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No Hobby, No Life

音楽、オーディオ、旅、バイク、写真、カメラ、PC、ゲームなどなど趣味の合間に仕事をしている典型的ダメ人間ブログ

gooホームなるものをはじめてみんとす

2007年10月12日 | Weblog
なんかまた新しいSNSができたと思ったらgooですか。
色々サービス使ってるんでなんかいいね。

異様なまでに各種gooサービスと連携しまくってるなww
日記サービスないのかよ!!wwwwwwwやりすぎwwww

まあちょっとやってみますよっと。
半年近くブログほったらかしだったけどまたやらなきゃなあ。

久しぶり

2007年01月31日 | Weblog
なんだか2年近く放っておく俺も我ながらすごいな。まだ記事見てくれる人がいることにも驚きです。ありがとう。
色々買ってみたのでちょっと再開しようかなーとか思ったりしております。
短めにね。

最近・・・

2005年06月22日 | Weblog
最近mixiに入ってからというものそっちばっかり書いてしまって、このブログをややさぼりがちになっている。よくないことだ。このブログをわざわざ見に来てくださっている方に大変申し訳ない。

しかし、このブログのネタとなるような買い物を最近してないなー、ということもある。
とりあえず携帯を901isにそろそろしようかと思っているので、そのレポなどを中心に華麗に復活していきたい。

色々と書きたいことはあるのであとは時間だ!

「かわいい」ということの弊害

2005年06月03日 | Weblog
俺は
「かわいい」
という言葉がすごい危険だと常々思っている。
女性とくに感覚派の女性の方は何においても「自分が気に入ったもの」全てをかわいいと表現する場合が多いように思う。
通常用いる用法での「かわいい」が全く当てはまらない対象であっても「かわいい」で片付ける例も見受けられる。
たまにびっくりするようなものにかわいいを連発している婦女子を多く見かけるたびにどうかなーと思うのである。

なぜならそれは「思考停止ではないか?」と思うからだ。

その、瞬間的にこれはいい!と思ったものについて「なぜこれは私はいいと思ったのだろうか」「どの部分がどのポイントが自分の琴線に触れたのか」ということに全く思考をめぐらすことなく瞬時に「コレかわいい!」ですませてしまう。これを思考停止といわずしてなんといおう。

こういった思考停止を幼い頃から続けていると、自分がいいと思うものに対しての認識力、さらにはそれを他者に伝える際の表現力の低下(これかわいくない?で終了)、ひいては思考しないくせがついてちょっと頭悪そうな感じになるかも・・・?と危惧するのである。

A「これかわいくなーい?」B「うんかわいいかわいいー!」といっているAとBでは全く違う観点、価値観において「かわいい」と言っているのかもしれず、お互いはこのかわいいと思った対象の価値について共感しえた、と感じるかもしれないが、実際は全く共感できていない、という事態も起こりえるのではないか。
せめてここのこういうところがかわいいと思った、くらいまで詳細に思考を巡らせて伝えないと、意味のないものになってしまわないだろうか。
「かわいい」には深いコミュニケーションを阻害し、表層的な関係を助長する効果もあると言えるかもしれない。



俺はこの現象を用いて、女性のいう「かわいい女の子」と男性のいう「かわいい女の子」に相当の乖離があるということの説明ができると考える。これが「かわいい」のもたらす弊害のもっとも忌まわしきものであることは疑いようも無いだろう。

女性(主に感覚派)は自分の気に入った部分があればとりあえずかわいいと評するのではないか、という仮説はすでに述べた。
しかし我々男性において、かわいい女の子という評価は、その対象に実際に会ってみていない場合(写真のみも含む)は表面的な容姿についてのみ適用される。
ここに乖離が生じるのだ。

感覚派はその女性のもつ属性=髪型、肌の質、体や顔の各パーツ、声、しゃべり方、性格、しぐさ、洋服のセンス、音楽等の趣味のセンス、雰囲気(オーラ)などなど容姿以外の様々な要素についてどれかが自分において気に入ったものである場合(おおよそ複数の部分において良い、と思っている場合が多いのだろうが)もうそれは「かわいい女の子」となるのではないか?なので容姿が考慮からはずれてしまっていることも多々あるのであろう。
しかし男性としては、性格やしぐさなどは会ってみてのみ各自の価値観で判断しようがあるもので、そんなものははじめから聞いていないのだ。

そこで、「今度の飲み会に来る子はかわいいの?」と聞いたとしよう(かなり失礼な質問だが)。その時に「うん超かわいいよー!」と返答が来た場合はおおむね我々の問いかけに答えていない場合が多くなる。
我々は容姿を聞いているのに、それ以外の価値観で判断したかわいいを使って返答しているのだから、もう全く話がかみあっていないわけだ。

しかし我々はそういった容姿以外の部分を評価しないわけではない。個別に評価することは可能なのである。ただこの乖離についての話題とはあまり関係がないのでこれ以上は割愛する。
ただ単純に、「頼むから聞かれていることに答えてくれよ」ということなのである。
「容姿は普通って言うかもしれないけど、服のセンスがすごいよくて、性格も明るくて楽しい子だよ!」という風に言ってもらえれば聞いた側も実際に紹介された時の落胆もなく、むしろよろこんで気持ちよく飲めるというものなのである。

我々としては、感覚派の皆様へ安易なかわいいの連発を抑制するとともに、「かわいい」を単純にうのみしたり、聞き流したりすることなくなるべく詳細に渡って議論をすることにより、より深く、正確なコミュニケーションをとることが必要となるであろう。

をはり。



敵作った?俺w

アカペラdeファミコン

2005年05月10日 | Weblog
いや。外人てすごいね。なにやっても面白いね。ずるい。

外国でもこれだけファミコンの音楽が知名度が高いことに驚くととともに、。外国人の皆様がたもファミコンカセット入れる前は「ふーっ」ってやるんだ!という大きな感動を与えてくれたすばらしい作品です。ここまでくれば芸術。

テトリスやスターの無敵など芸も細かすぎ。
同年代の方はぜひご覧アレ

音をだして見てネ!20代中盤以降の人はクリック!

リベンジ!結婚式二次会

2005年05月02日 | Weblog
先日は結婚式の2次会に出席してまいりました。
この2次会は久しぶりに「なんの仕事もない」2次会。
いつもあるたびにカメラマンやったり音響やったり、スライドショー作って流したり、
余興やったり様々な仕事をすることの多い俺。
結婚式場の業者さんからスカウトされたことのある俺(笑)
常になんかしら働いており、出会いの場として高名な結婚式2次会を楽しめずにいたのだった。まあ新郎新婦の祝いの場としては十分楽しんでましたけどね。

それが!今回はそういった依頼が全くなかったので超ヒマ!
これは出会いが期待できそうだ!
ということでよろこびいさんでいったのだが・・・。

んーむ。
やっぱりこの歳だとかわいい子はもうお嫁にいっちゃってますよねーみたいナ。
一緒に行く子もいないのにビンゴでディズニーのチケット当てたり・・・。
む、むなしい・・・。
なんか出会いがどうとかよりもこの2次会の幹事のど素人っぷりと段取りの悪さにいたたまれない気持ちになってしまい、これをどう盛り上げようか必死で考え込んでしまっていた自分がいた。
職人かよ・・・。

というわけで、戦利品はディズニー無料チケットのみ!
'`,、'`,、'`,、(ノ∀`)'`,、'`,、'`,、

ジョジョさざえ???

2005年05月01日 | Weblog
「海鮮家族 サザエさん」

す、素晴らしい・・・。

タマのコマ絵に爆笑。


まあジョジョ好きじゃないとわからないわけだが・・・。


ジョジョを読んだことがない人は一読することをオススメする。
不思議なことに、ジョジョが好きという一点の共通項のみで人間は真の友情を構築しえるのである。
ジョジョの普及が真の世界平和への小さいが確実な第一歩だと私は信じている。

ゲーム脳。本当の恐怖はゲームではなくマスコミである。

2005年04月24日 | Weblog
なんかまたゲーム脳について耳にするようになったと思う。
ゲーム脳がらみの話には本当に不快にさせられる。
ゲームが脳に悪影響を与えるのではないか、という仮説自体に不快なのではない。たしかに俺はゲーム歴もながく、ゲーム大好きだ。が、仮説はあくまでも仮説であり、大いに提唱し実証研究をすればいいと思う。未だまったく手付かずといってもいいゲームと脳の関連に関する研究テーマとして、ゲーム好きとしてはむしろ非常に重要だと思う。

俺が不快なのはマスコミの姿勢なのだ。
怒りを通り越して悲しさすら覚える。
このゲーム脳さわぎの発端となった書籍「ゲーム脳の恐怖」であるが、この本、実はトンデモ本として認定をうけるほどの学術的根拠のまったくない、ユダヤ陰謀説本もノストラダムス本も真っ青の正真正銘のトンデモ本なのである。
著者は大学教授だが、文理学部の教授であり、本書の記述内容から言って脳に関しては素人以下の知識しかないことが実際明らかになっている。
本書の論旨が論理的にどうとか、学術的なデータがどうこういうまえに、まず脳に関する知識のない、素人以下のやつが結論ありきでこじつけで書いた、真面目な反論をする気もおきない本である、というのが実態なのだ。

再三言うが、このトンデモな内容や著者に不快なわけではない。こういうトンデモ本はトンデモ本として楽しめばいいし、この著者についても可哀想にとは思うが怒りは込み上げたりしない。

俺が不快なのは、こんなトンデモな理論を無批判に、検証すらすることなく、そのセンセーショナルさだけに目を付けて垂れ流すだけ垂れ流したマスコミのやりくちに吐き気がするということなのだ。

(テレビゲームという)理解できないものを嫌悪、恐怖する人たちが少なからずいることは理解する。
なんの生産性もない純粋な娯楽に嫌悪感や罪悪感を抱く人が数多くいるのも理解する。
恐らく大多数のゲームに触れることのなかった人たちがそうだろう。子供たちがゲームに熱中することを憂慮する大人たちもふくまれる。
そういう人々にとって、さらにはマスコミ界にいるそういう人々にとってはこのゲーム脳はまさに渡りに船な話題だったわけだ。多くの人々が共感を覚え、興味をもって番組や新聞記事を見てくれることだろうと考えたに違いない。で、喜びいさんでそのまんまうのみにして報道したと。そんなとこだろう。
実際多くの関心を集め、現代用語の基礎知識に載ってしまった(これは日本のレベルの低さを後世に残す汚点だと思うのだが)。

政治は国民のレベルを写す鏡だと言われる。
同様にマスコミも国民のレベルを写す鏡と言われているのだ。我々はもっと政治に対する時と同様に、不信の目でマスコミと接するべきである。公正な報道などというものはそもそも存在しないのだ。
この点については別に専門でも、勉強した訳でもないので偉そうなことは言えないが機会があったら私見をさらしてみたい。
おっとなんかいつになくマジメにかたっちゃった?これ。つまんなくてスマソ<