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日々雑感

日々の生活での感想。人間関係。理想。スポーツ。科学。色々と。

教育教育

2010年11月18日 03時48分23秒 | 自由空間
教育っていうのは本当に難しいと思う。人を導くわけだから。
自分が正しいと思っていないとできないのではないかと思う。中途半端な気持ちは、生徒に、この先生大丈夫か?という疑惑を抱かせる。
かといって、自分を正しいと思っている人間なんていうのは怪しすぎる、常に自問している人間の方がよっぽど健康な感じがする。
教育のスタイルというのは、人の数ほど存在すると思う。生徒の特長もあるし、正しいやり方などというものが存在しているようには思えない。
その辺りの事が理解でき、しかも上手く調整できていく人は、経験豊かな人なのではないかと思う。ここでいう経験とは、教育経験もそうだけど、むしろ人間経験が豊か という意味で書いたつもり、つまり年齢がある程度いっている人。人間は、本から色んな事を学べるけれども、実際に経験しないとわからない事も多いだろうし、年齢を重ねる事によって初めてわかる事も多いかと思う。ひょっとしたら 時に”若さ”というものは”努力すれば何でもできる”という事を絶対化し、且つそれを人に押し付けるだけの勇敢さを与えるものかもしれない。年齢を重ねれば、その考え方に”絶対”という言葉を付けない余裕を持たせるかもしれない。自分自身が色々見てきたであろうから。
若い先生たちは、皆さん頑張っていると思う。専門的な事であれば年齢なんて関係ないと思う。ただ、小中、そして高は”人間教育”が含まれている。
学問を教えるだけでなく、人間としての在り方を教育するならば、その教育者当人も人間としての在り方について深い知見がある方が望ましい というか あるべきではないかと思う。

結論的に言いたいのは、学校の先生というのは、ある程度年齢を重ねた人がなった方が、先生にとっても、生徒にとっても良いのではないかと思う。

実際には、なら何歳ならいいのだ とか その年齢に達するまでどの様に生活をしていくのか 等々の疑問が存在する。だから、現実は難しいかもしれない。でも、せめて、この方が良いのではないだろうか っていうビジョンはあった方が良いと思う。

交差点

2010年11月17日 08時24分45秒 | 自由空間
人生の中で色んな人に出会う。
時に、仲間として、友として、恋人として、ライバルとして、同僚として、敵として。。。

過去を振り返る時、そのすべての人達に役割があるように思える時がある。
時に自分を伸ばす時の協力者として、
時に自分を被害者にする役目の人、
時に自分を加害者にする役目の人、
自分が歩んでいくただ一つの道が、他の人が歩いている道と交差する。その交差点が時間を共有している時に他ならない。

色んな人と出会う。
いい出会いもあり、またあの人、人達に会いたいな と思う。
もう、あの人達とは会いたくないな と思う。(時もある)

不思議なもので何かの拍子に、我々はその交差点を過ぎ去ってしまう。
また交差する時も多い。でも、もう交差しない事もある。それがどんなに近くまで来ていたとしても・・・
それは本当に不思議だなぁと思う。

あれれ・・・

2010年11月16日 09時27分58秒 | 自由空間
人と交流する中で、「あの人って○○で△△の癖に□□みたいな事言うから、どうしても無理あるよなー。なんでもっと××できないのだろう」などと、ついつい思ってしまう。思っても仕方ないし、むしろエネルギーの浪費なんだけどね。。。
それはともかく、その時、その人と良く似た人がいる事に気づく、自分だ と。。。
人は自分の鏡と良く言ったものだ と思う。毎日出会う人は千差万別、色んな人がいる。その人達がみんな鏡だとしたら・・・その数の分だけ自分が存在する事になる。
自分にはそういうアスペクトがある。それがわかれば十分じゃないかなぁと思う。いい人がいれば悪い人がいる、同様にいい自分がいれば悪い自分もいる。そういった人々をみて、時に喜び、時に憤る。そしてその感情は自分に対して発するのと同義と言える。
いい点は伸ばしていけばいいし、悪い点は改善していけばいい。。。書くのは簡単だけど、改善・・・それがすんなりできたらいいのだけど、中々ね。。。

岐阜、柳ヶ瀬

2010年11月15日 16時29分04秒 | 自由空間
今日、11月15日夜、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で岐阜の柳ヶ瀬が紹介されるとの事。
最近、やななも人気が出ているそうだし、柳ヶ瀬、頑張っているなぁという気がします。
地道な努力は必ず実を結ぶと思います。
そもそも、岐阜市は、セントレアから直接来ることができるし、繁華街、飲み屋街もある。鵜飼もあるし、歴史上重要な位置にもなった。日本で3番目に大きな大仏さんもあるし、復元だけど山の頂上に岐阜城もある。柳ヶ瀬だって長良川だって歌に歌われる(た)程。
ポテンシャルはある町なんだから、どんどん活かして、外の人がもっと来たいと思う街にしてほしいと思う。市外・県外から来た人達は、ショッピングモールとかにはいかないのだから・・・。

頑張っているとは思うのだけど、もっと行政と街が連携して、色んなイベント・機会を作っていってほしいなぁと思う。

やりすぎないすすめ

2010年11月14日 16時23分31秒 | 自由空間
前にも書いたかもしれないけど、どうも物事はやりすぎない方が良いらしい。
”やる”のだけど”やりすぎない” このさじ加減が難しい。
やりすぎると 飽きてしまう。
常に求める位で心を維持する事の方が良いように思う。
また、小さな事をずっと続けていく方が長い目で見た時に到達点は遠いような気がする。
アリとキリギリス、ウサギとカメ、この辺の話ってそういう事を暗示・・・というか、そのままなのだけど示しているように思う。
週末、一つの事に熱中してしまい、他に何もできなかった(笑)・・・その自戒も込めて。

ちょっとした一言

2010年11月13日 08時37分47秒 | 自由空間
沢山の人と同時に会うと、どうしても会話に偏りができてしまう。来ている人と全員と話す事はとても難しい。一人の人と話している間に、別の知り合いの人が視界に入る、どうしたものか、話している人との会話が途切れるのは失礼だし、知り合いの人に挨拶しないのも失礼。。。本当に難しい事だと思う。大抵の場合、話をしている人が察してくれて、挨拶する時間をくれる、もしくは会話をやめる。それで何となくバランスが取れているのではないかと思う。

と知りつつも・・・話している人との会話に熱中してしまい、知り合いの人が視界に入っても何もしなかったり、もしくは本当に簡単な挨拶だけで済ましてしまう事が。。。

短い時間の中でも何とかなる方法はあると思う。
お元気?とか、調子はどう? といった相手を思いやる心から出る言葉かける事は本当に大事な事だと思うし、これだけの事で大きく変わると思う。

さりげない一言でも言葉って、心の中身を示しだすなぁとつくづく思いました。
ちょっとジャンプしすぎかな。。。

得意技

2010年11月12日 09時59分15秒 | 自由空間
強いとか力のある人・グループと面してしまうと、自分や自分達の無力さ、非力さに絶望的になってしまう事がある。
(仕事において)この人達と、この人達の中でどうやって生き残っていけばいいのか?と思ってしまう。
今日は、どうもそういった絶望感に包まれてしまっている人を見てしまった。

確かにそういう状況はある。そして生き残れない場合もあるかと思う。。。
でも、どんなことでも必ず余地はあると思う。自分たちにできて、彼らにできない事があるはずだと思う。それを見つける事が大事だと思う。張り合っては勝てない。共存の道を模索する事が最善だと思う。
綺麗ごとかもしれませんが、足掻かずに諦めるよりはいいと思う。

正しいけど間違っている、間違っているけど正しい。

2010年11月11日 11時06分18秒 | 自由空間
今回の映像流出は正にそれなのではないかと思う。
国民としてはこの公開は間違いなく正しい事だと思う。何故公開されなかったのか、怪しいと言わざる負えない。。。その意味で流出者は民意に沿う事をしたと思う。
だからと言って、今回の流出は間違っている。組織に所属するもの、しかも、機密扱いになっているものを流出させるという行為は間違っていると言わざる負えない。
そうでないと組織が成り立たない。。。
本当に悩ましい事だと思う。国境を犯し、その国の船に体当たりした船長が釈放で、国を思って情報を公開した人が逮捕され、有罪になるかもしれない。。。こんな変な話は無い。

一体全体国の役目とはなんなのか。。。
食と安全
なのだろうが、今回は安全が脅かされている。その脅かした相手を釈放する。。。しかし言い分は理解できるかもしれない。。。外交がこじれればこじれる程、それは経済に影響を及ぼすと言える、つまり我々の”食”に影響が出る可能性がある。。。。
しかし、経済は他に手があるのではないかと思う。一国だけに依存している程弱くはないだろう。ただ安全は一回だけ。どちらが重要かは明らかではないかと思う。

結局、今回の人は、有罪になったとしても、仕方ない と言わざるを得ない。ただ、個人的には称賛する。
そして責任はそもそもそのような状況を作り出してしまった事に原因があるのではないかと思う。今後に注目したいと思う。

温暖化?寒冷化?

2010年11月10日 07時44分25秒 | 自由空間
地球温暖化が言われて久しいけれど、ここ数年の冬を振り返るとどうも怪しいように思えてくる。実際、寒冷化を言う人もいる。
生活していて感じるのは、夏暑く、冬寒い という事ではないかと思う。
違う表現をすれば、全てにおいてスケールが大きくなっているように思う。暑さ・寒さは厳しくなり、雨、風、台風等々、極端になってきていると思う。それが段々と薄気味悪く感じる様になってきた。みんなそれを感じているのではないかと思うのだけど、だからって個人レベルで何ができるんだ?っていう所が、正直な気持ちなのではないかと思う。
エコとか地球に優しいとか言って、色んな商品が出ているけど、これも何となく怪しく、商売の為の理由付けの様に感じる。。。
でも、実際の所、何時まででも石油に依存していられないってのは事実だし、かといって新技術を研究開発する為にはそれを支えるもの、つまり資金がないと何ともならない。その意味で、この商売の喚起は真実を見ない様にしてわざと騙されていればいいのではないかと思う。
特に日本は天然資源無いのだし。。。元々この路線で行くべきなのだろうと思う。

再訪

2010年11月09日 05時14分58秒 | 自由空間
過去において一度訪問すると、「あの場所は訪れたから・・・」となり、再訪しない事がほとんどではないかと思う。
でも、実際に訪れてみると、全然違う印象を受けたりする。当時の自分と今の自分が違っているからだろうと思う。
また、初回では目立つ場所に目がいき、それ以外の場所に意識が向かない。それが二回目だと他の所に意識が向く。だから、再訪にはむしろいいことだと思う。
これは、実は読書でも同じことがいえると思う。
読めば読むほど味が出る。読めば読むほど違う点に気が付く。逆に何回読んでも同じ印象の本は、それだけの本なのじゃないかと思う。
それはともかく、極める、マスターするという事は、同じことを何回も何回もするという事だと思う秋の夜でした。