時27分44秒 | 自由空間
幕末、薩摩と長州は徹底的に敵対していた。長州は、権力を巧みに奪い、自分達をとことん追い落とそうとした薩摩が許せない。薩摩は、何も考えずに猪突猛進する軽率さと何かと議論したがる性格が我慢ならない。言っている事、やろうとしている事は基本的に同じなのに。。。
この敵対関係が誰を利したのか、それは幕府に他ならない。対幕勢力が敵対しているのだから。遠くから見れば、この2勢力がいがみ合いをやめて、手を組めば彼らにとっていい状態になるのに、と見える。坂本竜馬にはそれが見えた。だから薩長同盟を進め、成し遂げ、これにより討幕も成ったに等しい事になった。
さて、今の我々の置かれている環境。これによって利しているのは誰か、損をしているのは誰なのか、何となくわかるような気がします。ならば、手を組めば・・・と思うのですが、そうは単純に心が許さない。多分、薩摩、長州の人達もこんな気分だったのでしょうね(笑)


お互い様

2010年10月15日 07時56分34秒 | 自由空間
世の中のすべての人はお互いに依存し合いながら生活していると思う。
最近、それは全て 経験 の為、と理解するようにしている。
上があるから下がある。裕福があるから、貧困がある。美しいがあるから、醜いがある。
片方が欠けてしまうと、もう片方は成り立たない。
だから、我々は我々自身をそのどちらかにおく。ただそれだけのことだと思う。演劇会と同じ。役がそうなだけ。劇が終われば皆同じ。
経験するために、周りの人が、自分より相対的に異なる立場を取ってくれている と思うと 有難いと思う心が出てきたり、お互い様 と思う心が出てくるのではないかと思う。