息子の闘病日記

生後、小脳出血を患い今も闘病生活を送る息子の日記

クマ膜のう胞除去手術(内視鏡手術)①

2011年03月30日 | 日記
3/29 地震により延期になっていた手術を行った。水頭症の影響で頭が大きくなり、在宅を考えた場合、今の頭位では非常に困難であると判断したためだ。

   ※後日聞いた話では、息子の症状ではあまり行わないそうだ。
    それは、治っても寝たきりに変わりはないからのようだからとか・・・。

手術時間は10時~14時過ぎ、約4時間。

術後、執刀医からの話があった。今回は手術中の画像をDVDで見せてもらい、
どのような手術をしたか解説してもらった。

息子の頭の中は・・・・。

クモの巣のような白い膜で覆われていた。その膜が髄液の流れを止めているらしく、電気メスやバルーンを使い、直径約4mmの穴を開け、髄液の通り道を作ってもらった。
(DVDで見ると500円玉のような大きさのように思えたが・・・。)

1つの穴では不十分で、2箇所開けてもらった。

「うまく穴があいたので、ミャクラクソウ(髄液が作られる部分らしい)は残しておきました」
と。

ミャクラクソウは欠陥の近くにあり、息子のは非常に小さくミャクラクソウを機能させなくする(電気メスで焦がすらしい)と血管を傷つけ大出血する可能性もあるらしいとのこと。

無理にされてもしものことがあったも困るので、「はあ」とだけ答えておいた。

話を聞きながら、
「あー、もっと早く手術してたら、どうなってたんだろーなー」
とか
「脳が刺激を受け、奇跡的に復活しないかなー」
とか、
「息子が存在していた証を残しておかないとなー」
とか・・・、
いろいろ考えながら聞いていた。

「面会に行ってもいいですよ」
といわれ、息子に会いに行った・・・。


②に続く・・・

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2011年03月10日 | 日記
今日は、これからお世話になるだろう、訪問看護の方が息子に会いにきてくれた。
在宅看護になる前に、病院でのすごしかた、入浴やケアの状況など把握するために面会してくれたのだ。
息子をみてかわいいといってくれた。
社交辞令だとしても、うれしかった。
いろいろな障害をもつ子供たちに関わってきている方なので、これから、安心して助けてもらおうと思う。
息子が産まれてもう半年になる。

この前、パパが、我が家は四人家族なんだけどなあ・・・・。
と、ポツリとつぶやいていた。
息子には、年の離れたおねちゃんがいる。
お姉ちゃんは、息子が生まれてから、ほとんど会うこともできなくて、兄弟ができたことさえ実感もわいてこないだろう。
私は、毎日2時間、面会にいき、限られた時間のあいだ、息子の世話をしたり、触れてくる。
それでも家に帰ると、三人家族のままで、それは、当たり前になってるように感じる。
四人家族というほうが違和感がある気がする。
息子を在宅で迎えるにあたり、準備が整いはじめてきた。
それは、本来私たち夫婦が願っていたことでもあり、不安に思うことでもある。

私は、障害を持つ子供が、どんな状況であっても、

たくさん助けてあげることで、
みんなと同じ赤ちゃんと、変わらない生活を送ることができると思う。
まわりの人たちは在宅生活は大変だと、いうけれど、それは、自分が経験してから思うことでないかと思う。
だから、やっぱり、我が子をおうちに連れて帰りたいと思う。
精一杯愛情を注ぎ、おねえちゃんと同じようにかわいがろうと思う。
安易な考えであろうか。

息子は、生まれてから一度も病院をでた事がない。
外の空気を感じさせてあげれる日は、そう、遠くないことを願う母である。

母としての思い

2011年03月08日 | 日記
息子が入院しているNICUの病棟には、小さく生まれた赤ちゃんや、さまざまな病気と戦う赤ちゃんが入院している。
赤ちゃんの親たちは、自分の子供がいるベットサイドにいき、身体に触れたり、話かけたり、音楽を聞かせたり、看護師さんと一緒に入浴やオムツを交換したりと赤ちゃんと関わりあうことにより、自分の子供としての実感や絆ができてくるのではないだろか。

脳死状態といわれる息子は、表情をかえることはない。耳も目も機能を失い寝たきりの状態で人口呼吸器のサポートを借りて生きている。
それでも、息子の体は、血が通い、確実に成長している。
髪の毛や爪も伸びつつけている。

あんな小さいからだで自分の臓器が機能しなくなるまで生きる。
ドクターは、この子たちの寿命は限られているという。
親は、悲しみにくれながら、子供のために何ができるか考える。
でも、
悲しみが深すぎてどうしていいか判らなくなったままの親もいる。
現実を受け入れる事が出来ないで子供に会うことが出来ない親もいる。
いろいろな問題が浮上してきて家庭崩壊になりそうな家族もいる。

お父さんとお母さんの子供として、生まれることになった赤ちゃん。
お母さんのおなかに授かったときから、お父さんとお母さんになるのだ。
赤ちゃんは悲しませようとこの世に誕生したわけではないと思う。
親にとってはつらいことだけど、限られた命に自分たちの子供として、悔いが残ることがないように精一杯の事をすることが、一番いい事だと私は思う。

わたしは、強いわけでもない。
我が子の状況は間違いなくつらく、悲しいことである。
現実逃避したくなる。毎日泣いて面会にいっていた。
でも、間違いなく私が産んだ子供はここに居る。
その子供が、拒否されたり、親の愛情ももらえないままこの世を去ることは、あまりにも悲しすぎる。

時間の経過とともに、自分が何をするべきか見えてきた気がする。

病棟には、何人か息子と同じような状態の子がいる。
いろんな思いを抱えて、子供と接しているだろう。
一人語りしているお母さんを横にして、私は、勇気つけられている毎日だ。

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2011年03月01日 | 日記
先日、脳外科のドクターと、息子の水頭症の症状について話すことになった。
脳内出血後に水頭症を併発し、頭の中の髄液が何らかの原因で吸収されなくなり、溜まる状態になり、頭囲拡大が止まらない事に対して、
内視鏡の手術を提案してくれたのだ。
現在の息子の状態は、生後半年にして、大人程の頭の大きさになっている。
二ヶ月前までは、頭から注射器をさして、髄液を抜いて様子をみていたが、拡大していくことに変わりはなかった。
小児科のドクターは、ある一定の大きさになると拡大も止まると思うので、このまま経過観察しますいうことで今まできたのである。
頭のまわりは、髄液に満たされた状態になりぶよぶよしている。
(どこまで大きくなるのですか、破けたらどうなるんですか)
ドクターに聞いても、明確な返事も返ってこない。
髄液の生産を抑える薬を使っているので、どこかでおりあいがついて拡大が止まるのを願うだけです。といわれた。
在宅でみることを考えている私たちに不安がよぎり始める。
それでも、頭が大きいだけで、息子自身は特に影響もないから、このまま家に帰っても
問題ないといわれ、頭のもんだいには触れることも無く、在宅に向けての準備が進み始めたのである。
私たちは、水頭症の治療法など、情報を集めた。
そのなかで、内視鏡の手術やら、シャントの手術やらを、担当のドクターに依頼してみた。
結局、その時は、息子の水頭症の原因は手術では改善できないといわれたままであったのに、今の状態では、在宅でみていくことは不安だ。
といった事により、あるドクターが、脳外科のドクターに、このままの状態で在宅にむけての管理が難しいという目的をもとに、働きかけてくれ、あくまでも適応外手術だといいはりながら、提案してくれることになったようだ。
現在息子の状態は、脳の機能が無い状態だから、
手術することで機能が回復することはないので意味もなく、ただ管理しやすくするのと、みてくれをよくするのだといわれた。
そういわれたのが悔しかった。
息子は、元気に誕生した。不幸な事が重なり、現在機械の力を借りて、この世に存在している。