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時間

いろんな時間です。仕事の時間。休みの時間。散歩の時間。今は定年退職しています。
気ままな時間。良い出会いができる時間。

8月21日(金)のつぶやき

2015-08-22 02:31:54 | Weblog

今日のコラム

2015-08-21 06:06:41 | Weblog

☆ 今日は8月21日(金)  献血の日 ☆

☆1964(昭和39)年のこの日、それまでの売血制度をやめ、輸血用血液は献血により確保する体制を確立するよう閣議で決定されました。
 1974(昭和49)年に民間商業血液銀行が預血制度を廃止したことにより、すべてを献血で確保する体制が確立しました。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆


☆ 8月21日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

カンを養う

カンというと、一見非科学的なもののように思われる。しかしカンが働くことはきわめて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断のできるカンを養わなくてはいけない。

それでは、そうしたカンはどうしたら持つことができるのか。これはやはり経験を重ね、修練をつむ過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きをカンで察知し、切っ先三寸で身をかわしたというが、それは、それこそ血のにじむような修行を続けた結果であろう。

そのように指導者としても、経験を積む中で厳しい自己鍛練によって、真実を直観的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。 ☆


☆【コラム】筆洗

2015年8月20日 東京新聞TOKYOWeb
 

▼<いやだ と言っていいですか/本当にからだの底からいやなことを/我慢しなくていいですか/我がままだと思わなくていいですか…>。谷川俊太郎さんの、「いや」という詩だ。六年前に出された詩集『子どもたちの遺言』に収められている

▼この詩集は当初、七十七歳の詩人から「子どもたちへの遺言」として企画されたそうだ。しかし私たちは、子どもたちに遺言されるような危うい時代に生きているのではないか。谷川さんはそう考え、発想を逆転させて言葉を紡いだという

▼「いやだ」と言いたいのに、言えない。そんな気持ちを口に出せないまま、自ら命を絶ってしまう子もいるに違いない。政府の調べによれば、子どもの自殺が一年で最も多いのは、九月一日だという

▼夏休みが終わって、新学期が始まる。「学校に行くぐらいなら、死んでしまいたい」と思い詰めている子が今この時も、どこかにいるのかもしれない。命より大切な学校など、どこにもないのだけれど

▼谷川さんも、学校に行くのが嫌で嫌でしょうがなかったそうだ。いじめに遭い、教師に反発し、高校は定時制に転学して、何とか卒業したという

▼そんな谷川さんは詩「いや」をこう結んでいる。<いやだ と言わせてください/いやがってるのはちっぽけな私じゃない/幸せになろうとあがいている/宇宙につながる大きな私のいのちです> ☆


☆ 今朝はくもり空です。時々雨の予報です。高温注意情報も出ています。
水分を補給して、熱中症に気をつけましょう。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆


8月20日(木)のつぶやき

2015-08-21 02:27:37 | Weblog

今日のコラム

2015-08-20 06:40:33 | Weblog

☆ 今日は8月20日(木)  交通信号の日 ☆

☆ 1931(昭和6)年のこの日、銀座の尾張町交差点(銀座4丁目交差点)や京橋交差点などをはじめ、34カ所の市電交差点に、日本初の三色灯の自動信号機が設置されました。
 向かって右から赤・黄・青ですが、この3色が使われたのは光の波長が長く、見やすい色だからです。
 また、信号の青色は正確には青緑色です。
 なぜかと言うと、人間の目には緑色を感じる細胞が多く、緑に近い色をより強く認識できるからです。 ☆
 
 
☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。 ☆


☆ 8月20日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

心を通わす

一人ひとりの努力が、部下の人にもまた上長の人にも知られるということは、何にもまして心嬉しいことだと思います。一つの成果をお互いに味わって、ともに喜び合うことができるということは、私は尊い姿だと思うのです。

一つの会社の中でも、北海道にいる人の苦労が九州にいる人に伝わる。九州にいる人の苦労が北海道の人に伝わり、打てば響くような形において、全員が結ばれていくというように、お互いに心と心を通わしているような状態になっていなければならない。

そうなれば願いどおりの好ましい成果があがり、社会のためにも大衆のためにもなる働きができるであろうと思うのです。☆


☆【コラム】筆洗

2015年8月19日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼ロシア帝政末期に暗躍した怪僧ラスプーチンの最期は、むごたらしいものであった。暗殺を謀る貴族らによって、青酸化合物の入った菓子や酒を勧められたのだ

▼だが、さすがは怪僧。毒入りの菓子を口にしても、何の異変も起きなかった。青酸ナトリウムや青酸カリは長い間放置すると、空中の二酸化炭素と化学反応し無毒化するから、ラスプーチンに盛られた毒もその牙を失っていたのかもしれぬ(山崎幹夫著『毒の話』)
▼毒を盛っても死なぬ怪僧の姿に、暗殺者は恐怖を感じたに違いない。彼らは銃撃し、鉄の棒で殴りとどめを刺した。しかし「君側(くんそく)の奸(かん)」たるこの僧を亡き者にしても、民衆の憎悪は消えず、帝政は崩壊への歩みを速めていった

▼中国・天津で起きた爆発事故では、膨大な青酸化合物などのずさんな管理が問題視されている。有毒物質の汚染で半径三キロほどが立ち入り禁止となり、死者は百人を超えたと公表されたが、現地では当局への不信の念がうずまいているという

▼「危険物」がため込まれているのは、天津に限るまい。「爆買い」に象徴される富にあずかっているのは、少数派。格差は拡大し、不満のエネルギーは全土で高まるばかりだ

▼青酸化合物と違い、この危険物は、いくら放置しても無害化はされない。不満の「化学反応」の連鎖が大爆発を起こすことは、歴史が繰り返し教えるところだ。☆


☆ 今朝は雨です。時々、大雨です。一日、曇で雨の予報です。

昨日は、曇空で、小雨もぱらついて蒸し暑かったです。
真夏日は途切れたみたいです。夜は寝やすかったです。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆


8月19日(水)のつぶやき

2015-08-20 02:27:21 | Weblog

今日のコラム

2015-08-19 06:50:54 | Weblog

☆ 今日は8月19日(水)  俳句の日 ☆

☆ 正岡子規研究家の坪内稔典らが提唱し、1991年に制定。

「は(8)い(1)く(9)」の語呂合せ。

夏休み中の子供達に俳句に親しんでもらう日。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆


☆ 8月19日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

自由と秩序と繁栄と

自由という姿は、人間の本性に適った好もしい姿で、自由の程度が高ければ高いほど、生活の向上が生み出されると言えましょう。しかし、自由の反面には、必ず秩序がなければならない。秩序のない自由は、単なる放恣にすぎず、社会生活の真の向上は望めないでしょう。
民主主義のもとにあっては、この自由と秩序が必ず求められ、しかも両者が日を追って高まっていくところに、進歩発展というものがあるのだと思います。そして、この自由と秩序という一見相反するような姿は、実は各人の自主性において統一されるもので、自主的な態度こそが、自由を放恣から守り、無秩序を秩序にかえる根本的な力になるのだと思います。 ☆


☆【コラム】筆洗

2015年8月18日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼旧盆期間中のお休みを終え、昨日から再び仕事という方もいらっしゃるだろう。旅行から自宅に戻って、ごろんと寝転がった時、つぶやいた言葉は「やっぱり家が一番、いいな」とか「一番、ほっとするな」ではなかったか

▼どんなに美しい場所へ出かけたとしても、どんな快適なホテルで過ごしたとしても、帰ってみれば、結局、おうちの気楽さや安心に勝るものはない

▼<家に帰りたい 安らぎと音楽と愛する人が静かに待っている>。サイモンとガーファンクルの「早く家へ帰りたい」。旅に限らぬ。仕事や人間関係に疲れたときも、人は家に帰りたいと思うものだろう。帰っても何も解決しない。それでも自分の家に帰れば、心も少しは落ち着いてこよう

▼旧盆を過ぎても自分の家に帰れぬ人のことを心配している。桜島である。大規模な噴火の可能性があり、家を離れ、島内二カ所の避難所で約三十人が過ごしている。お年を召した方も大勢いる

▼いつ噴火してもおかしくない状態が続く。家に帰れぬ上、噴火におびえながらの日々は負担であろう。避難生活が長期化する見通しも出ている

▼山の神にはなんとか落ち着いてもらい、避難所にいる方には一刻も早く例のせりふをつぶやいてもらいたい。「やっぱり家が…」。当然だが、その幸せのせりふを言えるのは、家に帰れたという幸運に恵まれた方だけなのである。 ☆


☆ 今朝は雨です。予報は、雨時々曇りです。少し涼しい朝です。

蝉さんも静かです。

京都に住まいの親戚の叔母さんに電話しましたら、お盆の日に、介護されている娘さんが亡くなったと言いました、お盆の時に葬儀をして送り出したと。暑くて熱中症になった見たいです。今年は連続で猛暑日が多かったですから体力が持たなかった用です。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。☆


8月18日(火)のつぶやき

2015-08-19 02:27:40 | Weblog

今日のコラム

2015-08-18 06:31:18 | Weblog

☆ 今日は8月18日(火)  高校野球記念日 ☆

☆ 1915(大正4)年、大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開会しました。
 全国73校から地区予選を勝ち抜いた10校が参加し、京都二中が優勝しました。
 第10回から会場が甲子園球場になり、学制改革により1948(昭和23)年から全国高校野球選手権大会となりました。 ☆



☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆



☆ 8月18日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

人材を引きぬけば……

職場で、この人はなくてはならない非常に重要な人であり、余人にはかえがたいと思っていた人が、ある事情でその仕事を離れました。そこで当然、戦力のダウンが生ずるであろうと考えていたら、不思議なことにその部なり課の成績が上がったということがあります。
これは、あとを受け継いだ人が大いに力を伸ばし、かえってよい結果を生んでいるということに他なりません。ですから私は、すぐれた人材を他の部門に起用する必要があるというような場合、躊躇せずこれをやるべきだと思うのです。

あえてそれを行なうことが、往々にして人材の育成に結びつく場合が少なくないということを体験してきたのです。  ☆


☆【コラム】筆洗

2015年8月16日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼映画「社長シリーズ」「駅前シリーズ」などの俳優三木のり平さん(一九二四~九九年)の元に、召集令状の赤紙が届いたのは四五(昭和二十)年の夏だった

▼国のために死ぬ覚悟さえ固めていたが、結局、兵隊にとられることはなかった。入隊予定日が終戦の三日後の八月十八日だったためである。「戦争に行かなくていいのか」

▼七十年前の終戦日を国民はどう受け止めたか。<戦争は終わった 私は心中「シメタ!」と思った>(小沢昭一さん『わた史発掘』)<終わったーっ 生きてるぞ 生きのびたんだー>(手塚治虫さん『紙の砦(とりで)』)

▼戦争終結を知った喜びや安堵(あんど)感は想像できる。されどその夜、じわじわと襲ってきたのはむしろ「これからどうなるか」の不安だったのではないか

▼実際、終戦直後は戦時中よりも食糧や生活物資の入手は困難で、焼け跡での食うや食わずの生活が続く。終戦、そしてその後の平和な日本。これはあまりにはしょり過ぎた歴史であり、焼け跡での壮絶な苦しみが十五日以降に待つ。それも、やはり戦争の「罪科」なのである

▼のり平さんは十五日夜、ひそかに家を出て隅田川にある荷物を沈めた。千人針や軍人手帳などを詰めた袋。これからやって来る米兵に見つかれば、殺されると考えた。のり平さんの得意の文句ではないけれど戦争が終わっても平和は「パーッと」は来なかった。 ☆

☆ 今朝はくもり空です、晴れて暑くなるそうです。水分を補給して、熱中症に気をつけましょう。

昨日、夕方の雨で昨夜は涼しく眠れました。

昼間は蝉の大合唱が有ります。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆




8月17日(月)のつぶやき

2015-08-18 02:26:14 | Weblog

今日のコラム

2015-08-17 06:02:29 | Weblog

☆ 今日は8月17日(月) プロ野球ナイター記念日 ☆

☆ 1948(昭和23)年、横浜ゲーリッグ球場で日本初のナイター・巨人対中部(現在の中日)戦が行われました。
 「ナイター」という言葉もこの時初めて使われました。 ☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。 ☆

☆ 昨日のカープVメール

16日マツダスタジアム、カープ7―2DeNA、勝ち投手福井8勝3敗、本塁打菊池8号、松山5号、田中6号、新井6号 詳しくは中国新聞(あさっての朝刊)で  ☆


☆ 8月17日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

街の品位を高める

自分の店舗は、自分の商売のためのものであると同時に、街の一部をなすものです。これは、その店舗のあり方が、街の美醜にも大きな影響を与えるということに他なりません。
一つの街に好ましい店舗ばかり並んでいれば、その街は生き生きと活気に満ちたきれいな街になります。街全体に好ましい環境が生まれます。だから、そうした街を美化するというか、街の品位を高めるという一段高い見地からも、自分の店舗をきれいにしていくことが大事だと思います。

それは「社会の役に立つ」という商売の真の使命に基づく一つの尊い義務とも言えましょう。またそれは同時に商売の繁栄にも結びつくものだと思うのです。 ☆


☆【コラム】筆洗

2015年8月16日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼映画「社長シリーズ」「駅前シリーズ」などの俳優三木のり平さん(一九二四~九九年)の元に、召集令状の赤紙が届いたのは四五(昭和二十)年の夏だった

▼国のために死ぬ覚悟さえ固めていたが、結局、兵隊にとられることはなかった。入隊予定日が終戦の三日後の八月十八日だったためである。「戦争に行かなくていいのか」

▼七十年前の終戦日を国民はどう受け止めたか。<戦争は終わった 私は心中「シメタ!」と思った>(小沢昭一さん『わた史発掘』)<終わったーっ 生きてるぞ 生きのびたんだー>(手塚治虫さん『紙の砦(とりで)』)

▼戦争終結を知った喜びや安堵(あんど)感は想像できる。されどその夜、じわじわと襲ってきたのはむしろ「これからどうなるか」の不安だったのではないか

▼実際、終戦直後は戦時中よりも食糧や生活物資の入手は困難で、焼け跡での食うや食わずの生活が続く。終戦、そしてその後の平和な日本。これはあまりにはしょり過ぎた歴史であり、焼け跡での壮絶な苦しみが十五日以降に待つ。それも、やはり戦争の「罪科」なのである

▼のり平さんは十五日夜、ひそかに家を出て隅田川にある荷物を沈めた。千人針や軍人手帳などを詰めた袋。これからやって来る米兵に見つかれば、殺されると考えた。のり平さんの得意の文句ではないけれど戦争が終わっても平和は「パーッと」は来なかった。 ☆


☆ 今朝はくもり空です、昨夜は、雨が降りました。少し、涼しい朝です。

お盆休みも終わり、今日から皆さんお仕事ですね、休み疲れが出ませんように。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆