息子の闘病日記

生後、小脳出血を患い今も闘病生活を送る息子の日記

あなたならどうしますか その1

2011年05月24日 | 日記
息子は、妊娠中も順調で、
40週1日。
2854グラム。

「おめでとうございま~す、元気な男の子ですよ」
産科医、助産師さんに囲まれて
無事に誕生した我が子を抱いた。

吸引分娩になったものの、
元気にこの世界に誕生してくれた我が子
力強い泣き声だったことをおぼえている。

息子が誕生した病院は、周産期母子医療センターを構えた
某○病院。
高度な医療を提供してくれる病院。
母子ともに危険な状態に陥ったときはここへまわされるのだ。

そんな、病院で息子がこうなってしまった理由がわからない。
母子同室で過ごすことになっている為、
出産後から、息子の世話が始まった。
特に問題もなく順調に過ごしていく入院生活。

三日目の朝に医師が、黄疸の値が少し高いので
早めに治療しておきたいと思います。
といいにきた。

背中だけに光線を浴びせて治療をしてみて
値が下がらなければ、全身光線を当てる治療に切り替えるということだ。

その日から背中に光線をあてるため、
プラスチックの板がとりつけられた。

夜になると、なかなか泣き止まないために
助産師さんに抱き上げられ
背中の辺りから光がみえて、
「ほたるみたいだね」
といわれたものだ。

朝になると、医師が黄疸の値が変わらないので、
全身治療に切り替えますといいにきた。

ナースセンターで治療器にはいり
授乳の時間になったらお部屋につれてきてもらった。

その日の三時頃の授乳の時間に、
息子が、目をぱちぱちさせたりする様子や、
体を反らしたりする様子がでて、
助産師さんが、回診にくる先生にみせるために
センターに連れて行ってしまった。
元気な息子を見れたのも、
声が聞けたのもこの日が最後だった。
まさか最後になるとは思わなかった。