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日々雑感

日々の生活での感想。人間関係。理想。スポーツ。科学。色々と。

動機

2010年12月01日 00時00分24秒 | 自由空間
全ての行動には動機がある。
それを見抜くことができると色々と面白い。
それで人を見て楽しむ(?)のもいいけれど、同じ事を自分に適用する事も出来る。
その動機は一体なんなのか? 自分の中にどんな思い込みがあるのか、見てみるのは面白い。驚く場合も多いけれど。。。
動機は、好奇心から来ているのが一番いい。恐れ・不安から来ているのが一番良くない。
行動するしないはともかくとして、常に動機は見極めたいものです。

バランス

2010年11月30日 00時33分03秒 | 自由空間
世の中にはいろんな人がいるけれど、なんだかんだでやっぱりバランスってとれているのかなぁと思ったりする。
それでも、意識的に生きている人と無意識に生きている人がいるでしょうから、バランスが取れているというのは、無意識に生きている人に当てはまるような気がします。
意識的に生きる事が出来るのならば、バランスを偏らせる事も可能ではないか と最近思います。
良い事も悪い事も、相対的かつ主観的な物なので、全ては心次第。
でも、意識しているつもりでもいつの間にやら罠にはまる事多々あり。
いつも深呼吸して生活していたいものです。

再読、海の都の物語

2010年11月29日 00時55分32秒 | 自由空間
海の都の物語、再読中。現在第6巻。
第六巻に入ると、18世紀のヴェネツィアの話になる。
この辺りを読んでいると、妙に今の日本と重なるような気がしてならない。。。
気のせいかもしれませんけど。。。
でも、もし重なっているのなら、同じ轍を踏まない様に対策が打てるのではないかなぁと思いながら読んでおります。
変えないといけないのだけど、変えない利点、変える利点、両方ある。両方の気持ちもわかる。
変えるのは勇気がいる。
難しい所だなぁと思う。

すんなり

2010年11月26日 08時33分18秒 | 自由空間
ちょっと前の話にだけど、初めてアメリカに行った時の話。
初めて訪れる場所だから、色んな事がわからないと思っていたら不思議な事に意外とわかる。。。。
それにその場にいる事に余り違和感を感じない。。。
その事にはっきりと気が付いたのは、黄色いバスを見た時。
黄色のバスをみて、スクールバス とすぐわかった。それで、なんでわかるの? と。
それらは全て映画からの情報だ とわかった。
そう考えると自分はずっと(意図せずに)アメリカ映画ばかり見てきたように思う。
知らず知らずのうちに自分もその世界の住人になっていたのでしょう。だから行動できると。。。
映画というか、映像による情報って凄いなと思いました。

その時の訪問で、自分の中の情報に如何にアメリカ情報が自然と入り込んでいる事に驚いた事と、
現代の日本はアメリカのスタイルを追従してきたのだなぁ という事をつくづく思いました。

最後に、アメリカで警察を見た時、妙に緊張してしまっている自分に気が付いた時、笑ってしまいました。映画の見過ぎですね。

おきらくごきらく

2010年11月24日 22時57分44秒 | 自由空間
将来等を考えて色々と”心配”になる時がある。
その時、自分は”今”を生きていない。
心は、未だ存在していない未来に飛んでしまっている。
我々は”今”に存在している。毎日の生活はこの”今”の連続ともいえる。
その意味で、”今”ではない”未来”の事を考えても仕方がない。
何が言いたいかというと、心配するという行為はエネルギーの無駄でしかない。
将来の事を”考える”事はいい、”備える”事もいい、でも”心配”は無駄だと思う。

”今”が充実しているなら”未来”も充実させることができる。
”今”がダメだと思うなら”未来”もダメでしょう。
心配する暇があったら、充実した今を過ごせ と自分に言い聞かす夜でした。

勝ち負け

2010年11月23日 08時48分00秒 | 自由空間
実際には勝ち負けなんていうものは存在しないのでしょうけど、
日常生活において、それを感じてしまう事がある。そしてそれに一喜一憂する。
全く関係ないという人もいる反面、その結果によって精神状態が大きく影響を受ける人がいる。
全ての人の心情に配慮する事はほとんど不可能だけど、そういう事実が存在する事を知っている事は良い事だと思う。
スポットライトを浴びる人がいる裏には、多くの人がいるように思う。
浴びている人はその人達の事を忘れない様にした方が良い様に思う。その人達、自分を含めたグループが存在する事により比較対象を生じ、それにより優越がわかる。比較できなかったら、良いのか悪いのかすらわからない。
裏にいる と思っているとは、思ってもいいけど思いすぎないようにする事が良い様に思う。
表か裏かなんていうのは、自分が存在する場所による(周囲に存在する比較対象との比較結果)ものだから。
場を変えれば、表になるし、裏にもなる。
比較をしてしまう周囲としては、誰が一番かは重要な事なんだけれども、それよりもグループを”層”として見る目を持つ必要があるように思う。
(これも所詮は相対的な話なのだけど)その層全体のレベルはどうなのか という見方をし、層が厚ければそれを喜ぶべき事と見た方が建設的だと思う。

見た目

2010年11月22日 16時41分24秒 | 自由空間
見た目、外見は、かなりの情報を提供してくれていると思うのだけど、それを信じすぎてしまうと罠にはまってしまう。。。
先日も、外見では余り会話をする気になれない人と話す機会が出来、話してみたら、凄く面白い人だった という事があった。そういう事があると、ただただ、自分が外見で人を判断していた事を反省するばかり。。。正確には、”判断しすぎた事”と言った方が正確かもしれません。
外見をどう作るかは内面の表現の一つであると思う。その意味で、外見から人を判断する事は間違っていないと思う。
しかし、外見は内面の全てを語ってくれない。。。
短時間での判断が要求される時、そういった判断方法は一つの手段だと思う。
しかし、それ以外の場合は、そういった判断方法はなるべく使わない方が良い様に思う。
自分の心からあらゆる偏見、思い込みを無くし、ニュートラルな状態で接するのがベストなのでしょう。

怖れるもの

2010年11月21日 09時10分34秒 | 自由空間
怖れるものは 怖れ そのもの。
よく言ったものだなぁと思う。
我々が判断する時において、使用するのは、純粋に行動したいと思う心か もしくは 怖れ ではないかと思う。
したい事をすればいい というのは理想かもしれない。でも極力そうあった方が良いのではないかと思う。
怖れて何もしないなんてのは、結局いい結果にならないような気がする。
中々難しいですけどね。

過去

2010年11月20日 09時46分49秒 | 自由空間
今日は面識はあったけど、余り会話をした事が無い人と沢山会話をした。
約8年前に海外でで計3年ほど生活をしていたとの事。
文化が違うから、刺激的な事も多い反面、嫌な部分も多かったのではないかなぁと思う。やっぱり、文化・伝統・常識が異なると中々大変じゃないかなぁと思います。
それが、彼の言葉によると、「あの時は良かった良かった」との事。「でも大変だったでしょう?」と聞くと「そりゃ、言葉わからないし、社会の仕組みもわからないし」との事でやっぱり大変だったとの事。でも8年たった今となっては何もかも美しくなったらしい。。。

彼はいい人だと思う。いい部分だけを抽出してる。

過去は自分の歴史だけれども、それは事実の連続とはちょっと違うと思う。
過去は我々が我々の主観で見つめるものであると思う。
つまり、過去は我々の見かた次第でなんとでも変わる。
もっと言えば、我々は見たいものしか見ていないのではないかと思う。
その見たいものに、良い思い出を選ぶか、つらい思い出を選ぶかは本人次第。
彼は良い思い出を沢山選んでいる。
そんな彼にとって過去は素晴らしいものになる。

その感覚は自分も経験したことがあるし、今も経験している。
過去が美化されていくのだけど、それを拡張して、近い過去、さらに拡張して”今”まで含めちゃえば、毎日美しいのにね と思う今日この頃。。。
まぁ、できるし、しているのでしょうけど、し続ける事が中々の難度です。

人の為。。。

2010年11月19日 07時42分43秒 | 自由空間
人の為に自分を犠牲にする人が少なからずいると思うけど、年齢を経るにしたがって、これはちょっと違うのではないかと思うようになった。

一言でいうと、自分もまた”人”であるという事だと思う。
自分も人であるから、自分を犠牲にしてはいけないのではないかと思う。したいならすればいい、でも自分を犠牲にしてはいけない。

自分の為に行動する人と、他人の為に行動する人、どちらが尊いのだろうと考えると、やはり、人の為に行動している人の方が良いような気がする。でも、それで自分を犠牲にしていいのか という疑問が残る。自分の為ばかりに行動すると、結果、自己中心的と言われる。でも、自分を大切にできない人が、人を大切にできるのか とも思う。
この辺りの事に明確な答えは存在するのだろうか?正直良くわからない。バランスを取り、中道を行くのが一番いいのかもしれないけど、何を持ってバランスが取れているというのか、それも難しい。。。