息子の闘病日記

生後、小脳出血を患い今も闘病生活を送る息子の日記

命の存在

2011年04月08日 | 日記
もうすぐ、息子が産まれてから七ヶ月になる。
術後の状態も落ち着いているので、抜糸できれば、一気に在宅への準備も進むであろう.
息子の状態を理解し、現実を受け入れるのに時間がかかったが、
つらくても、悲しくても一日は過ぎていくのだ。
主人も、精神力も体力も限界にきているのに、朝から夜中まで、休むことなく仕事を頑張ってくれている。
私たちの生活を守るために。
息子のために、在宅で必要になる手技も指導をうけてくれている。
私も、妻として、母として、頑張らなくては。
主人は息子が誕生してから、元気なときに抱くことができなかった。
チャンスはあったものの、
小さいので怖かったのと、これからいつでも抱っこできると思っていたからだ。
口には出さないが、とても後悔しているようだ。

初めて、抱くことが出来たのは、約二ヶ月後。
小さい体は、人口呼吸器や生命を維持するのに必要な管に繋がれていた。
目を閉じたままの、動くことのない小さな体を、抱いた時、言葉に出来ない思いで涙が止まらなかった。
主人は、ただじっと抱いていたのを覚えている。
いろいろな思いがあったのだろう。
その後、経過が進むにつれて、息子の脳は機能していないことを告げられた。
画像診断や脳波の状態から判断しても、脳の性質が変わってしまい今後回復することもないということ。
目もみえない。耳も聞こえない。食べることも、話すこともできない。
生命維持に必要な機械の助けをかりて、寝たきり状態になるということ。
それでも、息子は体の臓器には問題もないため、
<息子さんは、寿命をまっとうするでしょう>と。
主治医のいっている事が理解できなかった。
脳の機能を失っても、生きることができる。
生きていくんだ。
生かされている?
どうしたらいいのかわからなかった。
希望を捨てずに、自分を奮い立たせていた主人は、
言葉をなくし、涙を流していた。
自分たちもどうしたらいいのかわからずに、毎日を過ごしていたときに、
在宅医療の話がでた。
それができなければ、施設にいくことになる事を考えると、
私たちは、施設に預ける選択はできなかった。
ただ、こんな状態で在宅で看ることができるのかという不安が大きかった。
それでも在宅医療への準備は進んでいった。

今では、ベットに寝ている息子が、とても愛しく思える。
気切口から少しもれている空気が、話しかけると、まるで返事をしてる声にも聞こえてくる。
今では、限られた息子の命と向き合い、家族で過ごしていきたいと思っている。